大丈夫だから。


 週末。

 夕暮れ時の街中からは陽気な太鼓たいこと笛の音色が聞こえてくる。各地を回っている山車だしに乗る子供達が日々の努力の賜物たまものを奏でているのだ。

 小学生時代の経験から祭りの音は若干じゃっかんのトラウマだったが、今のオレにとってそんなことどうでもいい。


「あれ~?お兄さん、もしかして緊張してるのぉ?」

「す、するかバカッ」


 今日は姫と一緒に祭りの出店通りへ繰り出すのだ。友達同士のバカ騒ぎすらしたことのないオレが、まるで恋人がするデートみたいな真似事だ。しかも誘ったのはオレから。ちゃんとした目的があるとはいえ、つい一ヶ月前のオレからは想像出来ないところまで来てしまったようだ。


「お兄さんって法被はっぴとか着ないの?」

「あんなの着たら面倒なことになるだろ。つーかお前も普段着じゃねーか」

「あたしはただのオシャレだしぃ~」

「はいはい、そうですか」

「反応薄いなー。折角せっかくのデートだから可愛かわいくしてきたのにー」


 膨れっ面で文句を垂れる姫の姿は、いつもと変わらない肌色面積の多い薄着。オレが買ってあげた、レース多めなターコイズブルーのワンピースだ。特別な日に着ているあたり、気に入っているようで何よりだ。


 オレの地域の祭りでは、参加者は必ず法被を着るという決まりがある。理由は『神聖な祭典だから』だと思うのだが、詳しいことは知らない。というか興味がない。

 問題なのはその法被の使用だ。区域ごとに色分けされたそれは着ているだけでどこの出身かバレるし、同じ区の人間に見つかれば山車引き要員として拉致らちされてしまう。祭りのメインに参加しない身からすれば着るだけ損ということだ。

 なので、姫が普通の格好で来てくれたのはありがたい。なるべくリスクを回避して生きるのは、陰キャとして必須項目である。


「ちょっとー、勝手にあたしも陰キャに入れないでよー」

「もう片足突っ込んでいるだろ」

「じゃあお兄さんなんて頭の先まで全部埋まっているじゃーん」

「それ、もはや全身じゃねーか」




 街の大通りには、色とりどりの出店が並んでいる。

 煌々こうこうと光る看板に食欲をそそる煙の臭い。久しぶりに訪れたせいか、懐かしさで目にしみる。間違っても煙が目に入ったからではない。


「さて、と。何から食べる?」


 出店の大半は食べ物を取り扱っている。

 焼きそばにたこ焼き、お好み焼きあたりの粉ものは定番。唐揚からげやドネルケバブなどのガッツリ系、焼き鳥や川魚の塩焼きなんてしぶいメニューもある。甘い物なら綿飴わたあめにかき氷、チョコバナナとかが良いだろうか?

 充実のラインナップにかぶりつく。考えただけでもよだれあふれそうだ。


「いきなりご飯からなんて、お兄さんがっつき過ぎー」

「まずは腹ごしらえじゃないのか?」

「最初はどんな出店があるか見て回ろうよー。お腹いっぱいになっちゃったらつまんないもーん」

「それは一理ある」


 勢いに任せて片っ端から食べていたらすぐに動けなくなってしまう。後で気になる店を見つけても別腹すら埋まっているなんて悲しい状況は勘弁。それならウインドウショッピングしてからゆっくり楽しんだ方が良い、ということだ。


「お兄さんのお財布さいふ、空っぽになっちゃったら困るしね」

「どんだけ食べる気でいるんだ……」


 細い体で破裂する限界まで暴食ってか。

 太ったら可愛さが台無しになっちまうぞ。




 出店通りを中頃まで進んだあたりで、各地の山車が列を作っていた。

 これから神社で『清めの儀式ぎしき』をするため、その順番待ちをしているようだ。

 ただでさえ巨大なのに、それが何台も並んでいる。そのせいで周辺は大混雑。出店で商品を買う人達とも合わさって、熱気が夜の闇に立ち昇っていた。


「うわぁ、これはひどい」

「これじゃあ進めないんですけどー」


 この先へ進むためには、あのカオスな人混みを通り抜ける必要がある。夏場の祭りで汗ばんだ人達の中を掻き分けて突き進まないといけないのだ。ハードルの高さにどうしても躊躇ためらいの気持ちが出る。


「……山車が行くまで待つか」

「うん、賛成」


 さすがの姫も、あの中に入っていく勇気はないようだ。

 オレ達ははじっこの通路に避けて、混雑に巻き込まれないようにした。


「何か食べながら待とうか」

「あっ、いいねいいねっ!あたしもうお腹ペコペコ~」


 どうせ渋滞解消までにはしばらく時間がかかる。腹の空き具合も頃合いなので、この時間でそろそろ一つ目の食事をしておきたいものだ。


「それじゃあねー、あたしフランクフルトが食べたいな~」

「おう、いいぞ。どの店のヤツにする?」

「そうじゃなくってぇ、お兄さんのフランクフルト❤」

「オレのはそんなに太くない。あと真面目まじめに答えろって」

「じゃあイカ焼きにするー」

「意外としぶいなお前」

「何よー。あたしは普通で――――」


 ぴしり、と姫の体が固まる。

 まるで体が石化したみたいに動きが止まっている。


「おい、どうしたんだ?」

「はーっ……はーっ……はーっ……」


 声を掛けてみると、今度は小刻みに震え出す。まるで恐ろしい何かを見たかのように呼吸が荒くなっていく。そして、彼女の瞳はずっと遠くの一点を見つめたままだ。

 一体、急にどうしたのだ。

 オレは姫の視線の先へと目を動かし――その答えに行き着く。


「大丈夫だ、気にするな」


 震える体を抱き寄せ、オレは姫の視界にが映らないようにする。

 遠くを歩く三つの影。

 彼女に恐怖を与える、悪しき存在。

 

 水野、山吹やまぶき朱本しゅもと

 姫をいじめている三人組が、法被姿で歩いていた。

 山車の動きが止まったことをいいことに、休憩がてらにと出店へ行こうとしたのだろう。

 連中はこちらに気付いていない。自分達が楽しむことで頭の中がいっぱいなのだろう。腹立たしいことに。

 対する姫は姿を見ただけでおびえている。自分の楽しい時間が蹂躙じゅうりんされるのではないかと、不安にさいなまれているのだ。


「……ひっ………うぅっ」


 時間にして数十秒。

 彼女にとっては永遠のような時間。

 三人が通り過ぎるまで、姫はオレの胸の中で嗚咽おえつらし続けていた。

 

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