第34話 トイレ攻防戦 -朝倉みなと-

「つひあってください!!」


 あ、噛んだ。

 すると、中原くんの顔からみるみる血の気が失われ、つま先から順に頭の天辺まで震えだした。


 うむ、これは、あれだ。私は知っているぞ。何せ今まで何度も経験しているのだから、つまり、この後に起こるのは、


「待って、中原く」

「ヒイッ、わっ、うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!??!?!!」


 やっぱり逃げたああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!


 私の制止を振り切って中原くんは即座に反転、そして階段を目指して走り出した。

 だが、私とていつまでも待つだけの女ではない、ここは何としても取り押さえる!


 私は中原くんの後を全力で追った。

 だがしかし、中原くんの逃走は史上類を見ない速さであった。何と三段飛ばしで階段を駆け下りているのだ、痛めた左足首はまだ完治していないだろうに、何故にあんなに速いのか。

 私がようやく階下に降り立ったときには、中原くんはすでに男子トイレに駆け込んでいた。

 個室の鍵がかけられる音が鳴り響く。


 ええい、躊躇してたまるか、ここで中原くんを逃しては今後いつまた捕まえられるか知れたものではないのだ、もはや突撃あるのみである、いざ前進せよ、私の前に道はない、私の後に道が出来るのだ!


 私は人生における最初にして最後の男子トイレ潜入を果たしていた。


「出てきて、中原くん!」


 私が個室のドアを叩くと、中から悲鳴と共に叫び声が上がった。


「朝倉さん、やめるんだ、これ以上は朝倉さんの乙女に傷がつく!!」


 何を言うか、このままでは私の乙女心は成就しないのである、乙女を気遣うのであれば、即刻出てきて然るべきであろう!


「ねえ、中原くん!!」

「違う、違うのです、朝倉さん!! ここにいるのは中原和総ではない、ただのぼっちで陰キャでヘタレのクソで阿呆などクズだ!!」

「そんなことないわ!!」

「いいや、朝倉さん、俺はただのどクズなんだ! デートは途中ですっぽかすし、告白は途中で逃げ出すし、あまつさえ大切な人がいる前でトイレに引きこもっているんだ!!」

「ええ、まあ、それはそうだけど」

「もう、これ以上無様なところを晒したくないんだ、俺に失望する前に、朝倉さん、綺麗なままの俺の記憶を胸に、このまま別れて帰ろう……」


 蚊の鳴くような声で泣き言を連ねる。


 ええい、このわからず屋め! 今更、無様だなんだと言っている場合ではなかろう! というか、私の中原くんを勝手に貶めるのはこの私が許さん!

 たとえ汚物を巻き散らかそうとも、トイレに籠城して徹底抗戦を訴えようとも、私が愛した中原くんは他ならぬ中原くんなのだ!


 それを何だ、無様? 失望? 綺麗なままの俺?

 知ったことか! いいから早く、出てきなさい!

 私は、どんな中原くんだろうと、一秒でも多く一緒にいたいのよ!!


 怒り心頭のあまり、私の思考回路は飛躍的に破綻した。つまり、周囲の状況を把握、個室への上部からの侵入ルートを瞬時に導き出す。


「いいわ、中原くん、そっちがその気なら、私にも考えがあるわ!!」


 小便器に手をかける。


「聞いて、中原くん! 私は今、小便器に手をかけたわ! それから、乙女の恥じらいを捨てて、スカートがめくれるのも気にせず、足をかけてよじ登るの! そうよ、中原くんが籠城しているのだから、これは仕方のないことなのよ、そのまま私はあられもない姿を晒して、個室の壁にもたれかかるの、いい、これは仕方のないことなのよ! そして私は、壁に片足をかけ、もう片方の足を扉にかけて、蜘蛛のように中原くんの上に這い寄るの。中原くんがそこから頭上を見上げれば、顕になった私のおパンツがそこにあるのよ! ええ、そうよ、それでも私には抗いようもないの、だって両手両足は壁にかけたままなんだもの、隠すものなど何もないわ、中原くんはよだれを垂らしたままずっと私のおパンツを覗き続けるの、だってこれは仕方のないことだもの! いつまで見続けるつもりなの、中原くん、私をどれだけ辱めれば気が済むの、中原くん、いいわ、私は中原くんの望むままにおパンツを晒し続けるわ、それでいいのね、中原くん、それがいいのね、中原くん、わかったわ、中原くん、私はアナタのためなら何でもするわ、さあ行くわ、今行くわ、待っていて中原くん、今こそ私は、小便器に足をかけ――」

「ままままままままままままま、待った待った、朝倉さん!?」

「いいえ、待たないわ! 私は中原くんのためだったら何だってするのよ!?」

「だから、何で!?」

「さあ、中原くん! 足はかけたわ! そして、今にもスカートが――」


 その瞬間、扉が開け放たれた。

 振り向くとそこには、汗と涙と鼻水にまみれた、私の愛しい中原くんが、生まれたての子鹿のように震わせながら、転げ落ちていたのだった。

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