第27話 熱海行き電車 -朝倉みなと-
私は東京駅京葉線のホームに降り立った。
降りたはいいものの、はてどうしたものかと左右を見渡す。
そんな私には目もくれず、他の乗客たちが階段へと殺到する。
群衆を一通り見送ってから、結局は私もそれに倣った。
行くあてなどない、ただ、あのままホームにいても詮方無いのは確かであった。
京葉線のホームは東京駅の中でもポツンと離れたところにある。
他線に乗り換えるには、ひと駅分もあろうかという長い通路を歩かねばならなかった。
その間、私は無心であった。
ようやく、通路を抜けた。喧騒がそこにあった。お菓子やお弁当、お土産物を売る店が並び、人々でごった返していた。私の心は何も反応しなかった。
さて、何かに乗り換えねばならない。しかし、行くあてはない。
私は順番に乗り換え口を見ていこうと思った。
気がつけば、構内を一周していた。
二周目に差しかかった時、行き先表示に『熱海』の文字を見つけた。
「熱海……か」
そう言えば、姉が温泉旅行の宿泊先は熱海だと言っていた。
時計を見ると、午後四時である、今ごろ宿に着いて件のパーティーでも始めているのだろうか。
そんなことを考えながら、私はスマホを耳に当てていた。姉は通話に出なかった。仕方ない、どうやらすでにお楽しみのようだ、せいぜい酒池肉林に溺れてそのまま太平洋に沈めばいいのだ、と思いつつも、私はかけ直していた。
「あ、みなとー? どうしたの、まさかもうホテル!?」
「お姉ちゃん、今日の温泉旅行、熱海だったよね?」
「……ちょっと、みなと、アンタ」
「私も行ってもいいかな」
「何があったの」
「何もなかったよ」
「話してごらん」
「何もなかったよ」
「嘘つくんじゃない」
「何もなかったよ」
「アンタ、泣いてるじゃない」
私は泣いていた。大粒の涙が、溢れていた。
「……あのね、私、正直に言ったの」
「うん」
「今日の中原くん、いつもと違ったから」
「うん」
「私のためにしてくれてるってのは、わかったんだけど」
「嬉しかったの、本当に、私が喜んでくれるようにって、こんなに考えてくれてたんだって」
「でも、中原くんは楽しそうじゃなかった」
「私と一緒にいるのに、私と一緒にいない感じだった」
「私はいつもの、優しくて面白くて、だけどどこか放っておけなくて、何だか癒やされる中原くんが好きだったのに」
「今日の中原くんは、全然面白くなくて、無理してる感じだった」
「中原くんが『楽しんでる?』って訊いてきたから」
「正直に言ったの」
「『嬉しいけど、中原くんと一緒じゃないと、楽しくないわ』って」
「『だって、いつもの中原くんと違うもの』って」
「『今日の中原くん、面白くないわ』って」
「そしたら、中原くん、固まっちゃって」
「私も、どうしたらいいのかわからなくなって」
「で、中原くんが叫んだの、『朝倉さん、俺……!』って」
「もしかして、って思ったけど、今ここで? とも思っちゃったの」
「そしたらね、中原くんが」
「『ごめん、朝倉さん』」
「『やっぱり、無理だ』って」
「中原くん、そのまま帰っちゃった」
「お姉ちゃん、私、何がダメだったのかな」
「どうしたら、よかったのかな」
「中原くんと、もっと一緒にいたかったのに」
「楽しくしたかったのに」
「好きだって、言ってほしかったのに」
「わたし、わかんないよぉ……」
私はその場にしゃがみ込んだ。奇異の眼差しを周囲の人から浴びせられたが、心を抑えようもなかった。
「おいで」
姉は言った。
「泊まりに来なよ」
「うん」
「一緒に温泉入ろう」
「うん」
「熱海駅に着いたら連絡して。迎えに行くから」
「うん。……ありがとう」
私は涙を拭った。
そして、熱海行きの電車が来る、ホームへと上っていった。
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