第19話 おっぱい魔神 -中原和総-

 何故、こんなことになっているのだろうか。


 俺は最寄り駅で降りて、家路を歩んでいた。

 そして、その隣には、憧れの君である朝倉さんがいるのである。

 朝倉さんのような美人と傍にいられるだけでも嬉しさで天にも召される思いであるのに、今は何と負傷した俺を送るために家まで付き添ってくれているのである。


 生きててよかった、いや、俺の靭帯はいい仕事をした、お前のことは一生忘れないだろう。


「あいた!」


 左脚が着地の衝撃に耐えきれず悲鳴を上げる。俺も悲鳴を上げていた。


「大丈夫、中原くん?」


 朝倉さんが心配そうに覗き込んでくる。

 嬉しさがこみ上げてくるが、それ以上に痛いものは痛かった。


「へ、平気平気……」


 俺は口角をひくつかせながら笑みを作った。


 何故、こんなことになっているのだろうか。

 こうなった経緯を、俺は改めて振り返った。






 数刻前。保健室の先生である朝倉みさき先生は、赤く腫れ上がった俺の左足首を見てこうのたまった。


「アンタ、派手にやらかしたねえ」


 人を食った笑顔を見せて覗き込んでくる。

 しかし、その笑みの下に見えるはだけた胸元に俺の視線は釘付けとなっていた。青少年に対し清く正しい保健体育を指導する教育者として、かように扇情的な衣服を身に着けるのはいかがなものか。俺は大いに賛成である。


 さらに、ぼっちの俺には知り得なかった事実ではあるが、このセクシー教諭、何と朝倉さんの実姉であるということだった。

 なるほど確かに言われてみれば、目元であったり鼻筋であったりは朝倉さんとよく似ている。朝倉さんは学校一の美人であるが、みさき先生(朝倉さんと区別するため、今後はこう呼称する)も負けず劣らずのこれまた美人であった。


 だが、朝倉さんと大きく違うところは、とにかくデカいということである。何がと言えば、白衣の下の第二ボタンまで開けたブラウスから覗く二つの双丘、通称おっぱいである。

 朝倉さんはモデル体型のスラッとしたスレンダー美人であるが、みさき先生は圧巻のボリュームを携えるムッチリ美女なのである。百人の男がいれば百人ともがあの胸の谷間に埋もれたいと願うに違いない。俺だって埋もれたい。


 で、そのおっぱい魔神が、肩のあたりで切りそろえた艶やかな髪を耳にかき上げながら、湿布を俺の足首に貼り付ける。そして、手に取った包帯をゆっくりと絡め取るように巻きつけていく。その間、見え隠れする谷間の影を俺はずっと凝視していた。


 い、イカン、俺の息子よ、静まるのだ、隣には愛しの朝倉さんがいるのだ、その朝倉さんを差し置いて、しかも朝倉さんの実のお姉さまに対して劣情を催すなど、不貞行為の最たるものではないか、そうだ、俺は朝倉さんに操を立てるのだ、これは俺の朝倉さんへの愛が試されているのだ、さあ奮い立つな、我が愚息!!


 そうして内乱鎮圧の戦いに身を投じていると、作業を終えたみさき先生がすました顔でこう言った。


「ま、捻挫だと思うから、明日になっても痛みが引かなかったら病院行きな。あ、今日はお風呂入んないようにね」


 さすがは保健室の先生である、このあたりの応急処置は手慣れたものであった。いかに劣情を煽り立てるような白衣の魔女であろうとも、教育者としての矜持は備えているようであった。やはりこのあたりは朝倉さんと血を分けた姉妹なのであろう。先刻から無言を貫いている朝倉さんが、何故白目を剥いたまま固まっているのかまるでよくわからない。


「で、アンタたち。一体どんな激しいプレイをしたの?」

「はい?」

「いやあ、アタシもね、さすがに毎日やってると飽きてくるからさ、たまには変化を付けたいんだよね。だから、参考に聞いておこうと――」


 すると、おもむろに朝倉さんが飛び上がるようにして立ち上がった。相変わらず目の焦点が定まっていない。


「もう下校の時間だわ! 中原くん、急いで帰りましょう!!」

「え、あ、でも」

「もう下校の時間だわ! 中原くん、急いで帰りましょう!!」

「あ、はい」


 こちらを見て微笑んだ朝倉さんの瞳は笑っていなかった。普通に怖かった。


「みなと、ちょっと待ち――」

「もう下校の時間だわ! 中原くん、急いで帰りましょう!!」


 もはやガン無視である。

 だが、みさき先生もそんな朝倉さんの扱いは心得たものだった。


「まあ、落ち着きなって。中原くん、その足じゃ一人で帰るの辛いでしょ?」


 一人で帰れなくもないが、辛くない、と言えば当然嘘であった。そりゃあ、誰か付き添ってくれればありがたいが、親に頼るのは気が引ける、とは言え愛花はあとで法外な要求をされそうでどうにも怖い。


「だから、みなと。家まで付き添ってあげな」

「「へ!?」」

「みなとを庇ってこうなったんでしょ、だったらそれくらいのことはしてあげな」

「「で、でも!?」」

「これは、姉としてじゃなくて、養護教諭としての、お願い」


 ニンマリと笑ったみさき先生に、俺と朝倉さんは返す言葉もなかった。

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