形而上の生花
暖花音
青色の瞳の少女
「おきて〜!おきておきておきて!お〜い!!」
幼い少女の声。だんだんと近づいてきて、最後にはほとんど耳元で叫ばれる。耳をつんざく声に、新樹は顔を歪めながら目を覚ました。
新樹は普段は寝起きのいいほうだ。どころか、少しの物音でも目が覚めてしまう。ここまで叫ばれても目が覚めなかったのは、単純に具合が悪いせいだと、身体を起こそうとした瞬間理解した。
頭から世界が揺らぐ不快な感覚に耐えながら身体を起こすと、目の前に、青い何かがあった。丸く海を切りとったような深い青色。つるっとした光を反射する表面。そのまわりを囲う少しざらついた白。──眼だ。今、自分は、大きく丸い眼と向かい合っている。
その瞬間、あまりにも情けない声が自分から発せられるのを聞いた。
「……びっくりしたねえ」
まだ……眼、目をぱちくりさせながらこっちを見ているのは、先程の声の主だった。恐らく小学校低学年くらいの、少女。驚くほど白い肌に、長いふわふわとした白髪を後ろでひとつに結んでいる。何より目立つのは、その顔に大きくひとつ埋まった、瞳だ。白いまつ毛が瞬きの度に揺れるのすら見える。いわゆる単眼……一つ目。分からないのは、その構造だ。表面の曲面から予測できるような眼球が埋まっているのならば、脳が入る場所がないし、目の下からちょんと生えている鼻も、鼻腔が潰されて意味をなさないだろう。想像をして……少し気味が悪いと思ってしまったのを、振り払う。
「おはよう、あらき」
それでいて綺麗な声で自分の名前を呼ぶのだ。新樹は、戸惑い、何を返すか悩んだ。
「……おはよう……?」
「えへ、おはよう!げんき?」
その問いの意味があまり分からないまま、なんとなく返す。
「あ、ああ。元気……ではある。」
「! ふふ、よかった!うれしい!」
少女はぴょんと飛び跳ねて、心底嬉しそうに微笑んだ。
「えっとね、じゃあね、いこっか!」
少女が新樹の手を引いて歩きだそうとする。見た目に反して力が強い。引きずられるようにベッドから降りる。新樹は、立ってみて初めて、ここが異様な部屋であることに気づいた。白い、無機質な部屋。窓と、机と棚と、ベッドだけが置いてある。机周りに私物が置いてあり、やたら生活感があるが、それ以外は、病室のようだと思う。誰のものだろう、と机の上のものに目を凝らすと、写真立ての写真に見覚えがあった。
立ちくらみがする。
少女が出口らしき四角い凹みに向かって走り出す。目を逸らしたうちにいつの間にか離れていた手に気づく。このままだとどこかへ行ってしまう。
「待って。あの、君は」
「ん?」
異様な姿につい、一番初めにするべき質問を忘れていたことを思い出す。
「君は、誰なんだ?」
それを聞いた少女は、ぽかんと口を開けた。まずかったか。親しい知り合いだったのだろうか。
「そっか、わすれちゃってるんだ!」
少女は、そうだったそうだった、というように頷いてから、改めて振り向いて、笑顔を作った。
「わたしは、シェル。えっと……ふつうのおんなのこ、です」
不安に反して、少女は予め用意していたように、言葉を紡ぐ。どうみても普通ではないのだが、触れられたくない話題なのかもしれない。
「ん、おまえはあらき!あらき……」
「新樹慎治だ。大丈夫、そこは覚えてる。」
「そっか!あらきしんじ」
シェル、と名乗った少女は、自分に言い聞かせるように、新樹の名前を反芻した。と思うと、何かに気づいたようで、
「ん?どこまでしってる?」
と、問いかけてきた。
そう言われて、やはり自分は記憶喪失らしい、ということに思い至る。おそらく自分はここで生活していた。何か事情があってその事を忘れてしまったのだろう。最後の記憶は、異動になる前の辺りからぼやけている。自分事という実感がないからか、その逆か、冷静に状況を飲み込める。あまり驚かないのは、もともと、自分などどうなってもいいと思っていたからだろう。ここが死後の世界でも、自分の反応はそこまで変わらないかもしれない。
「ここに来る前まで。少なくとも、ここで暮らしていた記憶はない。ここがどこかも分からない。」
夢かも、と頬をつねってみるが、紛い物の感覚ではなくちゃんと痛い。シェルがそれを見て、わけも分からず真似をしている。ほっぺがちぎれてしまいそうで、そっと止めさせる。
「むう そうなんだ」
寂しそうな、嬉しいような、といった顔だ。
「ここはね、えーっと、コクリツケンキュージョ、なんだって」
国立研究所、なるほど、異動先の場所だろうか。窓から街の景色が見えた。
「俺は事故にでもあったのか?」
そう聞くと、シェルは少し考えるような素振りをした。
「たぶん?じこ?ってやつ」
シェルが自信なさげに答えたのを見て、先程シェルが外に行こうとしていた理由に思い至る。そうだ、外に人がいるはず。その人に聞くべきだった。下手に呼び止めたことを申し訳なく思いながら、新樹は扉の方を指さした。
「ごめん。行こうか。外に人がいるんだよね?」
「あ、うん いこういこう!」
おー!と手を振り、シェルは扉を開けた。
扉の先は、白く、長く続く廊下だった。長い廊下にそって、ここと同じような扉がいくつもある。廊下の突き当たりには、大きな扉があった。
「あっちだよ〜」
シェルが廊下を駆ける。走ると危ないぞ、と注意しながら追いかけた。シェルが一足先に扉の前まで着き、立ち止まって新樹を待っている。先程のように開けないのかと思いながら歩いていくと、シェルが扉の横を指さした。そこには四角い縁のようなマークが描かれていた。
「あけて〜」
「……これは……どうやって開けるんだ?」
「あ、いつもはね、なんかあててた しかくいの」
「カードリーダーか……」
探しに戻れば、元の部屋の扉にも、分かりづらいがあの扉のものと同じマークが描かれていた。施錠用だろうか。幸いにもオートロックなどではなかったため、締め出されることはなかった。
机の上に置いてあったカードキーは、首から下げられるようになっていた。新樹の無表情の顔写真が印刷されている。なんとなくそれを手で隠しながら、廊下の先の扉へかざすと、ピッと軽快な音がする。数秒間ジーッと聞こえてから、扉は開いた。
先にあったのは長く幅の広い階段。少し薄暗く、頑丈そうな造りだ。徹底的に白く整えられていた先程とはデザインがうって変わって、鉄骨がむき出しになっている。エレベーターとかではないんだな、病室なのに。他の場所にあったのかな、と思いながら、シェルの後を着いていく。窓がついていないため、不気味な雰囲気だ。
「……変な建物だな。」
何となくつぶやくと、シェルが心配そうにこちらを見返してきた。
「へん?こわい?だいじょうぶ?」
シェルは数段上から新樹の顔をぺたぺたと触る。
「わたしもね、さいしょはこわかったけど でもだいじょうぶになったよ!」
少女は新樹のことを心底心配しているようだった。今まで、どういう関係だったのだろう。そういえば、少女の部屋はどこだったのだろうか。
「ちょっと気になっただけ。大丈夫だよ。」
そう答えると、シェルはまた、「よかった!」とだけ言って階段を登り始めた。
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