愛依は日々成長する

 

 さて、翔士しょうしの世話は基本、母親がしている。

 が、母親は上の子の面倒も見なければならないし、おさんどんや野良仕事もするのでいろいろと忙しい。なので、翔士の子守は守役三人が代わる代わる行っていた。


 子は日一日と育っていき、守役三人はその傍らで成長を大いに楽しんでいた。

 二か月も過ぎれば、目の前で動くものや耳で聞こえたものを目で追うようになり、あやすと喜び、嬉しげに笑うようにもなる。

「あー」とか「う―」などと喃語なんごも出始めたので、何か唸る度にせっせと話しかけてやった。


 その間にも翔士はちょこちょこ死にかけたが、そこは余り気にしない。

 祝血はふりちをもらえば持ち直すので、司凉を呼ぶ符を裂けばいいだけの話だからだ。


 やがて翔士の首も座り、仰向けでごそごそ動くようになり、ふんばれば寝返りもできるようになってきた。


 が、自分で寝返っておいて、翔士はどうやらうつ伏せが嫌いらしい。苦労の末にうつ伏せになった途端、顔を真っ赤にして「うーうー」と唸り始める。


 そんなに嫌なら大人しく仰向けでいればいいのに……と守役達は思ったが、仰向けにしてやったら再び寝返りに挑戦し始める。

 何がしたいのかよくわからない。



 さて、生まれたての頃は猿のようだった翔士も、この頃にはふっくらと赤子らしい面立ちの子になっていた。

 色も白く、目鼻立ちも整っているので、見ていてとにかく愛らしい。

 

 ある日宜張ぎちょうは、寝ている翔士の口元を面白半分に指で突っついてみた。

 司凉の指に吸い付く様子が大層愛らしかったので、寝起きならうまく騙されるかなと思ったからだ。


 祝血だと思った翔士は、喜々として宜張の指に吸い付いたが、血が出てこないので何かおかしいとすぐに気付いたようだ。

 暫く指をくわえていたが、やがて思いっきり眉間に皺を寄せて、ぷっと宜張の指を吐き出した。

 顔を覗き込むと、今まで見た事もないような、ものすごくへちゃむくれた顔をしている。


 すげえ顔……などと宜張が面白がっていられたのはそこまでだった。


 その後、ここにいない祝主を恋しがって翔士はふええええんと泣き始め、母親がいくらあやしても泣き止まなかった。

 宜張は妓撫と架耶から死ぬほど怒られる事になった。




 翔士の人見知りが始まったのは、ちょうどこの辺りからだった。

 誰が来てもにこにこと抱っこされていたのが、ある日急にそれを嫌がるようになった。


 おそらく翔士は人の顔が認識できるようになったのだろう。

 世話をしている母親や守役らには無条件で甘えてくるが、母たちよりも接する頻度が少ない父親や兄姉に対してはちょっぴり壁を作る。


 泣いて嫌がるまではしないのだが、ちょっと不満そうな顔をする。

 こいつの顔は見た事があるから、まあ、近付くのを許してやってもいい。そんな上から目線の態度で抱かれてやっていた。


 他の奴らとなると、その反応はもっとあからさまだった。

 遠目に見ている分にはいいのだが、距離を縮めるとだんだん嫌がり始める。女衆ならまだ我慢できるようだが、いかつい男達となると顔を見ただけで泣くようになった。


 泉恕せんどには同胞はらかららが見回りと称してふらりと立ち寄る事が多かったのだが、そうした依人の中で最初に敵認定をされたのが、架耶かや祝主はふりぬしである佑楽うらくだった。

 佑楽はひと月に一回泉恕を訪れていて、その度に翔士の相手をしてやっていたのだが、この日に限っては勝手が違った。

 いつもなら能天気に愛想を振りまいていた子が、あからさまに佑楽を警戒し始めたからである。


「何でだ?」

 首を傾げる佑楽に架耶は苦笑した。


「人見知りが始まったの」


 佑楽は上品な物腰をした優男やさおとこなので、翔士も顔を見ただけで泣くという事はしなかった。

 ただ、佑楽がゆっくりと距離を縮めていくと、怯えたように架耶にしがみつき、最後には「ふえーん」と泣き出した。


「ひと月に一回は顔を出していたんだがなあ」

 忘れられた佑楽はぼやくように溜め息をついた。

 可愛がっていた子に怖がられるというのは地味にきつかったようだ。


「それはそうと、あれは一体何だ?」


 佑楽は架耶の胸に顔を埋めて泣いている翔士の後頭部を指さした。

 柔らかな黒髪が頭全体に生えているのに、その部分だけが何故か丸くハゲあがっている。真後ろを向いているので、それがひどく目立っていた。


 真横にいた宜張が、ああ、あれかと肩を竦めた。


「あいつ、まだ寝がえりが下手でさ。基本的にいつも仰向け。で、最近、足で蹴って上にずり上がるという技を覚えた」

「ほう」


「そうすると、頭のちょうどあそこら辺がこすれるらしい。で、その部分の髪の毛がなくなった」

「……なるほどな」


 顔立ちが可愛らしいだけに、あのハゲはかなり見た目が強烈だ。


 実を言うと、ついこの前司凉しりょうが来て、翔士の後頭部のハゲを見て絶句していた。

 明らかに衝撃を受けた様子で目を逸らせていたが、理由を聞いてこなかったので宜張は何も言わなかった。


 司凉は一生アレだと信じたようだが、ずり上がりが止めば、そのうちあの部分にも毛が戻ってくる。

 どうせわかる事だから、わざわざ教えなくてもいいだろう。



 でもまあ、髪の毛問題はいずれ解決されるからいいとして、翔士は本当に手の掛かる子だった。

 相変わらずちょっとした事で風邪をもらい、律儀に昇天しかける。

 いっそ見事なほどだ。

 その度に司凉が都から駆けつけて来て、翔士に血分けする羽目になる。


 そしてこの祝血はふりちが翔士は大好きだ。滋養に溢れているだけでなく、愛依ういとっては極上の甘露ともいえる代物だからだ。

 だから涎が出るようになった翔士は、最近は司凉の顔を見ただけで、だーと涎を零すようになった。

 

 


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