リナリアの終末

九重杏也

第1話

 ひらひらと本棚の隙間から落ちた紙切れには、こう書かれていた。


『世界の終わりを回避したければ、今すぐ屋上に来て』


 誰かの意味の無い悪ふざけだろうけど、僕には不思議と魅力的に感じた。


「どうだもっちー。目当ての本はあったか? ……何見てるんだ?」

「わっ!? 和弘か。別に何でもないよ。そうだねこれに決めた」


 今しがた手にした本を掲げてアピールしつつ、平静を装ってもう片手に掴んでいた紙切れを握りこんだ。

 それから図書室を後にした僕は和弘と別れ、気が付くと屋上へと続く扉の前までやってきてしまった。

 どうせ鍵がかかっているんだと高をくくっている。

 でも、ここまで足を運んでしまった。

 スランプだから? 手持ち部沙汰だったから? 

 ……でももしも、本当にもしもだけど、求める景色があるんだとしたら?

 僕はきっと期待している。落胆する事が目に見えているだろうに。

 それでも、試しにと、手を伸ばした。

 予想に反して扉は容易に開いてしまった。


「うっ、寒っ」


 先日までの気候がウソのような秋。

 生憎の曇天で、柵に囲われてもいない危険な屋上に、彼女はいた。

 長くて黒い髪をなびかせてこちらを睥睨している。


「ねえ、どうしてこんな所に来たの?」


 本来なら立ち入れない筈の彩りの淡泊な屋上で、当たり前のような疑問を彼女はつぶやく。


「えーっと、図書室で変な紙切れを見つけて、気になって」

「それだけ?」

「はい。それだけ、です」


 別に高尚な理由なんて無い。あるのはありふれた好奇心や葛藤だ。


「そう……キミが、見つけたんだ」


 彼女はそれから目をつむってひと呼吸置いて、


「世界は終わりを迎えるの」


 厳かに語る。


「ここは終末の世界。3日後に世界が滅ぶの。その間、私とここで過ごしてほしい」

「……それってどういう――ぐっ!?」


 突然に吹き荒れた風に遮られ、僕は腕で目を抑え込んだ。

 すぐに治まって前を見ると、彼女の姿はそこには無かった。


「明日の放課後、ここで待ってるから。じゃあね」


 振り返ると、彼女は今にも屋上から立ち去るところだった。


「待って! あの、名前を教えてもらってもいいですか?」

「名前……そうね、私、リナリアっていうの」

「……は?」

「よろしくね」


 そう言い残して彼女は屋上を去っていった。


「何その名前……?」


 ひとり取り残された僕は、所在無げに辺りを眺める。

 遠巻きに見える街の景色はモノトーンに見えて。

 空には分厚い雲が垂れ込めていて、見上げていると腰が重かった。


「……帰ろう」


 粟立つ肌をこすりながら、僕もすぐさま屋上を後にしたのだった。



「おっ望月くんじゃん。やっほー元気してる?」


 校門を通り抜ける際に、背後から声をかけられた。


「あっ、美智子部長。お疲れ様です」

「はいお疲れー。ホント多忙とインスピレーションが大暴れして、芸術の秋ががなり

たてるのよ。おかげでヘトヘトだわ。途中まで一緒でいい?」

「はい、大丈夫ですよ」

「おっけーおっけー。それじゃあ行こう」


 僕と美智子部長は連れだって歩き出した。


「先週も今週もすみません。どうにもわしゃくしゃしちゃって」

「わしゃくしゃとは面白い言い回しだね。うむうむ、大いに悩みたまえ。その葛藤がキミを強くするのだ」


 美智子部長はあっけらかんと言うが、僕には沈鬱さがかさむ。


「夏休み中に難所は超えてるから、美術部は平和なもんさ。それにクラスでの準備に協力してたんでしょ? いやーっ、見上げたもんだよ」

「……大したことはしていません。あらかじめ、文化祭準備はあまり手伝えないと言ってあったので。小さな雑事を頼まれる程度で、サボってるようなものです」


 そう、今週末は文化祭がある。ただ僕はクラス内での準備に消極的だった。


「ほほー、それは期待されてるね。流石は我らのホープだ! コンテストも楽しみだね」


 僕の所属する美術部は、秋にはコンテスト用の絵を描いて応募するという目標がある。期限はかなり先だが、無理にでも構成くらいは考えておきたい。そう思って図書室に資料を探しに行ったのだが、未だに漠然としていた。


「今はてんでダメですけど。それに、今日は途中で抜け出しちゃいましたし」

「ありゃ、そのわりには帰りが遅いけど? 何かあったのかニャーン?」

「ええ、まぁ……」

「ほれほれ、おねえさんに話してみなさいな」


 言いとどまっている僕の顔を、美智子部長はのぞき込む。


「絵のこともそうだけど、君はもっと他人を頼ってもいいと思うんだ」


 声音が変わった美智子部長は、いつにも増して真剣な表情をしていた。

 普段は飄々としてる人で、時折り怖くもあるが、頼もしくもある。

 あるいはそれが部長の貫禄だろうか。

 ブウウウウウウウンとひと際大きな音を立ててバイクが通り過ぎていったところで、


「……今日、変な女生徒と会ったんです」


 ようやく言葉をこぼした。白状、と言っても過言じゃないだろう。

 流石に屋上でとは言えないけど。


「ほうほう。それで?」

「世界が終わりを迎えるとか、ここは終末の世界だと言ってました。それから、明日も待ってるって」


「何それ!? なんという、ボーイ・ミーツ・ガール!!」

「……どうしてそんな我が事のように舞い上がってるんです?」

「面白そうだからよ!」 


正直なところ、こうも楽観的なのが恨めしい。この時期は特に。


「それで、終末って何ですかね?」

「さてねぇ。終わりを迎えたら唐突に人類が滅亡するとか? っひゃー、だとしたら傑作ね。芸術は、爆発だわ!」


 美智子部長は冗談めかして言った。そりゃそうだ。3日後、世界が滅びるなんて突然言われたってピンと来ない。根拠も理由も無いのだし。


「それで、明日も会いに行く約束なのね?」

「それは、どうでしょう? 気になるような、気にならないようなです」

「悩む事無いじゃないの。終末ってのはさっぱりだけど、その女の子は待っているわ。それとも、望月君は薄情な人だったのかな?」


 僕はドキリとして立ち止まる。わしゃくしゃとしたわだかまりが際立ち、言葉も詰まってしまった。


「ふっふふ~ん」


 おもむろに美智子部長はスキップをし、目前の交差点で立ち止まった。


「楽しい話が聞けて満足よ。探し物が見つかるといいわね。それじゃ私はこっちだから、まったね~」


 それから駆け足で去ってしまった。

 遠ざかる後ろ姿を見送り、残された僕はひとり家路につくのだった。

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