春を探すこどもたち

さかな

プロローグ

二つの血を受け継ぐ子

 びょうびょうと風雨が吹き荒れる嵐の夜。天地を引き裂くように鳴り続ける雷の音に紛れて、分厚い天幕の中からかすかに赤子の産声が上がる。入り口を守る男たちがその声を聞いて弾かれたように顔を上げた。


「無事に産まれてしまわれたか……」

「いっそ流れるか、死産であればどれほど良かったか」


 二人の男たちは顔を見合わせてため息をつく。入り口を覆う布の隙間からは、かすかな光と声が漏れ聞こえていた。

 豪奢な天幕の中央に横たわる女は、違う部族から嫁いできた娘だった。赤子の声は聞こえるのに、いつまでも腕に抱けないのを不審に思ったのだろう。灰色の瞳を潤ませて、女は隣に控える産婆に震える声で問うた。


「私の子はどこ……?」

「恐れながら、息をする様子がおかしかったので医者へ見せている最中でございます」

「そんな……!! ああ、お願いよ。私の子を助けてあげて」


 悲痛な声を上げて力なく瞳を閉じた女の手をつよく握りしめたあと、産婆は赤子を抱く侍女にそっと目配せをして天幕を出た。目指す場所は一番はずれにある小さな天幕である。急く心を落ち着けて、暗闇に紛れて慎重に天幕を目指す。名を告げると戸をふさぐ布の向こうで、入れと男の声がした。


「ここへ来るまで、誰にも見られなかったか」

「はい、奥様には赤子の様子がおかしいから医者に見せると伝えて、天幕を出てまいりました」

「そうか……許せ、アイラ。これもすべて子を守るためなのだ」


 燃えるような赤い髪をした男は侍女から素早く赤子を受け取り、布をめくった。自分によく似た赤い髪に、母親から受け継いだ灰色の目をした男の子だった。強く生きろ、と祈るように呟いて、傍に控える女にそっと赤子を手渡す。目深に布をかぶり顔を隠した女は優しく赤子を腕に抱き、あやすようにゆらりと動かした。


「確かに受け取りました。これからは命に代えてもお子をお守りいたします。いつか、本当の姿であなた様にもう一度お目見えできる時まで――」

「頼む。しばらくはここを離れ、山の奥にこもって暮らすが良い。必要なものはすべて届けさせるゆえ」

「承知いたしました。クルムズさまのお心遣いに感謝いたします」


 赤子は秘密裏に交わされる言葉を何も知らずに、ふやふやと声を上げながら泣いている。嵐が止んだらすぐここを離れます、と赤子を抱いた女は恭しく頭を下げて、天幕の奥へと下がった。

 産婆と侍女は目の前の主に一礼をしてから天幕を出た。これからが自分たちの本番である。どうかあの子供が生きられるように、精いっぱいのことをしなければいけない。覚悟を決めた様子で二人はまた別の天幕へと急ぐ。この集落で二番目に豪奢な天幕であるそこは、族長の第一夫人のいる場所だった。


「ニェニェ、首尾はどうなの?」

「ユウィさま。すべて滞りなく終わっております。赤子は……死産だったとクルムズ様にはお伝えしました」

「あの女には伝えた?」

「まだお伝えしておりませぬ。一晩希望を抱かせてからのほうが、知ったときの絶望も深くなりましょう」


 そうね、と産婆の言葉に微笑んだ第一夫人は自分の丸い腹を慈しむようになでた。これであなたは赤鷲族を束ねる族長の正当なる後継者になるのよ――そうつぶやいて、ユウィは立ち上がる。頭を垂れた産婆と侍女にそれぞれ金砂の詰まった小さな袋を手渡し、彼女はそっと微笑んだ。わかるわね、と念押しするような視線に二人は深く頭を下げて、静かに天幕を辞した。


「……ニェニェさま……」

「何も言うでないよ。今夜のことは何もかも忘れて、ゆっくりお眠り」


 なにか言いたげな年若い侍女の言葉を遮って、産婆は首を振った。自分たちは主の命に従っただけであり、それ以上のことは何も知らないのだ。余計な詮索や噂話は身を危険に晒すもとである。こういうことは、早く忘れるに越したことはないのだということをニェニェはよく理解していた。

 侍女はそっと唇を噛み、悲痛な顔でほろりと涙を流してから背を向けて立ち去った。その後ろ姿を見送ってから、ニェニェも自分に与えられた天幕へと歩き出す。あとニヶ月もすれば、今度は第一夫人の出産に立ち会わなくてはならない。侍女にすべて忘れろといったのは自分のはずなのに、見えない棘のようなものが深々と胸の奥へ突き刺さっていた。


 嵐は止むことなく天幕に風雨を叩きつけている。まるでこれからの赤鷲族の行く末を予見しているかのような、ひどい嵐だった。

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