第3章-6

 それから二日後。唐突として僕達の保健室登校が終了した。どういう経緯で決まったのかは分からないけれど、とりあえず溝畑先生から教室に戻っても良いと登校時にお達しがあったのだ。

 戻っても良い、という言葉には『別に戻らなくても良い』というニュアンスが含まれていた。それは僕や輝耶に向けられたものではなく、雷に向けられている。僕と輝耶は、つまるところ被害者でも加害者でもない訳で。いや、輝耶は加害者と言えば加害者なんだけど、直接的な中心人物は雷であって、僕達では無いという事。


「僕は教室に戻るよ」

「私も~」


 輝耶は頭の包帯を指差して、気にしない気にしない、と笑った。すでにネットは外されていて、今は包帯だけ。ちょっとしたハチマキみたいな感じになっていた。


「……私も戻る」


 雷は少しだけ考え、静かに頷く。顔は晴れやかなんだけど、何か少し泣きそうな表情に感じた。


「大丈夫か、雷?」

「うん、大丈夫」


 気丈という言葉が僕の頭に浮かんだ。それでも、雷は美少女らしく儚げではあるんだけど。

 とりあえず、全員が保健室登校を終えるという事で溝畑先生が元気に送り出してくれた。頑張れ若者達よ。大人からの無責任な応援。でも、まぁ、仕方ないか。僕達の人生は、大人がどうしようとも、責任ある結果に行き着く訳がない。

 通り慣れた廊下も、登り慣れた階段も、少しだけ緊張する。まだ朝という時間帯なので、登校した生徒や朝錬を追えた生徒達で賑わっている。そんな中を、緊張の面持ちで僕達は教室を目指した。

 当たり前だけど、何の苦労もなく教室まで辿り着いた。扉は開きっ放しで、中の様子がチラリと見える。逡巡した後――まぁ、考えても始まらないと思って、そのまま教室へと入った。


「おっ、おかえり! お勤めご苦労さまです!」


 そんな風にクラスメイトが声をかけてくれた。輝耶や雷にも、同じ様にクラスメイト達が声をかけてくれている。

……なんだ、どうって事ないじゃないか。


「それじゃぁ悪の組織の幹部みたいじゃないか」


 なんて冗談で返しながら、僕は自分の机へと戻ってきた。なんか、ようやく落ち着いた気がする。これからだっていうのに。まだ、雷の問題が残っているっていうのに、僕は落ち着いた様に、息を吐いた。


「七津守さん」


 その声に、その言葉に吐いたばかりの息を飲み込んだ。

すぐ後ろに聞こえてきたのは、棚中の声。慌てて振り返ったら、棚中が雷に話しかけていた。でも、なんか様子がおかしい。棚中は満面の笑みで何か余裕を感じさせる雰囲気だ。対して、雷はまるで敗北者の様に俯いていた。何をそんなに恐れているんだろうか。なぜ棚中は余裕の勝利者然としているか。


「あの時はごめんなさいね、七津守さん。私が短絡的だったわ」

「い、いえ……いいのよ……」


 雷は棚中に目を合わせる事なく、俯いたまま答えた。


「そう。やっぱり優しいのね、七津守さん。許してくれてありがとう」


 そう言うと、ニコリと笑って僕の隣に居る輝耶の元にやってきた。


「輝耶さんもごめんなさい。私が先に手を出しちゃったせいだわ」

「…………うん、まぁあんたが悪いのは確実だわ。でも、雷が許したんだし、私が許さない訳にもいかないわね。あんたを許して、私も謝る。ごめんなさい」


 輝耶と棚中はお互いに頭を下げた。そして棚中は自分の席へと戻っていく。僕へは何の挨拶もなしか。殺されそうなところを助けたんだけどなぁ。


「どういう事だ?」


 答えは期待していないけど、輝耶に聞いてみた。案の定、肩を竦めるのみ。何があったか、どういう状況なのか、色々と考えを纏めようとした時、雷がぼそりと呟く。


「聞いて」


 小さな声だったけど、雷は俯いたままだったけど、僕と輝耶の耳にまで届いた。僕は椅子に跨る様な形で後ろを向き、輝耶は椅子を引っ張り雷の横へ付けた。すでにクラスメイト達は先ほどの棚中と雷の件でザワついている。今更目立つ行為になんら遠慮する事はない。もとより、僕達は目立ちまくってる存在だ。


「……実は昨日、」


 雷の言葉が一瞬詰まる。それでも、何か決意したかの様に雷は話した。


「昨日、先輩にフラれたの」

「は?」

「え?」


 先輩というのは、扇形先輩の事だろう。でも、フラれたっていうのは、どういう事だ? そう疑問に思っていると、雷は携帯電話を取り出し、画面を僕達に見せてくれた。メール画面で、差出人名は扇形先輩。タイトルは、ごめん、とシンプルだった。


『ごめん。部活の後輩と付き合う事となった。それで、君とはもう話さないでくれと頼まれたから、もう会わないし、これっきりメールも送らない。ゴメン』


 たったそれだけの文章。たったそれだけの文章を読み終わった瞬間、僕は立ち上がった。何をしようとしたのか、サッパリと分からない。

ただ、棚中の姿を探した。

笑っていやがった。

こっちを見て、笑っていた。


「みやび」


 輝耶が僕の手を掴んでくれる。思いのほか、輝耶は冷静だったらしい。今度は、事件が起こる前に輝耶が止めてくれた訳だ。僕は、何かドス黒い物を吐き出す様に呼吸をして、再び椅子に座りなおした。


「あずまの完全敗北ね。扇形先輩を寝取りでもしたんでしょ。男ってエロい事されるところ~っといっちゃうでしょ」


 直接的手段に出た訳か? いや、しかし、なんで僕を見ながら言うかな……僕はまだ何にもしてないよ。大多数の中学部同じだ。


「……やっぱり本物の女の子には敵わないか」


 雷は呟きながら苦笑を浮かべた。もっとショックを受けているのかと思ったけど、大丈夫みたいだ。


「やっぱり相手は女の子の方がいいかな~」


 何か人生の重大な決定を今ここで決める勢いなので、僕は慌ててフォローする。


「初めての彼氏候補がバカなだけだったんじゃないか? 色んな男がいるし、一概には言えないと思うよ」

「雅は男の方が良いぞって事?」

「いや、いきなり決めてしまうのもどうかと思うだけ。雷自身、自覚も何も無いんだろ? だったら、まだ決めるのは早いじゃないか。男とも女とも両方付き合ってみて、考えてみたらどうだ?」

「そうよそうよ。というか、あずまは誰か好きな人いないの?」

「好きな人か~」


 雷が顔を起こし、辺りを見渡す。なんだなんだ、と男女がこちらを見てきた。


「う~ん……付き合うんだったら輝耶ちゃんかなぁ」

「わたし?」


 輝耶は自分を指差す。あら、びっくり。意外と近くに候補者が居たものだ。


「でも、友達だもんね。なんか違うなぁ~」

「う。面と向かって違うって言われると何か傷つく……」


 あははは、と笑うと輝耶に睨まれた。すいません。

 まぁ、なんにしてもだ。日常が戻ってきたのには違いはない。雷が棚中に完全敗北をしたという不名誉な結果はあるけれど、それを除けば元の平和な日々がまたやって来る。それだけでも、良し、としよう。

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