第11話 緑なす 梢のむこうに・1


 緑地を駆ける灰色狼の下、軍議室に居並ぶは東の砦の首脳陣だ。

 騎士団長ヴァンサンに奥方イズー、副団長ナイジェル、アラン卿をはじめとする十数名ほどの年長の騎士たちに、質素な長衣に身を包んだ長老たち。いずれもが、砦とそこに生きるものたちの行く末をあずかる務めを負っている。


 彼らが坐す場の中央に構えるのは、重厚な造りの大きな円卓――はるかな昔、アーケヴを治めていた王がなべての者と公平に語りあわんことを願い、当代一の名工のもとへ何度も足を運び制作をこいねがったという品だ。

 けれども、そのような誇らしい言い伝えを持ちながら、円卓はのち王に代わりくにを預ることとなった大公には無用の長物と見なされ、東の砦へと追いやられる憂き目にあった。支配者たるものが、何ゆえ支配されるものと同じ席に座さねばならぬのだという言葉とともに。

 以来、円卓の存在は宮廷人の記憶に留められることもなく、歳月だけが流れていったのだが――十年前に<狼>たちの新たな長として砦にやってきたヴァンサンによって再び見いだされることとなった。

 号令のもと倉から運び出され、丁寧に修繕を施され磨き上げられた円卓を目の当たりにして、昔日の雄姿に思いを馳せる余裕などなかったらしい。畏れおおくも大公家に伝わる由緒ある品でありますぞ、それをお許しもなくこのようにと顔色を変えた家令だったが、

「なに、倉にあるのはがらくたと大公閣下からは聞き及んでおるぞ」

 気にするふうもなく、ヴァンサンは円卓を軍議室に運ぶようにと下働きの男たちに命じた。先代の騎士団長をはじめ多くの<狼>たちを喪った戦いの折、室にあった卓もまた魔物によって打ち壊されてしまったからだ。

「賢明なるアルトリウス王とて、託した<おもい>を己が裔にないがしろにされてはお嘆きであられよう。ならば、我らがちと拝借したところで罰は当たるまい」

 陽も射さぬ場所に捨て置かれ朽ち果てるのを待つばかりだった円卓と、敵方の女子供にかけた情けを咎められ宮廷から追われた老騎士と、互いに通じるものがあったのか。

 もしかすると、王は我らにご加護を賜られるやもしれぬぞと豪快に笑い飛ばしたヴァンサンに、家令はただ唖然とするしかない。

 そんな男に向かって、好きにさせておくがいいと苦々しい面持ちで言い放ったのはナイジェルだった。何の因果か、若い頃から散々付き合わされるはめになった男を止めるには、心身ともに相当な労力を費やさねばならぬことをよく知っていたからだ。

 まあ、こんなてんまつを経ながらも――いにしえの王が<おもい>を託した円卓は、こうして今を生きるものたちを同じ場に集わせ、様々な事柄について議論を交わす場を与えていた。


「では諸卿がた、この件については可決といたすがよろしいか」

 議長をつとめるアラン卿が居並ぶ者たちを見渡したとき、ボースのネヴィルと呼ばれるひとりの騎士が手を挙げた。

「待たれよ、七班の編成について今一度再考を願いたい」

「七班? たしか、エクセターのギルバートを充てたはずだが」

 あれにはダウフト殿の守りも務めてもらわねばならぬゆえと、砦に詰める騎士や兵士の名が記された紙を見やったアラン卿だったが、

「七班にデュフレーヌのレオが加わっておるぞ。一体いつ」

 驚きとともに顔を上げた卿の言葉に、それがあらかじめ予定されていたことではなかったと知った騎士たちの間にどよめきが走る。

 前年に比して激しさを増すであろう魔族の侵攻に抗するため、戦死や行方不明、負傷のために生じた欠員を補わんと急遽まとめ上げられた編成だった。

 首府エーグモルトからの増員が到着する予定は翌月、魔族が蠢きだす時期に重なる可能性が高いとの報告もある。今まで、騎士団長の要請になかなか応じようとしなかった宮廷がここにきて急に態度を変えたのは、かつてその牙を疎んじ東へ追い払った<狼>と、聖なる剣に選ばれた村娘の存在を軽んじることができなくなったためであるらしい。それを皮肉って、首府の腰ぬけどもと魔族とかたつむり、いったいどれが早いやらと、若い騎士や兵士たちの間ではひそかに賭けの対象にすらされているほどだ。

 だがもし、魔族が先に砦へと押し寄せてきた場合――ふもとの町から兵を募り、騎士見習いをはじめ馬丁や鍛冶場で働く少年たちをも駆り出してもなお足りぬであろうことも、首脳陣の間では厳しい面持ちで話しあわれていた。


「現状を鑑みた上での配置か、遊びとは訳が違うのだぞ」

 デュフレーヌのレオが、日頃からエクセターのギルバートに挑むような態度を見せているのは誰もが知るところだ。どう考えてもうまく行くとは思えぬ騎士との相性もさることながら、半月後には新たに騎士となる年長の若者たちをさしおいて、わざわざレオを編成に組み入れたのはなぜかと問うボース卿に、それまで黙って腕を組んでいた副団長が口を開いた。

「加えたのは俺だ」

「正気か、ナイジェル」

 驚くボース卿に、<狼>の要たる騎士は鋼にも似た灰色の双眸を向ける。

「離したところで所詮は同じ、己が牙のあかしを立てようと挑む。それが魔族どもにも通用するのか、小僧が身をもって知るにはいい機会だろう」

 牙が脆ければ生命を落とすだけよと、十三の齢を数えた頃から数々のいくさ場を駆け抜けてきた男のいらえはじつに淡々としていたのだが、

「ナイジェル」

 遠い故郷で己が帰りを待つ息子の姿が脳裏に浮かび、ボース卿は思わず椅子から立ち上がる。

 このような時世だ。若い者たちが武運つたなく敵に敗れ、野に屍をさらすさまなど幾度となく見てきた。だが、我が子とそう歳の変わらぬ少年にも酷いさだめを強いるに等しい副団長の言葉が、卿には聞くに堪えぬものに響いたようだ。

「おぬしには情というものが通っておらぬのか、何もあのような」

「小僧が砦に留まったのは何のためだ。ぬくぬくと守られておればよかったものを、とねりこの庇護を飛び出してまで<髪あかきダウフト>のもとへと馳せ参じたわけは」

「まだ十五にもならぬのだぞ、急ぎ死地へ追いやるような真似をせずとも」

「子供だからと奴らが情けをかけるとでも? ならば聞くが、オードやウォリックが灰しか残らぬ地になりはてたのはなぜだ」

 父であるがゆえに、子供さえいくさ場に立たねばならない現実に納得のいかぬ騎士と、無辜の民が命乞いの暇もなく死のあぎとに砕かれる苛酷を見続けてきた騎士と。互いに譲れぬものを抱く男たちを鎮めるかのように、ふと響いたのは涼やかな笑い声だった。

「ネヴィル殿。愛らしき子犬は猛き狼やもしれませぬ」

 過ぎし夏に、レオの望みを聞き届け砦に迎え入れた貴婦人は、灰青のまなざしに笑みを含ませる。

「狼を御すならば狼の牙を以て。そうお考えになられたからこそ、ナイジェル殿とてかような言葉を口にされたのではありませぬか」

「イズー殿、とねりこの侯子がそれだとでも」

 怪訝そうなボース卿に、被りものゲベンデに包んだ頭をわずかにかしげ、

月牙狼げつがろうやもしれませぬ」

 人が踏み込むこと能わぬ樹海の奥に坐す、美しくも怖ろしい森の王を挙げてみせた奥方に続いて、泰然と口を開いたのは騎士団長だった。

「早すぎると言い聞かせたところで納得するまい。あれはむしろ、いくさ場に放り出すことで為すべきことを見いだしてゆく者であろうよ」

 名もなき騎士の息子として生を受け、自ら往くべき道を切り開いてきた老騎士の言葉には迷いがない。いまアーケヴを覆いつくさんとする暗雲に、父祖の勲を誇るばかりで何ら実のある行動を起こそうともせぬ諸侯の中、デュフレーヌははるかにましであるからなと評した夫君を、まあと呟きながら奥方が見やる。

「たんと砂埃を味わっても、悔し涙どころか相手を睨み返すような小僧だ。あしらい方はエクセターがいちばん心得ておるだろう」

 妙なところばかりユーグに似おってと、レオの祖父にあたるとねりこの老侯の名を挙げてぼやいたヴァンサンだったが、

「なつかしゅうございますわね、殿」

 婉然と笑む奥方に、何だかうまくかわされてしまったような気がしたものの。ヴァンサンは気を取り直してふたりの騎士へと向き直る。

「つぎはぎだらけの寄せ集めとはいえ、贅沢など言っておれぬのが我らの現実だ。まずはこれで動かしてみるしかあるまい」

 何かとエクセターに突っかかるのは、まあ愛嬌とでも思えと諭す<狼>たちの長に、

「……承知」

「致し方ありますまい。ですがわずかでも問題があれば、私は編成からデュフレーヌのレオを外すよう進言いたしますぞ」

 昂ぶりつつあった感情を、奥方と騎士団長によって凪ぐかたちとなった副団長とボース卿がそれぞれにうなずくと、居並ぶ騎士や長老たちの間にもどこかほっとした空気が漂いはじめる。

「どうにか動き出しそうじゃの。また<帰らずの森>へ赴く時がめぐってきたゆえに」

「若い連中が、血気にはやるのを抑えるだけでも大ごとだて。何しろ冬が長すぎた」

「とはいえ、やはりこの時期ならではのたのしみもありましょう。そら例の」

「静粛に、諸卿がた。若い者たちのことをとやかく言えませぬぞ」

 ざわめきだした室内をふたたび静めたのは、アラン卿の一声だった。結果的に、今回もまた留守役を任されたことを不満に思う表情が見え隠れしていたものの、若い<狼>たちを率いることとなった副団長の代行とあってはと自らを納得させている節もうかがえた。

「殿」

 奥方の促しにうなずいてみせると、騎士団長は椅子より立ち上がり、軍議の終結を宣言する。

「では明後日、<帰らずの森>にてジェムベリーの採取を行うことを<狼>の長たる我が名において命ずるものである。己が務めを果たさんことを、砦にあるなべての者に知らしめよ――以上!」



                ◆ ◆ ◆



「あの、ギルバート」

「何だ」

 砦の一角にある、婦人たちの室。自分を訪ねてきたものの、扉の脇にたたずんだままそこから先へは決して足を進めようとしない黒髪の騎士に、ダウフトは更に問いかける。

「森へは、ベリーを摘みに行くのでしょう?」

「そうだ」

 無愛想な表情も、そっけない物言いもいつものこと。ただ、それを見つめる村娘の心に近頃、少しでも笑ってくれたらいいのにというひそかな願いが加わったことなど、堅物男は知るよしもない。

「どうして、鎖かたびらなんているんですか」

 使えという言葉とともにギルバートがよこしたふたつの品を手に、ダウフトは戸惑った顔をみせる。端に薄紅色のリボンがかわいらしく飾られた蔓編みの籠と、羽根のように軽い希少な金属を使ってしつらえられた鎖かたびらとの何とそぐわぬことか。

「そうか、おぬしがこの件で出かけるのははじめてだったな」

 娘の表情に、ギルバートは己の言葉足らずを悟ったらしい。

「ベリー摘みといっても、そこらの野や森に行くわけではないぞ。<帰らずの森>に入る」

 砦の西に広がる樹海のふたつ名を耳にして、ダウフトは驚いた顔をする。

 かつて栄華を極めた王国の、白いなきがらを抱いて眠る深い緑には、得がたい財宝や森がもたらすさまざまな恵みが隠されているとの噂があった。

 だが、それらを求めて踏み込んだ者たちが二度と戻ってこなかったこと、いくさに揺れるアーケヴの風や大地の気配を感じ取った魑魅魍魎が不穏な動きを見せていることから、今ではどんなに森に詳しい者であろうとも、よほどのことがない限り足を踏み入れようとはしなかったはずだ。

「そういえば、騎士さまたちがずいぶんと忙しそうにしていましたけれど」

 先ほど訪れた詰所で、何やら慌てて鎧兜や武器をそろえていた男たちの様子に、ダウフトはようやく合点がいく。昼間でも血肉を求め人や獣を襲う屍喰らいや、幾度も槍を突き立てようとたやすく斃れぬ魔狼が跋扈する森へ、何の準備もなしに向かうなど無謀以外の何ものでもないからだ。

「<帰らずの森>に入らなくても、ベリーなら近くの野原でも摘めるのに」

「ただのベリーではない、ジェムベリーだ」

 ギルバートが挙げた果実の名に、ダウフトの瞳がまた驚きの色をたたえる。


 掌でころりと転がるほどの大きさと、紅くつややかなさまが宝石のように美しいことからその名がついた漿果。そのまま食したり、菓子や蜂蜜漬けにしてもたいそう美味なことで知られているが、一方では薬草の効き目を格段に良くする癒しの果実としても珍重されていた。

 そんなジェムベリーだが、なぜか魔物うごめく森の奥深く、太古の遺跡が散在するような場所にしか自生しない。どんなに森から大切に持ち出され庭や畑に植えられたとしても、すぐに枯れてしまうのだ。

 水や土、それに風や温度との相性が原因なのか、はたまた人智でははかり知ることのできぬ不可思議のはたらきによるものか。

 古来より多くの園芸家や農芸家がこの果実の謎を解き明かさんと生涯を捧げてきたが、いまだその志を遂げた者はない。錬金術をわざとする砦のヴィダス老も、先達にならって人の手でベリーを育てることはできないものかとあれやこれやと方法を探っては、うまくゆかぬものよのうと茶色く萎れた苗を手にとっては溜息をつくばかりだ。

 そのため、人々がジェムベリーを求めようとするならば、当然森へと赴かなくてはならず――果実そのものの希少さと採取にはたいへん危険を伴うことから、首府エーグモルトでは一粒が銀貨十数枚という高値で取引がなされていた。ジェムベリーが食べたいことを建前に、領地の森へ傭兵たちを魔物の討伐に向かわせたレオのようなふるまいは、大公家にも劣らぬ権勢を誇る侯家の跡取りだからこそ可能であったともいえよう。

「のんきな遊びに聞こえるだろうが、実際は魔物の討伐を兼ねた教練だ。冬の間に身体がなまってはいないか、身をもって証立てなくてはならんというわけだ」

 春をことほぐ女神の恩寵にあずかりたい所だというのに、まったく無粋なことだとギルバートは肩をすくめる。

「それに森で、レオやヴァルターのような見習いたちを魔物に慣れさせなくてはならん。次の戦いが来ればあやつらとて貴重な戦力だ、小鬼あたりなら手頃な噛ませ犬にはなるだろうからな」

「……また、いくさの時期なんですね」

 仲良しの騎士見習いたちの顔を思い浮かべたダウフトの瞳が翳る。

 新たな春が巡っても、不和と争乱の足音は絶えるどころかますますアーケヴに広がってゆくばかりだ。一体いつになったら、空に響き地に満ちるうらみとにくしみとかなしみを目や耳にせずに済むというのだろう。

「ジェムベリーを摘みに行くのも、いくさの支度なんですか」

「採った実の一部は薬草に使われる。だが後は――たしか町の施療院に寄付をしたり、料理長に渡して菓子を作ってもらっていたはずだが」

 ギルバートの言葉に、戦いのためだけに使われるわけではないと知って、ダウフトの顔に明るさが戻る。

「じゃあ、わたしはがんばってベリーを摘みますね」

 魔物のほうは騎士さまたちにお任せしますと笑ってみせた娘もまた、アーケヴの守り姫という名のもとにいくさ場に引きずり出されねばならない現実に、若い騎士は複雑なおもいを黒い双眸に押し隠したのだが。

「ギルバート、部屋から出てもらえませんか」

 唐突に扉を指さしてそう告げた娘に、騎士は怪訝そうな顔をする。

「森へ行くのでしょう。だったら、ラモンさんにも調子を見てもらわなくちゃいけませんし」

「どうして、そこで親方が出てくる」

 鍛冶衆を率いる男の名が挙がったことにも、ギルバートはまるで状況が飲み込めていないようだ。大抵のことには聡いひとなのに、どうして肝心のところになるとこうも鈍いのかしらとダウフトは唇を尖らせる。

「鎖かたびらの具合はどうか、試してみないと分からないでしょう。りっぱな武器も防具も使えなければ何にもならないって、どこかのやかまし屋さんは言っていませんでしたっけ」

 ぐっとつまる騎士を、緑の瞳でじっと見つめると、

「それともギルバート、わたしが着替えるまでここにいたいんですか」

「冗談ではないっ」

 娘の言葉に応じると、エクセターの堅物騎士は即座に部屋から立ち去っていく。

 慌てたように閉ざされた扉をしばし見やり、自分に背を向けたギルバートの横顔がたいそう赤くなっていたことを思いだし、ちょっとからかい過ぎたかしらと呟きながら我が身を守る鈍い輝きを手に取るダウフトだった。



                ◆ ◆ ◆



「いい加減、機嫌を直したらどうだ? 坊や」

 おい弓はこれでいいか、待てそりゃ俺の兜だと、アーケヴの<狼>たちが慌ただしく明日の準備にいそしむ詰所。

 流麗な紋様が柄頭に施された剣を手に取ると、リシャールはさっきから椅子のひとつに陣取ってふてくされているレオに向かって声をかけたのだが、

「坊やじゃないッ」

「おや、言われてむきになるのは図星ということだぞ」

 鋼玉の双眸で睨み返されても、さらりと受け流す。お世辞にも素直とはいいがたい幼馴染をからかい倒している男だが、どこまで真面目でどこまで本気なのか何ともつかみどころがない。

「さっさと支度をはじめたらどうだ。副団長の雷が落ちても知らんぞ」

 そう言いながら、琥珀の騎士は手際よく<帰らずの森>へ赴くための準備を進めていく。

「言っておくが、トマス殿には頼るなよ。騎士たる者、持ち物くらい自分で管理することが基本だからな」

「分かっている」

 つっけんどんに応じながら、荷物をまとめはじめたレオの手際はどうも今ひとつだ。故郷の舘では、黙っていても彼の望みをそれとなく察した召使いたちが代わりに動いてくれていたため、初めから自分の持ち物をそろえたことなどなかったからだろう。

 それでも、大事な若君が苦心しているさまを見かねて手を出そうとした爺やをいいからと留め、再び荷物に向き合うレオの姿に、リシャールはおかしげに琥珀の双眸を細める。何かと騒々しい少年には違いないが、健やかなるとねりこの苗木は少しずつその枝を天に向けて伸ばしつつあるらしい。

 とはいえ、レオが面白くなさそうな顔をしたままであることに気づいて、リシャールはからかうような言葉を口に乗せた。

「まあ仕方あるまい、これも何かの縁と思っておけ」

 果たしてどう出るかと待ってみれば、とねりこ舘のわがまま侯子はじつに分かりやすい態度を見せた。

「どうして僕が、エクセター卿の下に立たなければいけないんだ?」

 予想通りの言葉に、リシャールはやはりなと息をつく。先刻、<狼>たちに通達された新たな部隊編成――自分が任された一隊にレオとヴァルターの名が並んでいることにたいそう複雑な表情を見せた幼馴染に、サイモンとともに黙って肩を叩き同情の意を表わしたことを思い出しながら。

 もちろん、ヴァルターが一人前になるまで面倒を見ることはギルバートの務めに他ならない。どうかよろしくお願いいたしますと、涙ながらに幼い息子を従者として彼に託したのは、古くからエクセター家に仕えてくれた兵士とその妻だったからだ。

 だが、いまだ噛みしめるのは砂埃ばかりのくせに、へらず口と態度の大きさにかけては他の追随を許さないわがまま侯子まで一緒にくっついてきたのはどういうわけなのか。そこが彼には納得がいかなかったらしい。

「おぬしが子守りに向いていただけの話だ」

 懸命の抗議すら副団長にすげなく却下され、エクセターに伝わる古語で天を罵ることばを思いつく限り並べ立てていたギルバートを見て、

「どういうわけかいるんだよな、ああいう星回りの奴というのは」

 しみじみと呟いたサイモンに、リシャールは心から賛同の意を示したものだ。

 とはいえ、今ぶつくさと文句を垂れているこのわがまま侯子――ギルバートがまったく同じ心境だと知ったらそれはそれでまたどういう意味だと騒ぎたてるに違いない。そんなことをリシャールが思ったときだ。

「その言葉、そっくりおまえに返してやるぜ。レオ」

 じつに迷惑そうに口を開いたのは、ギルバートの従者をつとめるヴァルターだった。

 レオともども、この春から<狼>たちについていくさ場に立つことになった点を考えれば、相応の実力は持ち合わせているのだろう。だがヴァルターにしてみれば、半人前は二人で一人ぶんという扱い――それも必ず、わがまま侯子と一緒にされることが相当気に食わぬらしい。

「だいたい、どうしてギルバートさまがおまえの面倒なんか見なくちゃいけないんだ。ダウフトさまをお守り申し上げるだけでもお忙しいのに」

 主従そろって、足を引っ張られるなんてごめんこうむるからなと容赦のないヴァルターに、毎度のことながらレオはかちんときたらしい。

「自分だって面倒を見られる立場のくせによく言うな。剣も槍も、押しが弱いなんていつもエクセター卿に怒られてばかりじゃないか」

「己の力量も顧みずに突っ込んでいく、向こう見ずホッツパーと一緒にするなよな。頭ってのは使うためにあるんだぜ」

「ふん、小鬼が部屋に紛れ込んできたとき、枕かぶって震えていたのは誰だ?」

 深く青い鋼玉と、煙水晶の褐色と。互いに睨みあうレオとヴァルターに琥珀の騎士は呆れかえる。

 寄れば始まる少年たちの喧嘩には、今まで大いに楽しませてもらってはいたが――今後いくさ場のあちこちでもこれが繰り広げられるのかと、少々先が思いやられる。

 気合いだけは一人前のつもりでいる狼の仔を、あやつがどうしつけるかだな。

 子守りを押しつけられた若い狼の不機嫌きわまりない表情を思いだし、そろそろこやつらを止めておくかと言い争う少年たちにリシャールが口を開こうとしたときだ。


「何の騒ぎだ」

 詰所に響いた声に、<狼>たちが一斉に緊張をみなぎらせる。自らも森へ赴く身支度をするために詰所を訪れた、副団長の峻厳たる姿が戸口にあったからだ。

「明朝には備えたか。そこのひよこども、さえずっている暇があったら嘴を研いでおくのだな」

 老いてなお鋭き牙を失わぬ灰色狼の一瞥に、ヴァルターはろくに返答もできずにその場に立ちつくすばかりだったが、

「つつく用意ならば、いつでもできているぞ」

 昂然と言い放ったレオに、周囲の大人たちのほうがぎょっとしたほどだ。

 騎士団長や奥方と並ぶ砦の要、泣く子も黙るボウモアのナイジェル殿に口答えをするなどと、まったくたいした心臓だぜと程なくして落とされるであろう雷を待っていたのだが、

「鶏冠が生えるまで持ちこたえてみるがいい」

 ひよこのさえずりは、狼には毛先ていどのそよぎをもたらしたらしい。片頬をわずかに笑いのかたちに歪めると、副団長は居並ぶ者たちをぐるりと見渡した。

「今回の教練には、<髪あかきダウフト>とレネ嬢も加わる。せいぜい笑われぬような働きを見せることだ」

 ふたりの名を聞いたとたん、<狼>たちは互いに顔を見合わせる。

 森で魔物と心ゆくまで拳で語り合い、ジェムベリーを携えて戻ってくるのは自分たちの役割だが、採れた果実を薬草と調合したり、菓子や蜂蜜漬けの仕込みを行うのは奥方をはじめとする婦人たちであるはずだ。砦の守り姫として、日頃から行動を共にするダウフトが加わるのはまだ分かるが――いくら鼻息の荒さで評判だとはいえ、戦うすべを持たぬ金髪娘まで同行するとはいったいどういうことなのか。

「うら若き乙女御のほうが、おぬしらよりもよほど肝が据わっているようだな」

 魔物うごめく森に赴くと聞いたとき、ひるんだ様子を見せた新米騎士や見習いの少年たちに向かってナイジェルは灰色の双眸を眇める。いやそれはと、困惑した顔を見せる若者たちの中、

「単に、レネの奴がじゃじゃ馬だからに決まってるじゃないか」

 きっぱりと言ってのけたのはレオだった。

 おとなしい赤髪のマリーなど、<帰らずの森>という名を聞いただけで怖ろしさに涙ぐんでしまったほどだというのに。あら、今頃はきっと花がきれいよと怖れる風もなく言ってのけたレネのほうがどうかしているというものだ。

「あいつの鼻息で、魔物も裸足で逃げ出すんじゃないのか」

 およそ当人の前で口にしようものならば、果たして明日の太陽を拝めるかどうかというきわめて不穏当な発言をしてはばからないレオだったが――肝心の手がおろそかになっている今の自分には、まるで思い至らなかったらしい。

「口が減らんな、小僧」

 たいした余裕ではないかと呟いた老騎士の表情に、リシャールをはじめ<狼>たちがこれはいかんッ、と顔色を変えたときにはすでに遅し。



 のどかな青空を眺めながら、南の城壁塔につづく入り口を守る務めについていた、親子ほども歳の違うふたりの兵士。

 すぐそばにある<狼>たちの詰所から轟いた声――副団長の雷に思わずそちらへと頭をめぐらせてみれば、各々武器や防具を抱えたまま大慌てで逃げ出してゆく若い騎士や見習いたちの姿を目の当たりにすることになった。

「何があったんでしょうね、おやじさん」

 耳を塞ぎ、身をすくめながらこわごわと問うそばかす顔の若い兵士に、

「おおかた、とねりこの坊主か生真面目小僧あたりが何かしでかしたんだろうさ」

 あながち間違っていないところが、さすがというべきか。七人の子の父親でもある壮年の兵士はじつにのんびりと槍を構えなおす。

「うちの四番目が、ちょうどあの坊主と同じ歳でな。勢いだけは一丁前なものだから、外で暴れてはよく怪我をして帰ってくるといつも女房が冷や冷やしているもんだ」

「……なんだかやたらとにぎやかになりそうですね。今年の<狼>は」

 <帰らずの森>での教練も、果たしてどんなてんまつをたどることやら。

 互いに顔を見合わせて、天なる<母>へのしるしを切って。森へ赴くものたちの無事をそっと心に祈るふたりだった。


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