魔女の金平糖

大西 憩

魔女の金平糖

 昔、近所の商店街に金平糖売りのおばあさんがいた。

 とても綺麗なおばあさんで、大きなつばのワイン色した帽子を被って真っ白な顔をしていた。

 幼かった私はその人を見かけた時、一瞬ぎょっとした。

 あまりにも綺麗にお化粧をしていたものだから遠くから見ると中年ほどのおばさんに見えるのだが、近寄ってみると初老のおばあさんなのだ。

「ここらへんで金平糖を売っているおばあさんいなかった?」

 母にそう聞くと、「そんな人、聞いたことないわね。」と一蹴された。


 ――幼かった私はキラキラ輝く金平糖に目をとられ、怪しげなワイン色のおばあさんに近寄った。

「これっておかし?」そう聞いた。

 するとおばあさんはくつくつ笑って、一つ私に金平糖をくれた。

「これはね、アンタのお願いをかなえてくれるお星さまだよ。」とおばあさんは言った。

 私は「そんな大それたものを貰ったのか」と申し訳なくなって手持ちの十円をおばあさんに差し出し、そそくさと家へ帰った。


「確かにここで買った気がするんだよなあ。」

 久々に母と近所の商店街を散歩した。もう7割ほどお店は閉まっていてちょっとしたシャッター街になっていた。

「いろんなお店があったからね、そういう人もいたかもね。」

 母はそういって、《テナント募集中》になっているカフェの跡地を覗いた。

「ここ、若い頃よくお父さんと来たなあ。」

 漆喰で塗られた古惚けている壁に母は手を付けた。

「ここね、プリンアラモードが美味しかったのよ。ちょっと高かったけど。」

 私の物心がついたころにはもう閉店していたカフェが、母の若い頃にはここに人が行き交いプリンアラモードを提供していたかと思うと感慨深かった。

 しばらく歩くと、古惚けたブティックの前に出た。日の当たる南側の店で、かわいらしいレース柄の軒先テントは茶色く汚れていた。

「ここはずっと潰れないわね。」

 母はそういってブティックの前を通り過ぎたが、私は目を奪われた。

 あの日、金平糖売りのおばあさんがかぶっていたワイン色の帽子が飾られていたのだ。

「お母さん、この帽子。さっき話したおばあさんが被っていたのよ。」

 私が指をさしてそういうと、母は「おばあさんはよくこういう帽子被るじゃない。」と言った。

 そういって母は足を止めもせずにさっさかと先へ行ってしまった。私は後ろ髪を引かれる思いで母の後を小走りで追った。

 それからというもの、あのブティックが気になって仕方がなかった。

 しばらくしてからもう耐えられなくなりある休みの昼、家を一人飛び出て商店街へ走った。


 ――「アンタ何歳だい?」

 ワイン色のおばあさんはそういって、手元の雑貨をいじくっている。

 私は手元で指を四本立たせておばあさんに向けた。

「4歳?すごいね、一人でここまで来たの?」

 感心したようにおばあさんは言って「じゃあ今日はオレンジジュースでも一緒にどう?」と言った。

 そういっておばあさんは音もなくいなくなって、静かに戻ってきた。

 手には冷たくてほんとの橙色をしているオレンジジュースがあった。私はそれを受け取り一口飲んだ。

「おばあさんは、魔女?」と聞いた。


 日当たりのいい店舗の中に、明かりは灯っていない。しかしシャッターも降りていないし、扉には色褪せた『OPEN』の札が下がっていた。

 私は扉を押し入った。すると、重たいガラス戸がゆっくりと開いた。

 中にはカギアミのベストや、花のブローチがあしらわれたトップスなどが飾られている。

 年配向けの服が多いが、中には水玉の若々しいワンピースなども混ざっていた。

 しかし、金平糖なんかは売っていないようだった。まあ服屋なのだから当たり前かもしれないが私は少しがっかりした。

 店内を見渡すと、店舗の奥に小さな座敷があるようで、そこをぐぐっと覗き見ると小さなおばあさんが座っていた。

「あ、こんにちは。」

 目が合ったのでそういったのだが、おばあさんはぼんやりと頷き微笑むだけだ。

 色白でかわいらしい、お饅頭がしぼんだような小さいおばあさんだ。

「ここって、いつからやっているんですか?」

 そう私から問いかけると、おばあさんはゆっくりした動作で座敷から降りてきた。

 そしてこれまたゆっくりと、レジ横に置いてある椅子に腰かけた。

「アタシはね。」

 小さくてかわいらしいおばあさんは思ったよりもはっきりと喋った。

「ハタチん頃から、ここで店やってんの。」

 おばあさんの垂れた瞼からちらちらと覗く瞳は鈍い灰色だった。

「今はおいくつなんですか。」

 と、私が聞くとくつくつとおばあさんは笑った。

「もう90ですわ。」

 少し恥ずかしそうに、口元を手で覆っておばあさんは言った。

 確かに小さくて、どこからどう見てもおばあさんだが、90にしては元気だ。と私は思った。

「お元気ですね。」

「そうさね、元気でなくちゃ、入り口のシャッターも開けれんね。」

 そういって、おばあさんは嬉しそうに話した。所作がとてもきれいなおばあさんで、なんだか少女と話している気分になった。

「そう、クッキーがあるの。お食べになる?」

 おばあさんはそういって、お座敷の入り口近くにゴロンと置かれたクッキー缶を腕を伸ばし伸ばし手に取った。

 私は正直、「いつのクッキーだ?」と疑ったが、缶の様子は真新しそうだった。

「このお店ね、ここいらのおばさまたちのお茶会場になってんの。その時のおすそ分けが、残ってるってわけ。」

 私の疑念の目に気が付いたのか、おばあさんはほっほと笑いながら缶をあけた。

 クッキーの甘い香りがふわりとあたりに立ち込めた。

「おひとつどうぞ。」

 そういって私の前に缶を差し出すおばあさんは、ラブレターを渡す女学生のように可憐だった。

 一つクッキーを貰い、口の中が甘くなるとやっと金平糖売りのおばあさんのことを思い出した。

「おばあさんはここにきて長いんですよね。」

「もう70年にはなりますでしょうね。」

 おばあさんは、クッキー缶に入っていたメレンゲ菓子を口に放り込んで言った。

「ここらで、金平糖売り、はきたことがありますか?」

 私がそう聞くや否や、おばあさんは小首を傾げた。

「そういったものは知りませんね。」

 口の中でころんころんとメレンゲ菓子を転がしながらおばあさんは言った。

「こう、全体的に白いんですけど、黄やピンクがまざったとてもきれいな金平糖を売っていた人がこのあたりにいたはずなんですよ…。」

 そう私が言うと、おばあさんはサクッとメレンゲ菓子を噛み、飲み込んだ。

 私は話しながら、幼い頃の光景を思い出そうと目を瞑った。


 ――手渡された金平糖は、全体が白で、ところどころ琥珀色や桃色の砂糖が組み込まれマーブル状になっている。

 普段見る金平糖とは全く違っていた。口に入れるとそのまま溶けて、甘さだけを残していつの間にか口の中は空っぽになっていた。

 大きなパラソルを差して、初老の女性がワイン色の衣装で微笑んでいる。

 彼女に「お願いはできたかい?」と聞かれ、「かんがえてる間に、溶けちゃった。」と私は答えた。


「ここらへんの外で、パラソルを差して売っていたんですけどね。」

 晴れた外を暗い店内から見ると、まるで絵画のように外は輝いて見えた。

「それって、あれかしらねエ。」

 おばあさんはいつ用意したのか、お茶をすすりながらじーっと天井を見ていた。

「アタシ、一時期この店の前で雑貨売ってたのよ。」

「え!そうなんですか!」

 私は乗り出して言った。やっぱりこの人が金平糖売りのおばあさんだったのだろうか。

「そうね、確かにパラソルを差して。けど、金平糖はわからないわ。」

 そのおばあさんの言葉を聞いて、私はがっくりと肩を落とした。

「あ、あの、店先に展示しているあの帽子によくにた帽子を被っている方だったんですよ。」

 私が思い出したようにそういうと、おばあさんはにこにこと頷いた。

「アレね、アタシの妹の帽子なのよ。もう亡くなったんだけど。」

 おばあさんは店先に展示されたワイン色の帽子を眺めながら言った。

「けどそうね。時々妹にも店番させてたから、あの子かもね。」

 そういっておばあさんはイチゴジャムの乗ったクッキーを頬張った。

「あの子はね、魔女みたいな子でしたよ。」

 おばあさんは話を続けた。

「いつもフラっとやってきて、海外の雑貨を仕入れてくるの。」

「おばあさんは妹さんの持ってきた雑貨を確認したりしないんですか?」

「そんな野暮なことはしないわよ。アタシの妹だもの、良いものを持ってくると信頼してたわ。まあアタシと趣味は違ったけどね。」

 そういって、おばあさんは棚から寄木細工の箱を取り出し、中からカスミソウがあしらわれたかわいらしいブローチを手に取った。

「アタシは可憐な花が好きでね。あの子、妹は派手なものが好きだったわね。」

 そのおばあさんの言葉を聞いて、展示してあるワイン色の帽子に目をやると大きく派手な花があしらわれていた。

「それでも妹さんの趣味を信じてたんですね。」

 私が苦笑気味にそういうと「自分の趣向と違う、新しくって美しいものを見るのって楽しいでしょう。」とおばあさんは答えた。

「けど、アナタの話を聞いていると、その金平糖ってお茶用のお砂糖のような気がするわね。」

 そうおばあさんが言ったとき私自身もなんだか納得がいった。記憶の金平糖はあまりにも早く溶けて、あまりにも素朴な味だった。

「あの子、海外に出てどっかでぽっくり逝っちゃったの。不思議よね、死体も帰ってこなかった。まるで消えちゃったみたいよ。」

 おばあさんはそういって、お茶をすすった。

「私、妹さんのこと魔女みたいだと思って、魔女なの?って聞いたことありました。」

「あら、そしたらなんて?」

「『そうさね、アタシ魔女なのよ』って、おっしゃってました。」

 そういうと、おばあさんはわっはっはと声をあげて笑った。

 店を出るともう外は夕暮れだった。

 あの頃の私は、魔女の金平糖を食べて、何をお願いしたかったんだろうか。

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