もう二度と死にたいとは言わない

 父も母もネガティブな言葉を言うのが癖だった。

「仕事しんどい~」

 なんて。もちろん私にその癖が移るのはとても自然なことだった。


「こんな風にジメジメした日だと死にたくなるなぁ。課題も終わってないし。ね、祈里」

 私は高校のクラスメイトの祈里にそう言った。

「うん。そうだね」

 祈里は私に笑顔を見せた。

 彼女はいつも笑っていた。しんどいことがあっても、つらいことがあっても、笑顔を絶やさなかった。

 なぜそうするのか尋ねたら「笑ってたらつらいこともごまかせる気がしてね」とまた笑った。


 いつだってポジティブだった。嫌なことも前向きにとらえて、次に生かそうとするその姿勢が少し羨ましかった。

 彼女の人生は自分の人生よりずっと幸せそうだった。そうだと思ってた。そうであってほしかった。


 その日、祈里はいつもより活発だった。

 聞き上手な性格なのに、普段とは違いたくさん自分から話した。

 苦手な体育の授業でも、いつもより一所懸命だった。

「祈里。今日調子いいの?」

 そう尋ねると、祈里はいつもよりも明るい笑顔を浮かべた。



 次の日、待ち合わせの場所に祈里は来なかった。その次の日も、そのまた次の日も。


 五日後、教師は、厳かに祈里が亡くなったといった。私は誰よりも驚いた。頭が空っぽになって、現実なのか夢なのかわからなかった。

 朝に言った口癖が頭によぎる。

「あーしんどい~死にたいなぁ~」「死んだら朝起きなくてすむのかなぁ~」

 なんて。


 ただ呆然としていた。それでも時は過ぎていく。いつも通り授業はあって、いつも通り帰路についた。

 なんで死んでしまったのか。事故なのか、誰かに殺されたのか。

 それを考えたとたん、なぜだか急に現実感がやってきた。

 私は電車の中で泣いた。周りの人がざわざわし始めたけれど、私にはノイズでしかなかった。

「君、大丈夫?」

 反射的に、答えていた。

「大丈夫です」

 顔をあげると、その人は安心したような顔を浮かべた。

 席の反対側のガラスに映る顔を見て、自分が笑っていることに気がついた。

 それは、祈里がよく浮かべていた笑顔に似ていた。


 分かりたくなくても、分かってしまった。彼女を殺したのは、彼女自身なんだ。死にたいから死んだんだ。

 祈里は、最後まで弱音も愚痴も言わなかった。

 きっと祈里は、ずっとひとりだったんだ。ひとりでつらさを解決しようとして、誰にも甘えないで、自分だけで何とかしようとして。

 自分だけで何とかしちゃったんだ。誰にも言わず、苦しみや悲しみを解決しちゃったんだ。



 葬式の時に、祈里の親戚にいくつか話を聞いた。

 祈里が母子家庭であることは知っていた。でもそれ以外のことは全部初耳だった。

 借金するほど経済的に困窮していたこと。母親が祈里が死ぬ前の日に自殺したこと。二人とも、遺書がなかったこと。

 気づいてあげられなくて後悔してるといって、その人は泣いていたけど、そんなことはどうでもよかった。

 多分、祈里も祈里のお母さんも、一度も誰かの前で泣いたりしなかったのだろうな、と思う。


 それが解っていても、ずっと泣いてしまう自分が情けなかった。普段弱音や愚痴ばかり言っていた自分が恨めしかった。

 死にたいなんて言う自分より、ずっと死にたい人間がそばにいて、それに気づかなかった自分に、とても強い憤りを感じた。


 私は、もう無意味に誰かにネガティブな言葉を言わなくなった。

 初めのうちは、両親を含めそういう言葉が口癖の人に怒りを感じたが、それも次第に薄れていった。

 これは諦めなんだと思った。私は何を聞いても笑って流した。笑っておけば、つらいのはごまかせる。そう言っていた祈里の気持ちが痛いほどわかった。

 ごまかしたって、消える訳なくて、苦しみは外に出ることができず、ずっと心の中に積もっていく。

 いつか耐えられなくなって、壊れてしまうのだろう。それでもよかった。


 祈里はずっと一人だった。孤独だった。私はあんなに近くにいたのに。


 私だって一人なんだ。孤独なんだ。ごまかしたって、それは変わらない。


 ポジティブに生きるというのは、諦めるということだ。私はもう諦めることにした。祈里を救うことも、祈里を想うことも、祈里を理解することも。


 だから、私は私なりに苦しみを吐き出している。それは匿名の場所で、だれも見ていないところで。


 壊れてしまう直前までごまかし続けられた祈里ほど、私は強くない。だから、吐き出す。


 もうポジティブだとかネガティブだとか、そんな区別はわからないけれど、間違いなく私は今、積もっていく苦しみを抱えて、吐き出しながら生きている。


 そんな私は私自身を、否定しながら肯定しようと思う。


 私は間違っているけど、私はそれでいいと思う。

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