マスク

灰田 青

第1話

 今年の4月に就職して、私の社会人生活が始まると思いきや、在宅勤務を命じられて半年が経ってしまった。こんなご時世とは言え、新入社員にパソコンと業務メールだけ送り付けて半年というのは、ちょっとひどい話だ。

 給与もきっちり振り込まれるし、わからないことがあればメールで聞けば教えてくれるから、何も支障はないのだけれども。

 さて、今日までは何もトラブルはなかったが、つい先ほど、支給されたパソコンが動かなくなってしまった。いつもやりとりしていたメールアドレスはパソコンの中にしか控えていなかったから、職場に電話することにした。職場は基本的にリモートワークだから、電話ではなくメールで連絡するようにと言われていたけど、仕方がない。

 担当部署に電話をかけると、すぐに相手が出た。配属と名前を名乗ってから、パソコンが動かなくなってしまったことを伝えると、支給品ナンバーをたずねられた。パソコンにシールが貼ってあるというが、どこにも見当たらない。現物を確認する必要もあるということで、とりあえず、一度職場に行くよう指示された。

 

 こんな形で初出社になろうとは、と私はちょっと緊張しながら、ほとんど買ったままのスーツに袖を通した。いざ出社してみると、クリアボードで仕切られたフロアの机は、半分程度がマスクの社員で埋まっている。全員がリモートワークをする訳ではないのか、と思いながら、入り口付近にいた女性に声をかけた。

「あの、4月から採用になりました佐藤美咲ですけれども」

 声をかけると、女性は怪訝な顔をした。

「佐藤は本日出社しておりますが」

 そう言って彼女が目を向けた席には、つい先ほどまで誰かが仕事をしていたかのように、開いたパソコンと書類が置かれていた。

 

 そこからは大変だった。最初は不審人物扱いされ、私が採用された本人であると分かってからは、色々と4月からこれまでのことを聞かれた。そして、分かったのは、この会社でリモートワークは週に2、3回程度しか行われてはおらず、”佐藤美咲”も他の社員と同じく週に2、3回は出社していた、ということ。

 仕事は、私が今まで在宅で行ってきた内容そのものだった。振り込まれていた給料も、会社が払っていたものと同額だった。

 今では私も他の社員と同じく、週の半分は出社して仕事をするようになった。仕事をする場所が自宅から職場に変わっただけで、電話応対が増えた以外は仕事に変わりはない。

 ただ、半年間働いていた”佐藤美咲”が誰だったのか、何のためにそんなことをしていたのかは、未だに分からない。出社するようになってからも、素顔を見たことのない上司や同僚は、”佐藤美咲”が別の人間に変わったことを気にしていないのか、それとも、変わったこと自体に気が付いていないのか。

 その上司や同僚が入れ替わっていても、私は気が付かないのかもしれないな、と私はマスクの下で苦笑した。

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マスク 灰田 青 @kai-bgm

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