第2話 実行
遠くから踏切の音が聞こえる。
今は空気の震えを肌で感じることが出来るほど明確に感じ取れる。事前調査では踏切音が聞こえてから電車が駅に停まり乗降口を開けるまでの平均所要時間は一分二十三秒。
私は持ち物の準備を急いで始めた。右太ももには黒いジャージの上からゴム製のベルトが巻つき、そのベルトにしっかりとダイバーナイフの鞘が固定されている。
ナイフが鞘から落ちないようにロックされているかどうか、また問題なくナイフを抜く事が出来るかどうかを確認する。
足元に視線を移し転がしておいた金属バットを藪に立て掛けると、ある事を思い出しデイバッグを木陰からたぐり寄せた。ポラロイドカメラを出すのを忘れていたのだ。
彼女の死にゆく姿を残したいと思いつき、ポラロイド用のフィルムをカメラ屋で買った。遺体写真をお店で現像は出来ないし、デジカメはイヤだったのだ。
カメラのストラップを肩がけにしてストラップを調節した。それから爆弾のスイッチを両手に持ち電源を入れる。
あとは操作レバーを好きな方向に倒せば爆弾の回路に電流が流れ発火、爆発するはずだ。
手汗でぬめる小さなリモコンを握り直し、レバーに軽く親指を置く。
電車の車輪がレールと車体の重さに耐えながら回転数を落としているところを想像しながら電車の到着を今か今かと待つ。
板挟みで僅かに歪む車輪を思うと、なんだか可哀そうだなと思った。キツい葛藤というのをした事がない私にとって車輪の苦労は一生わからないだろう。とはいえ悩ましい事柄くらいあるのだ。彼女の事とか。
電車のブレーキ音が最大になり、二両編成の小さな電車が駅舎の向こう側に滑りこむように重なった。乗降口が開く音とアナウンスが聞こえてくる。
心臓が激しく鼓動し体中から冷たい汗が噴きだすのを感じる。額から首筋へ、脇から肘へ、ツーっと汗が流れていく。
駅の出入口から人が出てくる。スーツを着た中年男性、口元にニキビがある男子中学生、膨らんだ買い物袋を下げた太った主婦、そして最後尾には彼女。
今日の彼女の髪型はいつもとは違い、黒く艶やかなセミロングの髪を肩の辺りで左右に分けるようにシュシュでまとめて肩から垂らしている。いつもはゴムで後ろに一本にまとめているだけで、シュシュも今まではつけていなかったのに今日に限って左右にまとめている。
その他はいつも通りの格好で、白いブラウスにクリーム色の柔らかいセーターが彼女の小さな体を包み、黒地に緑のチェック模様のプリーツスカートをきちんと着こなしている。茶色のローファーに紺のハイソックスが白くて細い彼女の脚を際立たせていて、どうしようもないほどの愛らしさを放っていた。
彼女は右手で機種変更をしたばかりのまだ扱いに慣れていないスマートフォンをいじり、左手に黒いスクールバッグを提げて出てきた。
私は今は彼女に見とれている場合ではないと首を軽く左右に振って頭を覚ます。
中学生がダンボール箱に視線を送り、彼女が出入口から出た瞬間、私は両手に持った両方のリモコンのレバーを押した。指向性を持ったオレンジ色の歪な火球が貧弱なダンボールを吹き飛ばし四人を炙るように膨らむ。
爆弾のガソリンタンクの周囲に敷き詰めた金属片が火球の膨張から少し遅れて火炎を纏いながら飛び散り、人々に突き刺さりその勢いのまま押し倒す。黒煙が青空を覆い飛び散ったガソリンは無人駅の敷地を燃やし男女四人が倒れこむ地獄絵図が私の視界に映る。
私は爆発音が耳の中で残響しているのを気にしながらリモコンを捨て、バットを左手で掴み藪を飛び出した。藪から駅舎へ疾走する今の私の表情は、多分素晴らしい宝物を探す少年のそれとまったく同じだ。道路を飛ぶように横断し駅の駐輪場近くまでスピードを下げること無く移動した私は彼女を除く三人にとどめを刺すべく、コンクリートにスニーカーの底を擦りつけながら急ブレーキをかけた。
ガソリンが燃えた焦げ臭い空気を混ぜっ返しながら止まり、出入口から出てきた順番にとどめを刺しにかかる。
まずはサラリーマンだ。しかし、サラリーマンは哀れにも爆弾のすぐ近くを通ったらしく、右半身に燃えたガソリンと金属片をもろに食らって即死しているようだった。
なんだかしまらないなと思いながら、男子中学生を見る。中学生は出入口から数歩出た地点で派手に動き回っていた。声にならない悲鳴を上げながら学生服に付着した燃えたガソリンから逃れようとして、脇目もふらず学制服の上着を脱ごうとしている。
ちょうど学制服を脱いで体力が尽き果てたように倒れこむ中学生に近づく。仰向けになって時折咳き込む中学生が一瞬こちらに視線をよこし、私のナイフを見て大きく目を見開いた。私は中学生が動き出す前に手早く腹部を刺し、心臓にも突き刺した。
刺す度に中学生はうめき声を上げ、制服の白いワイシャツは何秒もかからない間に真っ赤に染まった。染料となった赤い血潮はワイシャツの吸収量をすぐに超え、今も地面に流れ出ている。
口からも血を出しながら痙攣し、しぶとい事にまだ死んでいないけど、これからすぐに間違い無く死ぬだろう。私は中学生の死亡を確認する事なく主婦の方へ向かうべく中学生の体からナイフを抜いて立ち上がった。
主婦の方を見ると出入口に半分体を入れるようにして彼女を押し潰して倒れていた。破片や煤で汚れてはいるけども一見無傷に見える。気絶しているのか動かない。主婦の下敷きになっている彼女も同様に動かずに倒れている。
私は太った主婦が彼女を押し倒している様が気に入らず、バットを駅舎内の白い壁に叩きつけるように放り出し主婦の胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせた。怒りをはらんだ火事場の馬鹿力に自分でも驚きながら、睨むように主婦の顔を見ると、主婦の右目が吹き飛ぶように飛び出していて、外眼筋がかろうじて眼球の脱落を抑えていた。奥の方を見ると固い金属片の先端が眼窩の奥に突き刺さっているのが見える。
どうやら大きめの破片が横から眼球を押しのけて入り込み、脳まで達しているらしい。私は急に興味を失って後ろに主婦の死体を投げ捨てた。
目を閉じて動かない彼女の顔の近くに膝をついて座った。とりあえず彼女を起こしてあげなくてはならない。私は彼女を赤ちゃんをあやすような格好で優しく抱き起こした。
かなり身長の低い彼女は同年代の女子と比べて大して大柄でもない私の胸の中にすっぽりと収まる。
「水橋さん、大丈夫?起きて」
私が彼女の名を呼びながら頬をペチペチと優しく叩くと、彼女は表情を歪ませながら薄く目を開いた。少し唸って何度か瞬きをしてから、私の顔をじっと見て口を開いた。
「あれ……どうして中原さんがここにいるの……」
「水橋さんに会いに来たの」
彼女はまだ頭がぼんやりしているようで、声に張りがない。
「そっかぁ。えへへ、うれしいなぁ」
彼女は力無く笑うと私に抱かれていることに気づき、恥ずかしそうに体をよじって姿勢を整えた。
私は腕から離れた彼女がこちらを見る前にダイバーナイフの鞘を彼女の死角になるところにずらし、血で濡れた両手をジャージのポケットに突っ込んだ。全面黒のジャージは返り血をカモフラージュしてくれている。
彼女は自身の顔を軽く両手で叩いてから自分の状況を確認するべく周囲を見渡した。小さな頭が動く。爆発のせいでゆるく髪を縛っていたシュシュが片方落ちてしまっていた。そして出入口を見てその動きが止まる。
駅舎の四角い出入口からは非日常ときつい冗談を掛け合わせたような光景が広がっており、彼女は体全体が数秒間凍ったように固まり、私の目を一瞬見てから私の胸に飛びついてきた。
胸がクッションのように彼女を受けとめる。私は安心させるように彼女の震える背中をさすってあげた。
まだだ。まだ早い。もう少し待つんだ。
彼女の顔がすっと離れる。上目遣いに私を見た。犯罪的に可愛い。
「中原さん、一体ここで何が……」
彼女は震えのせいで最後まで言葉に出来なかった。不安なのだろう、小さな手で私のジャージの腰の辺りを強く掴んでいる。私は努めて優しい声で彼女に応える。
「さっき言ったでしょ。水橋さんに会いに来たからこうなってるの」
「どういうこと?」
彼女の顔が強張る。私はこれから話す内容を聞いて彼女が逃げるの無いように彼女の華奢な肩を抱きしめ、彼女の形の良い小さな耳に向けて囁くように言った。
「私ね、水橋さんの事が大好きで大好きでたまらないの。好きすぎて水橋さんの事を嬲り殺してあなたの苦悶の表情を、他の人に見せたことがなくてこれからも見せることがない表情を見たいの。ねぇ、見せて。私に特別を見せて?」
まくし立てるように私は彼女に語った。私の愛を一息に込めて語った。
間近にある彼女の白い肌で覆われた首筋に緑色の静脈が透けているのが見えた。こうして抱き合っていると彼女の香りを堪能する事が出来て良いなと思い、またこの焦げ臭い空気の中でも彼女の香りを嗅ぎ分けられる事に安心を覚えた。彼女は黙っている。
「水橋さん、私が怖い?」
「ううん、怖くないよ。むしろ嬉しいかな。中原さんの口から直接『大好き』って言葉が聞けたんだもん。私もね、中原さんの事が本当に好きなんだ」
とても意外な言葉に今度は私が固まる。
彼女が続ける。
「だから、私のために死んで?」
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