第十九章 さぁ、綺麗にしましょう

「・・・・・・うん、これなら問題ないわね」


両親への説明が終わったフレイヤが、僕たちの様子を見に共同の洗い場へとやって来て、両足の泥が綺麗に落ちた少女の足を見て満足そうに頷いた。


彼女のお許しが出たので、僕は少女をつれて宿屋に入ろうとするも、フレイヤから待ったの言葉がかけられた。


理由を聞くと、


「このまま歩いたら洗った意味がないじゃない」


とのこと。


なるほど、フレイヤの言うことももっともだ。


ならば僕が彼女を抱えて行けば済む事か。女の子一人抱き抱えるなど造作もない。服は汚れるかもだけど、そんなのは後で洗濯をすればいいだけのこと。


じゃあ僕が持とうとか? と提案するより前に、フレイヤは見事な解決策を提示した。


それはーーーーーー、


「はい、これを履かして」


僕の手に渡されたのは草で編まれた簡素な作りの草履であった。


なるほどね。抱き抱えるよりも簡単な方法があったのを忘れてたよ。


僕はほんの少し残念がる気持ちをこらえつつ、少女にフレイヤから下賜された草履を履かせた。


本当にまるで足のサイズでも計ったかのようにピッタリだ。


とはいえ、女の子にいつまでも素足なのは可愛そうだからちょうど良かった。


働いて給金が支給されたら彼女の靴を買ってあげようかな、と素足から解放されて心なしか嬉しそうな表情を浮かべる少女を見て僕は密かに決意するのだった。


「じゃあ、ついてきて。宿屋に入ったら貴方にはお父さんが話があるから会いに来いって・・・・・・。この子は私が預かってその間に身体を綺麗にしておくわ」


「話? フレイヤが話してくれてたんじゃないのか?」


「そりゃあ一応は、ね。でもお父さんがハヤトの口からもう一度聞きたいんだって」


当事者の口から、とフレイヤ曰く。


まぁ、そりゃそうだよな。


身元不明の子供が助けてからものの数日で女の子を身請けしてくるだなんて、僕が彼の立場ならとことん追求したいもの。


仕方がない。こうなったら腹をくくろう。


なに、腹を割って話せば分かってくれるはずだ。


気は晴れないけどね・・・・・・、僕は背中にどんよりとした暗雲を背負いながら、それでも行かなきゃ行けないというジレンマと葛藤しつつフレイヤたちと別れた。


お気の毒と言わんばかりに、フレイヤは手を振って僕を見送る。


「そうそう、お父さんが待ってるのは自室だからね。厨房の左奥にあるから間違えないように」


別れ際に卒なく実父の私室の場所を教えるのも忘れない。


「ありがとう。じゃあ、この子のことよろしく頼むよ」


泣く泣く僕は少女をフレイヤに託す。


去り際に僕の手が離れた瞬間、少女は泣き出しそうな、不安そうな表情を浮かべて、僕の後を追いそうになるが、


「ダメだよ。ハヤトの用が終わるまで私と一緒にいようね」


それに気づいたフレイヤが未然に防ぐ。


優しく抱き締められた少女は最初は踠くも、人の体温にささくれだった気持ちが落ち着いたのか、まるで暴れ猫が人の暖かさを知って大人しくなるように、次第にフレイヤに身体を預け出す。


和やかな光景だ。


僕は気落ちしていたのが少しだけ晴れるような気がした。






さてさて、ハヤトと別れたフレイヤたちはというとーーーーーー。




「さぁ、中に入って」


やって来たのは両親の部屋の向かいにある私の部屋であった。


ハヤトの元へと向かう前に、お母さんに事前に言って沸かしてもらったお湯が入った手鍋を持って。


既にお湯を入れる用のたらいと、体を拭く際に使用する布を用意している。


たぶん彼女の汚れ具合から一回洗っただけでは落としきれないのは容易に分かるので、お母さんに言って追加のお湯も沸かしてもらっている。


服と呼んでいいのか分からないぼろ布を脱ぐように指示する。


脱いだ服は用意した籠に入れるようについでにお願いする。捨ててもいいのか分からないし、彼女を買ったご主人様はハヤトなのだから後で彼の意見を聞こう。


洗った後の服は私の服を着せたらいいかな。急場凌ぎだし、大体の体型は似ているから服の寸法は合うと思うし・・・・・・。


「服を脱いだらこの桶の前に来てくれる? ーーーーーそうそう、椅子に座ってしばらく待っていてね」


部屋に入ったら入ったでボォーと突っ立っている少女の手を引いて椅子まで誘導させる。


というか服を脱ぐように指示したのに、自分からは一向に脱ごうとしない。


聞こえなかったのかな? と私は気を取り直してもう一度服を脱ぐように指示するも、結果は同じであった。


言葉が通じないのかしら、と私は頭頂部に疑問符を浮かばせる。とはいえこのままでは埒が明かないので、渋々ながら少女の服の脱衣を手伝う。


服の着脱が出来ないなんて、まるでどこぞのお姫様のようだ。


人にやらせるのが当たり前のような態度だ。常人離れした見目麗しい外見と相まって当たり前のように私の目に映った。


服を全て脱がし終えると私は驚きに目を大きく見開く。私の眼前には多少泥と垢で薄汚れてはいるが、そんなのは些細なものだというような、美の女神さえも嫉妬するような完璧な裸体が姿を現した。


均整の取れたスレンダーな、まるでしなやかな猫を思わせる体。ほどよい肉付きに、今は分からないが洗い終えればお目見えするであろうシミなどのない白い素肌。


大きくないが小さくもない胸部についた形の良い双胸。柔らかくも張りのある小さな臀部。強く握ったら折れそうなほどの手足に、コルセットなどできつく絞めなくてもいい細い腰。


同性の私の目から見ても、少女の裸は美しく見惚れるほどであった。


同じ女なのに、こうも身体の造りが違うなんて女としての自信が無くなるなぁ、と私は己の身体と少女の身体を見比べて溜め息を吐く。


嘆いてばかりもいられない。


私はたらいに張ったお湯に手に持った布を浸すと十分にお湯を吸った布を絞る。


軽く湿った程度まで布を絞ると、ホカホカと湯気が立つ布を少女の身体に当てると、優しく肌についた汚れを落とすべく擦る。


もちろん、白い肌が赤くならないように気を付けながら。


拭き残しがないように隅々まで拭き取る。脇の下や背中、耳の下など自分では綺麗に拭き取れない部分も念入りに拭いた。


身体の汚れは楽に拭えるのだけど、問題は髪の毛だ。女の髪は長くて洗うのにも手間がかかる。


特にこの少女の髪の毛は並みの女よりも長くて量が多い。足首ほどまで伸びたこの髪の毛を洗うのは中々に大変だ。


公衆浴場ならばまだしも、部屋で洗うとなると一人では大変だ。


(これはお母さんに助けてもらわなきゃ無理かな)


厨房で追加のお湯を沸かしているであろうお母さんに助っ人を頼むべきか。


逡巡している時間はない。いくら夏とはいえ年頃の女の子を裸のままでいさせるわけにはいかない。


私はお母さんを呼びに行くため、しばし作業を中断することにした。


もちろん、絶賛洗われ中の少女に断ってだ。


「助っ人呼んでくるからちょっとだけまっててね」


バタバタと慌ただしく部屋を飛び出す。お母さんがいる厨房とは目と鼻の先だ。


数分くらいで戻ってこれるはず。


濡れ鼠状態の女の子をそのままにしていくのは忍びないが・・・・・・、仕方がないよね。


私は心の中で詫びを入れつつ、足早に部屋から退出するのであった。




それから数分後。



私はお母さんに文句を言われつつ、どうにか手伝いをしてくれるという言質を取ることに成功した。


『髪の毛も一人で洗えないの?』


などの嫌味も頂戴しつつ。


お母さんはあの子の髪の量を見てないからそんな軽口が言えるのよ。


長さ、質、量。


どれを取っても私たちとは段違いなんだから。


(私もそこそこ髪の毛は長い方だけど・・・・・・、別に洗うの大変じゃないけどな)


普通の長さなら問題ないのだ。


現にお母さんも背中半ばまで髪の毛を伸ばしているし、余程の事情がない限り、この国に暮らす女はみな髪の毛を伸ばすのが慣習になっている。


私そこそこの髪の毛ならば洗うの自信があったんだけど・・・・・・、あの子の髪の毛は規格外だったわけ。


お母さんも一目見たら私の気持ちが分かるわよ、と告げて部屋に続く扉のドアノブに手を掛けた。


追加のお湯が入った鍋を手にお母さんは早く部屋に入るように促す。熱くて重いのだと不満を口にして。


私は彼女の愚痴を聞きながら、慣例のごとく決まった相槌を返す。


「ーーーーーお待たせ~」


適当に母の相手をしつつ、私は自室で私の帰りを待つ待ち人へと声をかける。


部屋に入ると全身に滴る水滴を拭うことなく、ボォーと虚空を見上げて佇む一人の美少女の姿があった。


ポタポタ、ポタポタ。


気持ち悪くはないのか。なんの感情も浮かんでいない無表情で、部屋に入ってきた私たちへと視線を向ける。


左右で色が違う瞳は、まるで宝石のよう。


やっぱりこの子は綺麗だな、と私が見惚れて突っ立っていると、


「ほら、早く洗ってあげないと可愛そうでしょう」


後から入ってきたお母さんに後頭部をペシリと叩かれる。


少女と初対面なお母さんは最初こそ人離れした美貌に驚いたものの、すぐさま気を取り直して実の娘として接するように、甲斐甲斐しく泥と垢まみれの髪の毛を洗い始めた。


私の時とは違い、安心しきった表情でお母さんに身体を預けている少女を見て、何だか胸の奥にモヤモヤとした暗雲が立ち込めるのを感じた。


この気持ちは何?


嫉妬? ヤキモチ?


お母さんを盗られたことに? それとも私に見せたことのないような笑顔を見せているから?


違う、違うもん。


子供じゃあるまいし、お母さんを盗られたからってヤキモチを焼くなんて、そんな器量の狭い女じゃないんだから。


ブンブンと頭を振って、意識を切り替える。


まごついていたらまた叱られちゃう。取り敢えず目の前のことを片付けてしまおう。


私は丁寧な手つきで髪を湿った布で拭くお母さんの元へと歩み寄る。


本当に気持ち良さそうな表情を浮かべて・・・・・・、私も久しぶりにお母さんに頭を洗ってほしくなっちゃった。


思わず童心に還りそうになるのを堪えつつ、私もお母さんに倣って少女の髪を綺麗にするべく中断していた作業を再開した。


「ーーーーーーさぁ、綺麗にしましょうか」


ニヤリと茶目っ気のある顔で笑ってみせて、私は手にした布を構え直し、汚れた髪の毛を温かく湿り気をおびた布で拭くのであった。

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