2-11. スイッチ



 人間は元々自分たちの領域を侵害されるのを好まない性質を持っている。それは「人間だから」という理由ではなく、この星に生を受けたあらゆる動物の特性を、人間も単純に周到しているからである。

 そして。自分たちと意見の合わない、対立する者たちを軽蔑し、排除し、無くそうともする。これも動物と同じ。食物連鎖という現実があるように、人間にも強者と弱者が存在し、またそれぞれの思想・信条を持ち合わせた者たちもいる。相容れない者たちとの共存は、この世界の中ではそう上手くは見込めない。ウェルズとマホトラス、この二つが良い例だ。かつてこの二つは一つだった。お互いに国を名乗ることもせず、争うこともせず、平穏な日々を送れるはずだった。しかし、歯車は徐々にその回転をぎこちなくさせ、やがてレールにかみ合わなくなった。


 ………、その結果が戦争である。

 結局人は争うことで自分たちの私欲を充たす。

 他者を討ち倒し自らが正義だと打ち立てる。

 何と、醜い生き物だろうか。



 「残る市民と部隊は、明日の朝に出発させよう。それでよろしいかな、アトリ殿」

 「はい。王都行きの希望者はもういないようですし、準備が整いましたらそれでよろしいかと」

 「ありがとう。ではそのように手配しよう」

 ウェストノーズの手前で合流したアトリと北方の残存部隊。彼らはこれからウェストノーズに駐留する部隊と合流し、西方の防御を固める役割を持つ。この町にも多くの市民がいたが、戦場になることが容易に想像がつくことから退避を推奨した。それに従うもの、従わずにウェストノーズへ向かうもの、希望者は二分された。王都までの行程は決して易しくはない。しかし戦場に留まるよりは遥かに安全ではある。この地域に派遣されたアトリは、無論戦場に留まることを選んだ。逃げる彼らよりも残された彼らのほうが、より危険度は高いからだ。そうなれば失われる命も増えてしまう。それを防ぎたいという彼の考えだった。元よりウェストノーズを目指すよう命じられているため、それ以外の選択肢を持つことも無かったのだが。ここの残存部隊を統率する部隊長は、アトリが王国騎士団から送り込まれた増援であることを知ると、彼に助力を求めそれに従うようになった。という話がある。中央とは王都であり、その中心部で働く兵士は階級も高く立場も上、そして実力派揃いである、と考えられている。地方に留まる自分たちより遥かに厳しい立場にいながらそれをこなしているのだ。だから、彼らに従っていれば間違いが無い、というような動きが生まれてしまう。中にはアトリの存在を見て委縮する兵士もいるほどだ。彼の性格がそのような動きを生むものではないのだが、彼の性格に関わりなく事はそのように動いてしまうのだ。部隊長が離れていくと、その話を隣で聞いていたジャスタが問いかける。

 「いいのか?その判断で。うちの部隊長はアンタの判断に委ねている感じだが」

 「かまいません。そうするより他にありませんから」

 「そうか。まあそうだよな。どうしようもないか」

 この町の人たちにも生活があり、ここを故郷としている人たちもいる。その人たちの意向を無視して避難を行わせることになる。そうでもしなければ彼らの安全を確保することが出来ない。彼らにとっても強引であるがそうせざるを得ないのだ。戦争の時代の中で人々は住む家を、故郷を失い逃避する。そんな彼らを救わなければならないと考えているのだが、現実は中々そう上手くはいかない。本当に護りたいものは傍にあるというのに。

 「なあ。中央にいるアンタから見て今の王国軍はどうなんだ。」

 「どう、と言いますと?」

 「正直なところ、どう見たって俺たちは押されっぱなしだし劣勢続きだ。それを覆すための策があるのかってことだよ」

 「………私には、何も。無論考えていない訳ではないでしょうが」

 「そうかい。まあ聞くだけ野暮だったか。アンタの意見を上の人は取り上げてくれてるのか?だってアンタはこの国一番の経験者なんだろ?」

 ――――――――――そういう者の経験を取り入れるほうが改善しそうなもんだが。と、純粋に疑問に思ったであろうことをジャスタは彼に問いかける。経験者としての言葉が役に立つことも、無論あるだろう。状況によってはそれが一番必要とされることもある。しかし彼は話す。

 「実際の戦場で勝利を掴むためには戦術が物を言う。その勝利を得るための状況を作るために戦略がある。………今のマホトラス陣営は、戦略において私たちが勝つ可能性のある芽を確実に摘み取っていて、戦術においては強力な戦士を基に作戦を発動させて我々を上回る動きをします。特にそれは地方での戦場でよくみられる。だから、中々厳しいのです」

 戦術も戦略も、どちらも劣勢に立たされている王国。特に地方の戦場では兵士の不足と相まって深刻な状況が続いている。中には抵抗できる兵士があまりにも少ないことから、地方の部隊が集結する一方で取り残された地域が無防備宣言をしなければならない現状もある。一つの勝利を得るのがあまりに遠い。その状況は余計に兵士たちの士気を下げた。今の王国には自軍を鼓舞し勝利をもたらす者がいないのだ。

 「どうあれ今は地道にでも、目の前の戦いをこなしていくしかないのです」

 「騎士たちは出てこないのか?あいつらはスゲエ強いんだろ?」

 「七騎士は、王都防衛の任務にあたっています。………王都の守備隊もそれほど十分な戦力ではなくなっていますから」

 ジャスタは、はあと深いため息をついた。今こそ騎士たちの出番だろうと言いたげな表情だった。実際そう思っているのは彼だけではなく、他の兵士たちもそう思っている。王都には最精鋭の部隊が駐留しているがその数は少ない。王城にいる七騎士は兵士の中でも最たる実力者であるが、王都周辺での有事の際にしか姿を現さない。そのため地方から逃れてくる兵士たちからは反感すら買っていたのだ。

 「まあ、現有戦力でどうにかするしかないってことだな。気が重いねえ………」

 とはいえ、ジャスタの言うように現有戦力で戦うしか方法が無い。味方の増援が湧き水のように出てくるはずもなく、アトリ一人がここへ送り込まれた現状を見ても、中央からの増援があるとも思えない。ここは出来るだけ早めにウェストノーズの部隊と合流することが肝要であろう、というのが誰もが共通して持つ考えだった。



 ――――――――――その日の夕方。



 各々、ウェストノーズへ向かう準備をほぼ完了させ、明日の移動に備えて休みを取ろうとしていたところ。アトリは自ら町の内外周の警備を進んで行っていた。周囲を散策しながら異常が無いかどうかを確認し、また外周を回りながら敵戦力の接近が無いかどうかを確認する。

 「………しかし。皆、疲れているな」

 アトリは冷静にそう呟く。町を行き交う民の表情。警備を勤める兵士たちの姿。そしてこの町全体を覆う暗い空気。そのどれもがネガティブな方向に働いている。特にここまで逃げ延びてきた部隊の兵士たちは、連戦に次ぐ連戦で疲弊している。たとえ戦うことに慣れているのだとしても、この疲労をすぐに回復させることは不可能だろう。その意味では、マホトラスの軍勢が彼らに与える心理的効果というものも十分にある、ということだった。ウェストノーズで少しでも休息が出来ると良いのだが。

 彼自身にも疲れが無い訳ではない。長い間の戦いで蓄積されたものもある。たとえ周りの兵士たちより若く回復力が優れているからといって、一日二日ですべて回復するということはない。

 「――――――――――ん?」

 その時だった。彼はのを感じ取った。何を根拠にしてのものかは分からない。彼にも不思議とそう思える、そう感じ取れるという程度のものであり、確証はない。だがそれでも何かが変化したのを肌で、心で感じ取ったのだ。そして自然と足が動き、彼は町の郊外へ出る。全体の状況を把握するために、視野を広く取れる高所へ。

 「やはりか―――――――――!!」

 それほど多くの数ではないようだが、間違いなくあれはマホトラス軍である。大地を駆け砂埃を巻き上げながら集団で接近するそれを確認したアトリは、すぐにその場を去りヤヴィノスクの町まで戻る。町へと急いで戻る過程、自分が気付いたその感覚が敵の襲来を予知するものであったことを察すると、やや複雑な心境を持ちながらも“毎回そのように感じ取れれば有用なのに”とも思った。今までも、死地の護り人として多くの戦場で数えきれないほどの戦闘を繰り返してきた。そのためか、相手の殺気などに敏感に反応できるようになっていた。殺気を身に纏う敵兵士に対し、接近戦において彼は相手の出方を読み取り、防御しつつ反撃時は速攻に転じる。逆に殺気のない相手と戦うほうが相手を読み取りづらく、戦いづらくもなるだろう。

 「アトリ殿?そんなに慌てて何を」

 「敵襲です!!直ちに迎撃を!!」

 「な、なんですって!!?」

 事態は明白だ。敵が攻めてきたとあればこのヤヴィノスクを強襲し、兵員を減らし町を強奪することは疑いようもない。アトリは大急ぎで町に戻ると、すぐに残留部隊に知らせ回る。それが分かるなり、王国軍は町の内部で鐘を叩き敵襲の警報を鳴らす。あまりに突然の出来事で兵士たちも、また市民たちも焦りが見えていた。

 ――――――――――だが、こんなことは日常茶飯事だ。

 自分たちが追われている身であれば、容易に想像がつくことだろう。急襲もそのひとつ。常に対応できるよう心掛けることは難しい。だが実際にそうなった時にどう対処するか。

 「部隊長。直ちに部隊を町の外、敵の進行方向に対し展開させてください」

 「町の中へ決して入れさせないようにするため、ですな?」

 「その通りです。」

 「了解した。市民には敵の進行方向とは逆側に退避してもらおう。」

 アトリは簡潔に部隊長に指示を出す。町の中には避難民がいて、明日にはここを離脱するのだとしても、犠牲になるべきものなど一つもない。武器を持たない市民がいるのなら、その彼らを守護することが最優先だ。そのためにも、町の中に敵兵士を侵入させず防衛線を展開する。そこで踏み止まるのが最も必要なことだと瞬時に判断をする。指示を飛ばすのも、その指示を受けて部隊長が各隊に通達を出すのも、彼の立場から考えるとおかしなものではあった。彼は確かに王国、中央から派遣された援護の戦力ではある。しかし彼らの統率をするという任務は無いし、むしろ現場の部隊と合流しその指示を受けて動くように、と彼には伝えられている。“我ながら出しゃばりだったか”と思いつつも、今この場で出来るもっともな判断を下し部隊が動いてくれるのであれば、そのほうがいい。そのような些末なことを気にしている場合ではなかった。

 『ああなんということだ。ついに敵が来てしまったか』

 『私たちもここで終わり………なのね』

 『先に王都へ行った彼らと共に行けばよかったんだわ!』

 民たちにも絶望の色が見える。無理もないことだ。連戦続きで敗退を繰り返してきた残存部隊は疲弊している。その彼らが満足に戦える状況にないことを、彼らも理解しているからだ。それでも戦う以外に術はない。戦いを放棄すれば、瞬く間にマホトラスの手がこの地に伸びる。そして彼らには残酷な未来が待ち受けることになる。

 ―――――――――それだけは、絶対に避けなくてはならない。

 「――――――――――!!」

 「はああぁっ!!!」

 もし、マホトラスの軍勢に“殲滅”の意思があれば、何も近接戦闘にこだわらずとも町に灯を放てば良かったのだ。そう思ったのはアトリだけでなく、他の兵士たちも、民衆でさえそう思っていた。それをしなかったのは、ここを占領地とする目的があったからであろう。

 ヤヴィノスクの戦い、その攻防が始まる。既に日も暮れ始めており、真っ赤な空とその明かりが町の中を、その周辺を焦がしていた。彼らの心に灯る思いと同じように。




 ―――――――――――マホトラス軍前線駐屯地。

 ヤヴィノスク、そしてその先のウェストノーズの制圧を目的とするマホトラス軍の駐屯地。テントが四方に大量に並ぶばかりで、基地と呼べるような設備も何もない。ただそこに補給物資と兵員とが集まるばかりだ。

 「大した余裕だな。ここには7割の戦力が残ってる。にもかかわらずヤヴィノスクに攻勢を仕掛けられるなんてな」

 「逆だよ逆。ウェストノーズ制圧のためさ。とはいえ………今日行った戦力でヤヴィノスクの連中がどれほど抵抗できるか、だな」

 「確かに。それによっちゃ、ウェストノーズなんてすぐに落とせるだろ」

 お互いに知る由もないが、こと軍事作戦において現在のマホトラス軍は非常に落ち着いた運用が出来ている。特に戦略の面においては常に王国側を凌駕し、開戦する前から優位な状況に立っている。兵士たちにとってこのような状況は心身の安定に寄与しているもので、ありがたいものであった。無論、戦闘ともなれば緊張感が伴うし、危険度が高まればヒステリックを引き起こしたり、逃げ出したくなるのはよくあることだ。しかしそれを未然に軽減、または無くすことが出来ている今の状況は、下士官も上官も含め戦いやすいと言えるだろう。

 「だからさ。なぜはあえて無理を承知で出陣して行ったんだ?………しかも、奴らの軍服を着て」

 「考えがあるんだろ。噂によれば、敵軍は少数でその大半は戦力として機能していないが、あの“死地の護り人”って奴がいるみたいだ」

 「へえ………怖いねえ」

 既にマホトラスの陣営においても、『彼』の存在は知られ始めている。マホトラス軍が王国領各地を占領し、転戦していく中でその名は徐々に知れ渡っていく。理由は単純だ。そこで捕虜にした兵士や奴隷化のため確保した民衆から、その話を聞くことが出来るからだ。希望を棄てない王国民の言葉として、いずれ騎士たちか、死地の護り人が救ってくださる、と。

 「じゃあ、そいつを殺すために?」

 「そうみたいだ。まあゼナ様は元々暗殺稼業出身だって言うから、そのほうがやりやすいんだろう」

 「なにも、こっちの軍勢で圧し潰しちゃえばいいだろうに。まさか多勢にすらやりあえるってのか?その死地の護り人ってのは」

 「それが最善だとゼナ様が判断したんなら、そうなんだろうよ。まあ任せたほうが確実さ。暗殺者ったって、俺たちより遥かに強いんだからな」

 ――――――――兵士に似合わない綺麗な顔立ちなのにな。

と、兵士は言う。その死地の護り人を確実に殺害するために送り込まれる、女の暗殺者、ゼナ。ヤヴィノスクに出撃した部隊とは別行動を取りつつも、彼女は町の中に入り込むために敢えて単独で出撃したのだ。

 「それなら、オーディルとか言う槍兵も合わせて全軍であたればすぐに片付けられるだろうに。めっちゃ強いんだろう?話に聞くと」

 「みたいだな。まあその槍兵もこっちに来てるっちゃ来てるが、単独行動ばかりで融通の利かない人なんだとさ?」

 「はあ………うちの軍は強いやつは多いがそんなのばっかだな。ゼナ様やオーディルとかいうやつなら、あっという間にその強い敵も倒せるだろうに」



 ―――――――――死地の護り人の抹殺。

無論、この時点で彼がそのようなものの対象となっていることは知る由もない。国家、もしくは組織間における大規模な戦争をしている中で、個人に対する抹殺を企てる。マホトラスにとって彼の存在は害であり、将来の為には排除しなくてはならないもの。それほどまでにして一個人を排除しなければならないほどの理由がそこにあるのか、と疑問を持つ者も当然ながらいた。

 後に、ウェルズとマホトラスの戦乱において、死地の護り人アトリの殺害を目的とした行動は、その後の歴史上正しい選択だった、と言われることになる。少なくともマホトラスの陣営においては。



 「―――――――――――。」


 「………す、すげえ…………」

 「あんな速いやつ………いるのか…………」


 この町に敵軍を入れる訳にはいかない。何としてでも食い止めなければ。たとえ明日には放棄する町であったとしても、ここにはいまだ大勢の民がいる。その彼らの幸せを、その機会を失わせる訳にはいかない。ならば、ここで踏み止まるより他はない。

 ――――――――――どこか遠くで、カチッと音が鳴った、気がした。

 味方の多くは疲弊している。とても満足に戦える状況ではない。ではどうするか?一人で出来ることは限られている。が、その出来ることを最大限に。

 ――――――――――瞬間、身体が軽く、浮き上がるほど軽やかに。

 力は僅かとも緩まない。握る剣とそれを振るう腕とが一体となったかのように、今までとは明らかに違うものを感じた。

 ――――――――――太刀は重くとも、振るわれる剣戟はより速く、正確に。

 これならいい。そうだ、一人で出来ることは限られているが、これなら。



 “何人分もの働きをすることが出来るだろう。”



 彼の動きを見た、他の兵士や民たちからすれば、その動きは人外のように思えただろう。剣戟、立ち回り、移動の連続、正確な太刀筋、どれを切り取ってみても、恐ろしいとさえ思えるほどの強さ。これが死地の護り人の強さなのか、と大半の人は思った。それだけ多くの戦闘を繰り返し、生き続けてきた理由がこれなのだ、と。無論、それもある。だがそれ以上の力が彼に働きかけているのを、彼すら知らない。

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