第8話 会長との話し合い

 寮から自転車を漕ぐことおよそ40分。住宅地の中を自転車で進む。おそらく昔からの人たちが何世代も住んでいるであろう古い家が多い。田畑が近くにある事から農家の世帯が多いのではないだろうか。


 スマートフォンの地図アプリによるとこの辺りに被害者の会の事務所があるはずだ。更に行くこと数分、地図アプリによるとここが「アムリタ教団のから被害を受けた信者の家族の会の事務所」のようだ。

 どうみても事務所という感じは受けない。築数十年は経過しているであろう少し広めのただの一軒家にしか見えない。門の表札を見ると「小林重像」とある。被害者の会連絡先にあった名前と同じだ。敷地内には車が1台駐車してある。恐らく誰か在宅しているはずだ。その車に邪魔にならないところに自転車を停めて玄関前に立つ。


 俺は会ったことのない人のお宅を訪ねる時になんと言って入れば良いのか、今までの人生経験の中でそういった場面もそれを学ぶ機会も無くここまで来てしまった。少しの間考えたがとりあえず呼び鈴を押してみる事にした。奥からゆっくりとした足音が聞こえて来る。引き戸のすりガラスの向こう側に人影が現れた。


「どちら様かな」


「昨日電話した桜井です」


 玄関の鍵を外す音がして、ガラガラと音を立てながら引き戸が開けられる。そこには70代のように見える白髪で短髪の皺深い男性が立っていた。厳しい面持ちで油断無くこちらを見ている。


「約束の物は持ってきたかね」


 携帯でのやり取りのあとに住所を示すショートメールの後に「身分を証明する顔写真付きの物を少なくとも一つ持って来なさい」という内容のメールが来ていた。自分は顔写真付きの証明書は学生証くらいしか持っていない。とりあえずそれを財布から出し、緊張しながら差し出す。


「学生証か…‥そういえば学生さんと言っていたね。谷影大だとここからすぐだな。いや、君は自転車で来たようだからそうでもないか。いやなに、車での時間を考えるのが基本になってしまっていてね。どうぞ、お上がりなさい」


 学生証を返してもらいながら玄関に入る。広めの玄関にしては靴の数が少ない。


「お邪魔します」


「こっちだよ」


 靴を脱いで小林さんの後についていく。廊下を歩いてすぐの所に応接間のような和室があり、そこに通された。広く長い座卓が置いてあり、対面するように座布団が置いてある。


「適当に座って。今麦茶でも持ってくるから」


 こういう時は「お構いなく」の一言でも言うべきなのだろうが、今も多少の緊張があり、うまく口が動かない。応接間の外で麦茶の準備をする音が聞こえてくる。こうして人の家に入るのは中学時代はよくあったが、高校時代になるとクラスメイトの家も遠くなり、外で遊ぶ事が多くなったせいで一度も友人宅へ足を運ぶ事は無かった。こうして初対面の人の家で、それも友人関係でも何でも無い人の家に座っているのは随分と居心地の悪いものだ。

 自分が身じろぎしながら待っていると、お盆に麦茶のピッチャーとグラスを乗せた小林さんが入ってきた。


「おかわりは自由にしてもらっていいから」


「すみません、ありがとうございます」


 玄関先での厳しい表情とは異なって今では優しそうなおじいさんという表情になっている。互いのグラスに麦茶を注いでから小林さんは座ってグラスに口をつけた。


「桜井くんに身分証を持ってきてもらったのはね、単純に詐欺や偽の営業を警戒しての事だったんだよ。以前ちょっと似たような事があってね。若い人が電話してきて家に来たと思ったら、家のあそこを修理した方が良いだの言ってきてね。……まぁ、身分を明かせる人間ならばその心配はなさそうだから。とりあえずはあなたがそういう人じゃないと信用しよう」


「それは……ありがとうございます」


 用心深い人だな。詐欺まがいの営業かけられたらそうもなるだろうし、そもそも新宗教の被害者の会の会長をやっているくらいだ。様々な嫌がらせだのは受けているだろう。頭が回らないとやっていられないに違いない。


「それで、こちらに聞きたいことがあるそうだが、その前にあなたとあなたの友人について話が聞きたい。まず桜井くんはどういう人なのかな。谷影大でなんの勉強をしているんだい?」


 自分はさっさとアムリタ教団の話を聞きたかったが、どうやらそうもいかないようだ。ここはこの人の家であり、事務所の会長の本陣だ。こちらは無知な若者であり、情報を教えてもらう立場の人間だ。俺は素直に自分の事と斎藤の事を大まかに話した。


「なるほどねぇ。ちょっとまっててね」


 小林さんは立ち上がり応接間から出ていく。自分は麦茶を何度かに分けて飲み干し、空になったグラスに麦茶を注いだ。それをまたグラスの半分近くまで飲む。暑いわけでもないのに妙に喉が渇く。やはり緊張しているのだろう。持ってきたリュックサックからメモ帳とペンを出して座卓の上に置く。しばらくすると小林さんが段ボール箱を持って戻って来た。自分の横にダンボールを起きながら座る。


「待たせたね。今さっきその斎藤くん、斎藤琢磨くん22歳の名前を被害者の会のリストと照らし合わせて見たんだけど、こちらではまだ把握してないね」


「そうですか」


 とういことは斎藤は親に相談せずに入信したのだろう。いや、でも確か斎藤は中学時代に母親が亡くなって、父親ともあまり仲良くないと言っていた気がする。酒の席での話だからちゃんとは覚えていないが。


「まず、アムリタ教団だが、斎藤くんを取り戻すにはかなり時間がかかると思ってもらいたい。桜井くんからの話だと相当教団へ熱を入れているように思う。あまり熱心でない状況下なら強く説得すれば戻ってきてくれる事が多い。だがあまりにも熱心な状況下で強い説得をすると強い反発を受けるか、神からの試練として信仰を更に深めようと修行に熱中する事すらある」


「斎藤を説得する時に後輩と話に言ったんですけど、その時は『この二人を呼んで下さった奇跡に感謝します』みたいな事を涙を流しながら言ってました」


 小林さんは「はぁー」とため息をついて首を振った。


「それは重症かもしれないな。かなり熱心なタイプだ。マインドコントロールを受けた時間が長ければ長いほどそれが解ける時間も長くなる。一般論だが、マインドコントロールを受けた期間と同じだけの時間がマインドコントロールを解くのに必要とされている。彼はどうだい?今でも寮から通っているのかな。私も同行して教団を抜けるように説得してみよう」


「それがもう寮にはいないんです。ヤツは、斎藤は昨日から出家する為に教団の1ヶ月の合宿に行くために寮を出てしまいました。大学も辞めるような事を言っていて……なにか打つ手はありますか?帰ってくるまで待った方が良いですか?」


 小林さんはとても苦々しい顔をしている。腕を組み天井付近を睨みつけてから深く目をつぶった。目蓋を閉じたままうなだれ、そのまま話し出す。


「教団は今、急速な成長期にある。こちらで把握しているだけで月に10人程度の信者を獲得している。来年には倍近い信者数になっているだろう。そうすれば月の会費金額を落としても教団を維持できる。そうすればさらに入りやすくなるはずだ。そうしてさらに成長を続ける」


 考え事をするように少しの間小林さんは黙る。そして目を開けて続けた。


「斎藤くんはその急成長する教団内で幹部候補の一人として育てられることになるだろう。こちらで把握しているだけだが、合宿というのは2つある。一つは教団の下部組織である大学や短大にある偽装サークルでの合宿。もう一つは在家信者から出家信者になる際の1週間の合宿。だが、1ヶ月の合宿というのは聞いたことがない。急成長する組織は、これは会社であれどこも共通するんだけども、一般信者を指導するための指導者が必ず不足する。中間管理職ってやつだ。それを補う為には幹部の育成が急務だ。その幹部候補の一人として選ばれたのかもしれないね。どうやら斎藤くんはかなり熱心なようだから」


「じゃあ、それじゃあ、斎藤は合宿が終わったら更に洗脳された上に幹部候補生として戻ってくる可能性が高いって事ですか?それってかなりまずいと俺、思うんですけど」


「かなりまずいだろうね」


 二人の間に焦りによる沈黙が訪れる。俺は頭の中がグチャグチャして考えがまとまらない。どうすりゃいいんだこれは。


「もし可能性があるとしたら直接施設に入り込んで斎藤くんを奪うくらいしか方法が無いな。過去に例が無いわけではない。私たち数人の被害者の会で直接教団へ行って信者を取り戻した例はある。だが、すまないが、そのせいで彼らは高い門を設置して施錠までするようになった。入るには鍵が必要だが、これを手に入れる方法は今のところ無い。あったとして施錠されている所に勝手に入ったら法に触れる可能性がある」


「じゃあどうすれば」


「バレなきゃ良い」


 職業的犯罪者のような事を言い出す。先程までの理性的で整然とした喋りをする小林さんとは思えない発言だ。


「もしやるなら手を貸そう。内部情報を提供するよ。もしやらないならそれはそれでいい。だが、長期戦になる。もしかすると数十年の戦いを覚悟してもらうことになるだろうね。それかスパッと諦めてもらうかだ。斎藤くんを忘れてあなたはその後生きていけば良い」


 小林さんはもしかしてこちらがウンと言わなければ情報を提供してくれないつもりなのだろうか。こちらを煽るような発言がそう思えてくる。見くびってもらっては困る。正直言ってやると言っても、あとでやっぱりやらないと言えば良いだけの話だ。


「わかりました。やってみましょう」


「話が早いね!若いってのはそれだけで財産だよ」


 少し笑顔を漏らしながら横に置いておいたダンボールからいくつかの紙を取り出す。


「これが見取り図だ。1階はこれ、2階はこれ、3階はこれだ。あとでコピーしてあげよう。それからこれが彼らのメインの経典と教団衣だ」


 目の前に書類と薄い冊子のような本とフード付きのローブが並べられる。


「この見取り図ってどこの見取り図なんですか?遠い場所なんですよね?大体宗教の合宿ってそういうイメージがあるんですが」


「合宿はあの第2アシュラムっていう支部で行われるのが通例だよ。あの教団はね、本部は普通の一軒家だからそんな人が入るような余裕はないよ。教団所有の大きな施設はあの支部しか無い。あと、合宿には共同生活を営む出家信者達との顔合わせの意味もあるから、あの支部でやらないと意味がないんだ。あと、そうだ……これがまだ使えるかもしれない」


 出してきたのは去年の日付が書いてある合宿の行程表だった。それが数年分ある。斎藤のいう合宿が幹部養成用の初めて行われる合宿ならば、あまりこれは意味が無いのでないかと思う。


「斎藤くんは確か出家信者になるための合宿と言っていたんだよね?ならば最初の数日間は通常の合宿と同じような内容になるだろう。ここで暮らす上での礼儀作法や心構えのようなものをみっちり教えられるはずだ」


 なるほど、と思いながら中身を見比べてみる。工程表の中身は全く一緒で、違うのは日付だけだった。これならば今年も例年通りと言えるだろう。


「だが、このスケジュール表が使えるのは長くてもここ数日だろう。あなた達が行動を起こすには今すぐの準備がいる」


 正直言って断るつもりでいたが、奪還作戦を行う事が現実味を帯びてきた。


「わかりました。これらの資料、まとめてお借り出来ますか?」


「一部は今からコピーしてくるよ。他は持っていきなさい。……ここにある資料たちは我々が苦労して、本当に苦労して手に入れたものだ。大切に使って欲しい」


「もちろんそうしますよ。ありがとうございます」


 その後、書類のコピーを貰って事務所を後にした。これからどうするのか、今日中に高田と相談してみよう。これは俺一人でも高田と二人でもダメだろう。多分仲間がもっといる。知恵を出せて口が固くて行動力があるやつらでやらないとダメだ。

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