第6話 談判

 俺は高田に会うべく自室を出た。玄関を一度通り渡り廊下と本部棟を過ぎてからアルファ棟の玄関をくぐる。高田の靴箱を確認。靴あり。スリッパなし。寮内にはどうやらいるようだ。先に共同部屋を確認すればよかったが、アルファ棟玄関まで来てしまった流れで先に高田の部屋に向かう事にした。なんて話そうかは大体頭の中で決めていた。


 スリッパのペタンペタンという音が寮内の廊下に響く。高田の部屋の前まで来てドアをノックする。


「高田。いるか。俺だ。桜井だ」


 ドアの向こうで動く気配がする。少ししてからドアの施錠が解除される音と共にドアが開く。ドアを顔が見える分だけ開けて高田が口を開く。


「何か用ですか」


 少しぶっきらぼうに高田が口を開く。目線は少し下を向いている。


「今日な、斎藤を尾行した。一日、いや半日尾行した。その結果、いくつかわかった事がある。お前に教えておきたい」


 高田は少し驚いた顔をしてから少し考え、そしてドアを大きく開いた。


「どうぞ、入って下さい。……汚い場所ですが」


 遠慮なく部屋の中に足を踏み入れる。高田の部屋は散らかっており、高田の定位置と思われる部屋の奥にあるこたつと座椅子以外に座れそうな場所は無い。あとは冷蔵庫と棚とベッドがあり、その隙間を埋めるように衣類やゴミが散乱している。高田はこたつの座椅子に座ってこちらを見る。立ったまま話すのもなんなので仕方なくベッドの上に腰を掛ける。部屋の空気が重い。高田はこの間の事をまだ根に持っているように感じる。俺は口を開く。


「斎藤は恐らく朝っぱらからバイトをしている。隣町のスタンドとコンビニのバイトを掛け持ちしてな。俺は9時からヤツを尾行してバイトの掛け持ちを確認した後、さらにヤツを付けた。ヤツはある場所に向かった。寮の方角では無かったから次のバイトに向かうのかと最初は思ったよ。だが違った。ヤツが入っていた場所は宗教団体の教団施設だった。アムリタ教団を自称する宗教団体だ」


「俺はそれ以上の尾行をやめて、少し前に帰ってきた。その教団はホームページを持っていてな。見てみた。そうしたらそいつらは共同生活をしながら修行をするらしい。……斎藤は寮を出て、大学を辞めてそこに入信するつもりだろう。いや形だけはもうすでに入信しているかも知れない」


「俺はどうしてもそれを阻止したい。お前はどうだ、高田」


 苦々しい顔がこちらの足元を見ている。コイツは馬鹿じゃない。恐らく薄々感じていたもののなるべくこのシナリオは考えないようにしていたのだろう。それを尾行までして見てきた俺から事実を伝えられて飲み込めずにいるのかも知れない。

 十数秒の沈黙。


「……自分も、それはイヤですね。イヤです」


 だが、協力するかは迷っているようだ。相手は宗教団体だ。結束も固いだろうし正面からやりあえば信徒たちが全力で止めてくるだろう。その上で自分にとって不愉快な嫌がらせをしてくるかも知れない。

 高田は長いこと固く目をつぶる。ゆっくりを目蓋を開くとこちらを見つめた


「協力します。自分はどうすればいいですか」


「無駄な努力だとは思うが筋は通そう。これから斎藤と話をしに行こう」


 恐らく俺ら2人が止めに行ったところでヤツはあのねじれた熱意で逆に俺たちを勧誘してくるかもしれない。

 しかしまずはきちんとした形で俺らが宗教団体との交流を止めに行ったという事実がなければならないと思う。お前が退寮し退学してまで宗教にハマることを止めさせたいと明確に意思表示をするべきだ。いや、退寮退学についてはまだ推測の域を出ていないが、その事実確認もしなければならない。


「わかりました。行きましょう」


 高田は立ち上がる。それに応じて俺も立ち上がり部屋を出る。出る時に部屋のドアに掛けてある時計をチラッと見る。時計は7時を指していた。

 ヤツは昼の2時にあの施設に入った。そこから5時間も経過しているのだ。さすがに帰って来ているだろう。


 ベータ棟へと向かう途中で恒例の玄関確認。靴あり。スリッパなし。ヤツは寮内にいる。話をしに行こうと言ったものの、頭の中ではまだ何を話すべきか、どう切り出すべきか、きちんと整理がされていない。さてどうするか。最低限これからどうするつもりなのか。寮を辞めたり大学を辞めたりするのか。それだけは明確な答えを聞き出さないといけない。


 斎藤の部屋の前まで来た。中ではガサゴソと音がする。探しものか部屋の掃除でもしているのだろうか。一呼吸置いてからノックする。斎藤はすぐに出てきた。ドアの隙間からぬっと坊主頭が現れる。斎藤の身長が大きいせいで少しだけ圧を感じる。ドアと斎藤の隙間からお香の様な匂いが漂ってくる。


「やあ、桜井君!……それに高田君も!どうしたのかな。随分浮かない顔をしているね」


「斎藤、ちょっと話があるんだが、中に入ってもいいか?駄目なら俺の部屋でも良いんだが」


「駄目なわけ無いさ!さぁさぁ入って。ほら高田君も!」


 斎藤が嬉しそうに俺たちを向かい入れる。身長の大きい斎藤のせいで部屋の中に入るまでよく見えなかったが、かなり片付いている。

 布団は畳まれて部屋の端に追いやられている。かつてあったはずの冷蔵庫はどこかに無くなっており、中身がパンパンに詰まった大きいリュックサックが3つほど部屋の隅に置いてあった。


 だがそれ以外の部分では部屋の中は異様と言わざるを得ない。2つのこたつが並んで壁際に置いてある。一つはノートパソコンやルーズリーフや筆箱が置いてある。これはいい。学生として普通だ。だが、もう一つのこたつには紫色のテーブルクロスの様な物が敷いてあり、人を象った小さな像が台座に置いてあった。さらにそれを中心にお香らしき物が四方を囲むように配置されている。


 俺と高田がこの像に見入っていると斎藤が喜々として解説を入れてくる。


「ん?この御像かい?ほら、もっとよく見てみて。この御像は導師様と信徒と宇宙の統合を表す概念的象徴なんだ。周囲のお香はこの御像を荘厳する為のものだ。簡易的なものだけどね!本物はもっと凄いんだよ。興味あるだろう?」


「いや、興味は無いよ。珍しいものだから見ていただけだ。……斎藤、聞きたいことがある。バイトを掛け持ちしているって本当か?それも日中働いているって聞いたぞ。その、言いにくいんだが、そんなに金に困ってるのか?ハッキリ言うが、大学、行ってないだろう。それほどまで金に困ってるのか?」


 さすがに尾行したとは言えない。なので思わず風聞を聞いたような言い方にしてしまった。


「いやー……桜井君に心配させてしまった。申し訳ない。まさに心配させたくなくて黙っていたんだけど、私は前期を休学していたんだ。素晴らしいサークルに入って、またその後に更に素晴らしい教団に出会ったからなんだ。教団は会費によって成り立っているからね。その会費を納入する為の浄財を世間から稼ぐ必要があったのさ。こういっては何だけど心配しなくても大丈夫。無理な働き方はしていないから」


 ニコニコと斎藤は答える。こちらとしてはまさかバイトの理由が教団へ貢ぐ為だったとは思わなかったし、そのためにほぼフルタイムで働いている事に俺はショックを隠せない。横にいた高田が質問をする。


「その教団ってもしかして、アムリタ教団ってやつですか?」


 斎藤が胸を張って答える。


「お!そのとおり!よく知っているね!あまり宣伝していないからまだまだマイナーだと思っていたけど、そうか……もしかすると我が教団が宇宙を席巻する日はそう遠くないのかも知れない。素晴らしい教えだから私は世間の皆がこの教えに入る事は既定事項だと思っているけどね!」


「その斎藤さんの言う教えってヤツって、噂だと共同生活をするって聞いたんですけど、斎藤さんもそこで暮らすんですか?」


「もちろんそうだよ!実は明日から在家信徒から出家信徒になる為の合宿に参加するんだ。在家信徒っていうのは今の私みたいに世間にいながら教えを受ける人達だね。でも目指すべきは出家信徒。つまり尊い精神修行の生活を24時間みんなでする信徒だ。導師の下で仲間たちと一生懸命精神を磨く修行をするんだよ。とても素晴らしいだろう?」


「ということは大学はどうなるんです?そこから通うんですか?」


「大学は……残念ながら自主退学することにしたんだ。だから寮生の皆と会えるのもしばらくは無いかな……。でも大丈夫だよ!いずれこの教えが世界に広がるから、そうなればまた会うことが出来る。それも同じ教えを求める信徒としてね!」


 そんな日は来ない。そう叫びながら殴りそうになった。静かに深呼吸して心の調子と整える。


「なぁ、斎藤。考え直せ。ハッキリ言うが、俺たちはお前をそんな変な教団に入って欲しくない。まして大学辞めてまで怪しい宗教にハマるなんて絶対に止めたい。明日から合宿とやらがあるそうだが、行かないでくれ。俺はお前の頭がおかしくなっているのを見ているのがとてもつらい。だから頼むから行かないでくれ。教団のやつらが怖くて後戻り出来ないのであれば俺たちが匿うし、お前が隠れてる間に警察でも弁護士でもなんでもお前の代わりに相談に行っても構わない。だからそんな宗教に行くのは辞めてくれ」


 斎藤は目をつぶって両手を合わせて何かを早口で唱える。何度も何度も唱える。何度も唱えていると斎藤の両目からゆっくりと滴がにじみ出て涙となって頬を伝う。


「導師よ、聖なるシャクティよ、私はとても幸福です。私には心から心配してくれる友人が2人もいるのです。この友を私の元に寄越して下さった奇跡を心に刻みます……ナマステ」


「桜井君、高田君、君たちの熱い思いは確かに私の心に響いたよ。でも大丈夫。君たちの心配はすぐに無くなる。この教えは本物だからね。だからすぐに杞憂だとわかるよ」


「……おっと申し訳ない。祈りの時間が迫っているんだ。その後明日の準備をまだしなければならない。しばらく会えないが、二人とも達者でいて欲しい」


 最低限の事は聞けた。とりあえず今出来そうな事は他には無いように思う。だが、明日からいないとなると手立てが無い。早期解決するには何もかもが遅すぎた。


「……わかった。とりあえず俺らは帰る。だが諦めないぞ。あと……これは興味本位で聞くんだが、その会費とやらは月額いくらなんだ?」


「会費かい?月額11万円さ」


 高すぎだろう。これは確かに連日フルでバイトをしなければ明らかに払える額ではない。俺たちは後ろ髪引かれる思いで斎藤の部屋を後にした。


「俺たちってなんだったんですかね。結局止められませんでしたね」


「いや、まだ手立てはあるさ。なんとかなる……多分な」


 今日のところはもう解散することにして、また集まって対策を練る事にした。

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