05

「そんな……」


 フィーネが顔を歪ませる。

 父が娘への愛情を取り戻す美しい物語――だが、その悲劇的な結末をアルドたちは知ってしまっている。


「あんたも時空の穴に飛び込んだのか。クロノス博士を止めて、この時代に連れ戻すために」

「そういうことだ。だが……知っての通り、私は失敗した。過去に向けて穴の中を進んでいる時、嵐のような衝撃に襲われてね。本来の時の流れから外れてしまったんだ」

「嵐のヨウナ衝撃……時嵐デスネ」

「ああ。クロノス一家が襲われたのと同じやつだな。てことは、あんたも時の暗闇に……?」

 アルドが訊くと、彼は「いや」と否定した。

「幸い、そこまで深いところまでは飛ばされなかった。だが目指していた方向も元来た方向も見失ってしまってね。それからは自分がどこにいるのかもわからず、ずっと漂流していたよ」

「でも、じゃあおじさんはどうやって次元の狭間にたどり着けたんだろう?」

「確かに……それに、どうしてリリの姿になったんだ?」


 二人の疑問に、彼は「わかっている」という風に頷いた。


「話にはまだ続きがあってね。ある時、不思議なことが起きたんだ」

「不思議なこと?」

「ああ……誰かに呼ばれているような声が聴こえたんだ。その声に導かれるまま進んでいくと、ある光景が目に飛び込んできた。月明かりに照らされた森で、アルドくん、君が魔物と戦っていた」

「オレが?」

「それって、月影の森のことかな?」

「ああ。君たちに案内してもらった時に見覚えがある気がしたが、確かにあの森だった」

「月影の森で、オレが魔物と……? あっ! それってまさか、ヴァレスと戦った時か!?」


 これまでの冒険をひとつの物語とするならば、序章に位置づけられるであろう最初の事件。

 あの戦いを「見ていた」と、彼はそう言ったのか。


「でも、あの時周りには誰もいなかったはずだ」

「当然そうだろう。私はそちらの世界にはいなかったのだから。だが、理屈はわからないが、確かに私は見ていたんだよ。次元を超えて、君たちのことを」

「……どういうことだ? リィカ、わかるか?」

「イイエ、残念ナガラ」

 リィカは一度首を振り、それから「デスガ」と続けた。

「仮説を立てるコトハ可能デス。彼の身体はαジオの影響を強く受けてイマス。ジオ・プリズマの力を宿すフィーネさんと、その力の影響を強く受けたアルドさんに、彼のαジオが共鳴したトシタラ――」

「ジオ・プリズマとαジオが……?」

「ふっ。さすがマドカ博士の作ったアンドロイドだけあって優秀だな」

 誉められ、リィカは「イイエ、ソレホドでもアリマスガ!」と目を光らせた。

「プロトタイプであるαジオとジオ・プリズマが共鳴反応を起こすことは実験でも証明されていた。ジオ・プリズマについてはまだ未知の部分が多いが、異なる次元を繋ぐような力があってもおかしくはないだろう」

「じゃ、じゃあ……あんたは、オレたちのことを次元の向こう側から見ていたってことか?」

「ああ」

「……そんなことが本当にあり得るのか……?」


 とても信じられないような話だった。

 が、ジオ・プリズマの力が信じられないような奇跡を起こしたことはこれまでに一度や二度ではない。


「私はずっと君たちの冒険を見ていた……いち傍観者としてね。君が未来へ跳んだ時も、その未来が一度消滅した時も……君たちが歴史改変を阻止して未来を救ってくれたこともね。礼を言わせてくれ。私にできなかったことを君たちがやってくれたんだ。クロノス博士のことは残念だったが……」

「……パルシファル宮殿で博士が倒れた時のことも見ていたのか」

「ああ……立派な最期だった」


 あの時、悲嘆に暮れていたのは自分だけではなかったのだ。連れ戻すと誓った人を目の前で喪った彼の気持ちは、アルドにも十分に想像できた。


「これでわかっただろう。君たちが旅してきた場所を案内してもらうことで、私は徐々にその時の記憶を取り戻していった。そしてエルジオンで成長したリリを見た時、すべてを思い出したんだ」

「オレたちにとって思い出深い場所が、あんたにとってもそのまま当てはまったってことか」

「でも、月影の森に咲いてる花を見たことがないって言ってたよね?」

 と、フィーネが疑問を口にする。

「見ていたといっても実際にそこにいたわけではないからな。あの森の植物たちは不思議な光を放っていた。エネルギーを専門にしていた私の研究者としての血が無意識に騒いでしまったのだろう」


 これまでリリの言動に抱いてきた数々の違和感が、バラバラだったピースがパズルに嵌まっていくようにひとつの解に収束されていく。

 行く先行く先で「この場所を知っている」と言うのを、アルドはそんなわけがないと疑っていたが……ようやくその理由がわかった。

 月影の森、パルシファル宮殿、エルジオン。

 アルドが見てきたものを彼も同時に見ていたなら、異なる時代の景色に覚えがあるのも当然だった。


「しかし、感慨深いものだな。あんなに小さかった君たちがこうして立派に成長した姿を見れるとは」

「……でも、オレは」

「わかっている。君はキロスで、エデンくんとは別人だ。だがそれでも、君たちが兄妹であることは変わらないだろう?」


 アルドもフィーネも、なんと答えたものかわからずに口をつぐむ。

 彼は本当の自分たちを知っているが、自分たちには当時の記憶がない。記憶を持つ者と持たない者……いつの間にか立場が逆転していた。


「さて、残る問題は私がなぜリリの姿になっているのかという点だが」

 と、いかにも科学者らしい口調で続ける。

「つい先ほどまで私にもわからなかったが……リィカの言葉でようやくわかった」「……αジオ、か?」

「そうだ。エデンくん……クロノス・メナスが地上に出現した時、膨大な質量のαジオが放出された。その衝撃を私はまともに受けたんだ」

「なっ……!」


 十六年もの間、時の暗闇という檻の中で孤独に苛まれ、悲しみと憎悪に心を支配されて変わり果ててしまったエデン。

 ファントムの企みにより次元の渦から呼び出され、世界の運命が破滅へと向かおうとしていたあの時……アルドは次元の渦からその光景を見ていたが、彼はまさにその中心にいたのだ。


「私の身体はひとたまりもなく吹き飛んだよ。自分の存在が消えようとしているのが自分でもわかった。その時、私は恐らく無意識に願ったんだ。もう一度……たった一度でいいから、リリに会いたいと」

「っ!? じゃあ、あんたがリリの姿になったのは――」

 アルドの脳裏に、ひとつの記憶がフラッシュバックする。

 キロスであった自分がアルドになった理由――フィーネの強い願いとジオ・プリズマの力の共鳴。

「君と同じだよ、アルドくん。粉々になった私の肉体を大量のαジオが再構成したんだ。強く心に思い描いていたリリの姿にね。だが、αジオはジオ・プリズマとは違い未完成だった。だから娘の体と人格はコピーできても、記憶までは再現できなかったのだろう」


 迷子の少女の正体。あまりに切ない真実に言葉を失うアルドとフィーネ。

 自分たちを追って時空を超えた彼が、今こうして自分たちと邂逅を果たし、すべてを思い出した。

 なんと数奇な運命の悪戯だろう。


「……リリに会いに行こう。きっとあんたの帰りをずっと待っていたはずだ」

 アルドが言う。だが彼は首を横に振った。

「いや。残念だが、それはできない」

「えっ!? ど、どうして!?」とフィーネ。

「あれから十六年も経ってしまった。すぐに戻るという約束も果たせず、今さら合わせる顔があるはずもない。……文字通り、父親としての顔も失ってしまったしな」

「そんな……ちゃんと話せばわかってくれるはずだよ!」

「なあリィカ。彼が元の姿に戻る方法はないのか?」

 アルドに問われ、リィカが『ピピ――』と計算音を鳴らす。

「……不可能ではナイと思われマス。娘サンに会いたいトイウ願いが叶エバ、ソノ時点で彼がリリさんの姿を保つ理由もなくなりマスノデ」

「じゃあ、リリに会えば元の姿に戻れるってことか!?」

「…………」

 アルドが期待を込めて言うが、リィカは意味深に口を閉ざす。

 その後を継いだのはリリの父だった。

「リィカの言うように、リリに会えば元の姿に戻れるかもしれない。だが恐らく、その瞬間に私の存在は消えてしまうだろう」

「えっ!?」

「私の本来の肉体は時の大河で失われている。私はもうこの世界のどの時代にも属さない存在になってしまっているはずだ。今こうして存在を保っていられるのはαジオの力によるものに過ぎない……だとすれば、αジオの力を失った瞬間に消滅してしまうと考えるのが自然だろう」

「そんな……」

 ようやく元の世界に戻り、失っていた記憶も戻ったのに、唯一の願いさえ叶わない。こんなに残酷なことがあるだろうか。

「リリを見つけた時、私が逃げた理由がわかっただろう? もう私は父親としてリリに会うことはできない。それに、リリだって自分を見捨てた父親の顔など見たくもないだろう」

「そんなこと……!」

「……お兄ちゃん」


 食い下がるアルドの袖をフィーネが引く。

 フィーネが言いたいことはアルドにも理解できた。

 自分たちも無関係ではないとはいえ、突き詰めればこれは彼ら親子の問題だ。

 それに、元の親子に戻れないとわかって尚、二人を引き会わせることが本当に正しいことなのか、アルドにもわからなくなっていた。


「ありがとう。でももういいんだ。一瞬でも成長したリリの顔を見ることはできたし、君たちのその気持ちだけで充分だよ」

「……何か、他にオレたちにできることはないのか?」

 振り絞るようにアルドが言うと、彼は少し考えた後にこう言った。

「そうだな。そこまで言うのなら、ひとつだけ頼みを聞いてくれないか?」

「ああ。何でも言ってくれ」


 彼はかすかに微笑みを浮かべる。

 それは先ほどまでの科学者らしい生真面目な顔ではなく、愛しい我が子に向ける父親の表情そのものだった。


「あの子に……リリに伝えてほしいことがあるんだ」

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