颱風関ヶ原~石田三成、関ヶ原に吹き荒れる~

@wizard-T

第一章 徳川家康の覚悟

徳川家康の覚悟

 慶長五(1600)年九月一日。


 真っ二つに割れていた天下を元に戻さんと、五大老筆頭にして内大臣である徳川家康は馬上の人になっていた。




「非難したくばすればいい。もうわしは戦乱には飽いたのよ」




 小田原城が陥落し、天下が統一されてから十年。戦いは終わったはずだったのだ。にも関わらず、今再び戦乱が起ころうとしている。


(太閤よ、何をする……戦乱が終わった事に気が付かない痴れ者ではなかったはずだったのだが……)

 応仁の乱から百二十三年。民衆は長続きする戦に疲れ果てていたはずだ。


 なのに、秀吉は小田原から二年もしない内に朝鮮出兵を決行。



 成果は上がらず、大名や民衆をさらに疲弊させただけだった。文字通りの戦のための戦に、家康は秀吉に対して絶望した。


 その他にもやっとできた実子の秀頼を後継者にする為に、一旦後継者に指名したはずの秀次を殺害するなど、晩年の秀吉は明らかに乱心していた。


 そしてその秀頼はまだ八歳。とても実際の政治を行う事など無理な年齢である。



「福島殿は何とも勇ましいご様子で……」

「確かにあれは勇将だ。しかし車の片輪に過ぎん男だ」



 まあそれでも秀吉が残した側近連中がうまく政治を行えていればそれで良いのだが、秀吉に続き秀吉の親友で豊臣家を支えていた前田利家が亡くなってからと言うもの、豊臣家は内部分裂とも言うべき状態になっていた。


「その片輪がもう一方の片輪を壊そうとしている……」

「まあそういうことになるな」


 家康は小姓頭の本多正純の言葉に小さく頷いた。

 豊臣家譜代にして家康率いる東軍に参画している福島正則は秀吉の従兄弟であり戦場に立てば目覚ましい活躍をする猛将であるが、それだけで天下を治められるわけではない。

 武官と文官は言うなれば車の両輪であり、片方だけでは車が動くはずがないのだ。

 いや、あるいは馬車を引く二頭の馬と言った方が正しいかもしれない。いくら馬の力が優れていようと、操り手が二頭の馬をうまく働かさなければ馬車は進めない。今までは秀吉と言う大変優秀な操り手がいたから二頭の馬は力を合わせて進む事ができた。

 しかし秀吉がいなくなった今、二頭の馬は喧嘩を始めてしまっている。そして新たなる操り手である秀頼に、二頭の馬を制御する力はない。これでは前に進むはずがない。


 しかももっと悪い事に、この二頭の馬の喧嘩は実の所かなり一方的だった。




「これはあくまで噂の段階を出ない話ですが」

「構わぬ、申せ」

「東軍の一部に対し、治部少輔が誘いの手をかけているとか」

「あの男らしくもないな。で、成果は」

「あろうはずもございません。それでもう一つ、総大将を備前中納言か島津維新斎に譲ろうと考えているとか」

「安芸中納言(毛利輝元)は無視か」

「仕方がないでしょう、ずっと大坂城に居続けの男など」




 治部少輔こと石田三成こそ、家康たち東軍と対峙する西軍の総大将だった。


 そして、その石田三成こそ豊臣家の文の部分を担う人物であり、福島正則とその仲間たちにもっとも忌み嫌われている人物だった。



 三成は家康を豊臣家の政権を脅かす存在として危険視し、豊臣の天下を守るために西軍を組織してここまでやって来たのだ。



 実際、家康は今の豊臣家に天下は担えないと判断しており、いずれは豊臣家を滅ぼすつもりである。その点では、豊臣家の家臣としての三成の判断は全く正しい物だった。



「左衛門大夫(福島正則)に三成の本音を聞かせてみたいわ。どんな顔をするか、楽しみだ」


 家康は実に狸親父らしく笑った。




 正則にはここで何とかせねば豊臣家が危ないなどと言う発想は全くない。


 もう既に豊臣家の天下は定まった事であり、それが覆されるなど正則にとってはありえようがない事態であり、自然三成の行動は理解できなかった。



 いや、それ以上に大きな問題として、正則は三成が大嫌いだったのである。


(確かに同じ働きをした馬に同じ飼い葉を与えると言うのは、理屈ではごもっともだ。だがな、それでは現場で血を舐めて来た人間は納得せんよ)


 戦場で汗を流し命を削り合って来た福島正則にとって、三成は後方の安全な所でぬくぬくと過ごし、小手先の知恵ばかりを操る取るに足らない男に見えていた。


 そしてそんな男が、自分とほぼ同じ二十万石と言う石高をもらい自分と同じかそれ以上に秀吉に寵愛されている、そういう現実が果てしなく嫌だった。

 日頃から、あいつだけはいっぺんぶん殴ってやりたいと言う気持ちが正則の中に充満していたのである。


「燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや……紛れもなく三成は鴻鵠にして、正則は燕雀である。されど燕雀とて鴻鵠の志を阻む事はでき、鴻鵠とて燕雀の力なしには何もできぬ……」


 無論、三成とて正則の自分に対する憎悪をわかっていない訳ではない。


 だが、三成は正則をまだ豊臣家の同僚だと思っていた。今は豊臣家の一大事であり仲間同士でいがみ合っている暇などない、共に手を取り合ってこの危機を乗り切ろうと心底から思っているのだ。


 そう考えれば三成が成就する訳もない寝返り工作を行い、また正則のご機嫌を取るために自らが出しゃばっていると言う印象を消そうとするのも筋が通っている話である。

 備前中納言こと宇喜多秀家は秀吉の猶子で五大老の一人だし、維新斎こと島津義弘は六十六歳と言う年齢相応の戦歴の持ち主である。どちらも十万にも達する軍勢の総大将を務めるに不足の器ではないだろう。三成の正則に対する気持ちはそこまでの物だった。


「福島正則にお前は燕雀に過ぎないと言ってやったらどうなるやら」

「お戯れを」

「わかっている。まあ豊臣家が滅ぶ間際になったら聞かせてやらんでもないかもな」


 家康はそう軽口を叩きつつも淋しい気持ちになった。石田三成と言う、ひとかど以上の器量の持ち主がこんな苦しい事態に遭遇しなければならないと言う現実が、何ともやるせなかったのである。

 関東六ヶ国・二四四万石の主である自分に対し、佐和山二十万石・十分の一以下の領土の主に過ぎない三成が、多数の協力者がいたにせよ自分が率いる軍勢とほぼ同じ数の軍勢の総大将としてこの戦場にやって来た。小手先の知恵を操るだけの男にそんな芸当ができるはずもない。


「大方小手先の報酬で釣ったのだろう、そうでもなければあの小才子にこんな真似ができる訳がない!」


 などと正則は言いふらしていたが、家康から言わせれば噴飯ものの妄言である。



「まったく、太閤殿下をなめておりますな、福島と言う男は!」

「しかも無自覚にな」

「太閤殿下が見込んだ人物がそこまでの阿呆のはずはありますまい…………」

「そう思いたいのだがな……」


 そこまで進んだ所で、家康と正純の声の音量が急に小さくなった。


 もし三成がこの戦いに勝ったとしても、正則に断罪を下すとは家康には到底思えなかった。おそらく戦争を起こした責任は徳川家と家康に押し付け、「家康の口車に乗せられた」正則は厳しくて切腹か流罪、下手をすれば上杉家辺りへのお預けで終わるかもしれない。


(どうあがいても二十万石は二十万石、我が徳川の十二分の一……もちろんご奉行の権威は大きいとしても、それができる事などたかが知れておろうに……)


 そして三成がどんなに西軍総大将を気取った所で、宇喜多・島津・毛利・上杉など自分に味方した、かつ石田家より大きな家はいくらでもある。それらを無視して勝手な事をやれば、三成の首など簡単に飛ぶ。


 要するに、いくら西軍が勝った所で、三成が好き勝手にやるなどできっこないのである。一方で東軍には徳川家を上回るどころか伍する家すらない。大大名と言える存在があるとすれば前田と伊達だが、前田でも石高は徳川の半分以下であり、伊達に至っては四分の一以下である。

 まあそう思いながら家康自身も口では正則と同じように「豊臣家を守るため、三成の豊臣家簒奪を阻止する」と言っているが、それは名目のための名目であり、豊臣家を守る気持ちはさらさらなかった。天下から戦乱を滅する事こそが家康にとっての最重要事項であり、その為なら豊臣家など全然惜しくはなかった。しかし、三成と言う存在は惜しかった。


(戦場ではともかく、人間全体としてみれば三成と正則の価値は桁が違う)


 三成が正則に比べて劣っている所は何か、その問いに対する家康の答えは二つだけだった。一つは個人的武勇であり、もう一つは自分の意思を伝える技術である。


 三成が正則にここまで嫌われるのは後者が原因であった……のならば家康はここまで三成を惜しんだりはしなかった。


 重病に悩まされている大谷吉継が誤って膿を落とした茶を他の将が避ける中三成は平然とそれを飲み干し、結果吉継の厚い信頼を勝ち取ったという話を家康は知っている。確かに手段はかなり特異であったが、生半な人間にできる事ではない。

 それに、三成はまだ自分が四万石の身代に過ぎなかった時、筒井家の元を去って浪人していた島左近に対し、半分の二万石を出して迎えている。それもまた、三成の器量を示すには十分すぎる話である。


 正則がこの二つの話、特に秀吉在世の時に起こった後者の話を知らないはずがない。そして秀吉が自分と同じように三成を寵愛している、その時点で正則は三成の器に気付くべきだったし実際気付いてはいたのだろう、しかし認めたくはなかったのだ。


(何々と言う分析をした結果ダメだとなるのと、最初からダメと言う理由を探すのでは訳が違い過ぎる)


「大夫はこの戦場を何だと思っておるのであろうなあ」

「おそらくは絶好の鬱憤晴らしの場かと」


 家康は既に、福島正則と言う人物を見限っていた。


 この冗談に通じる正純の言葉にも、家康は笑おうとはしなかった。実際、正則にそういう子供染みた心持ちがないようにはどうしても思えなかったのである。








「まあ、徳川も徳川で豊臣の二の舞を演じてはならんのだがな」

「父も父で一所懸命なのです」

「言い聞かせてはおるつもりなのだがな」


 だが徳川とて憂いがない訳でもない。

 正純の父、本多正信は徳川の文官の代表であり家康が最も寵愛している家臣であったが、本多忠勝・井伊直政・榊原康政ら徳川の武官たちには蛇蝎の如く忌み嫌われていた。

 まるで三成と正則のような状態である。


「案ずるな、平八郎(忠勝)も万千代(直政)も小平太(康政)も豊臣の失敗を見て自分たちが同じ事をすれば二の舞だと言う事に気が付かないほどの痴れ者ではないわ」

「大殿様の言葉、実にありがたく思います」


 正純はあれほど懸命に家康に尽くしているはずの父が、他の徳川家の重臣に嫌われている事が辛くて仕方がなかった。

 武官と文官の対立は豊臣家を見るまでもなく世の常だが、家康の言葉を聞けばわかってくれるだろうと言う期待が正純の胸にあふれていた。


「しかし……」

「何だ」

「若様は大丈夫でしょうか」

「気になるのか」

「真田でございます」


 家康が豊臣系諸侯と共に東海道を西進する一方、家康の三男である秀忠は徳川の中核戦力を率いて中山道を西進していた。

 その道中の信州上田城にいるのが、真田昌幸である。


 表裏比興の者と言われるその海千山千の男はかつて徳川家に苦杯を嘗めさせた事があり、徳川にとっては因縁深き相手である。


 その因縁深き相手をこの機会に成敗してやろうと秀忠が考えていたとしても一向におかしくなかった。


「そのためにお前の父と小平太がいる。小平太も分別はわきまえている。秀忠は素直な人間だとわしは信じている」

「父と榊原様の言う事をよく聞いておけと……」

「そういう事よ」


 もちろん家康は両名が不仲である事は知っている。しかしその両名とも、少数の真田などに構っている暇はないという事においては意見が一致しているのは確信していた。

 秀忠も両名の不仲はわかっているだろうから、その両名の意見が一致していればそれが金言と呼ぶに値するそれである事は理解するだろう。




「大夫には悪いが、これも天下のためよ」

「内輪揉めを起こした者の末路を世に見せるための生贄……」

「ああ、そういう事だ」


 いくら一人一人が有能であろうとも、手を取り合わなければ天下は取れないし、天下を守る事も出来ない。そんな当たり前のはずの事を、秀吉が生きていて天下を取ろうとしていた頃はできたのに、天下を取り終え秀吉がいなくなった途端にできなくなった。そんな福島とそれに追従する連中に、家康は自分なりのやり方で最後の役目を与えているのだ。


(三成……大夫たちの末路、お前にはわかっているのだろう?だがな、わしは大夫を犠牲にしてでも、この国から戦乱を消し去りたいのよ。そこはわかってもらいたいのだがな)


 家康は無意識に空を仰ぎ、溜め息を吐いていた。

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