新たなわたし
コムシ
新たなわたし
地球と月は、元は一つだった。一つだったところに、大きな天体が衝突して、二つに別れた。地球と月は、元は一つだったのだから、かわいそう。
そう思ったのは、わたしではなく、前のわたしで、その人は、月を地球に衝突させて、元のひとつの状態に戻そうとしてみたのだけど、二つに別れた原因を考えれば、それはむしろ逆効果になると誰もがわかるはず。それでもやってみなければわからないと言って、その後のことはわからない。今のわたしが知らないのなら、その夢みたいな計画は夢のままで終わったようだ。
前のわたしがやらなかったからといって、次のわたしがそれをやるかと言ったら、そんなことはない。地球と月を一つにくっつけようとしたって、また別の月ができるだけ。わたしとしては、月は一つあれば十分で、二つも三つもあったらたまらない。そう考えるのはこのわたしであって、他のわたしがどう思うか、わたしの知るところではない。好きにすればいい。好きにすればいいと言われると、何をするか迷うのはきっとどのわたしでも同じことだと思っている。
実のところ、わたしはなんでもできる。光あれ、そう呟けば光を生み出せる。リンゴを食べた、と言えばリンゴはすでにわたしの中で分解吸収されている。だから地球と月を一つにしたいなら、それを実現させることは造作もない。
実のところ、あらゆるすべての可能性の出現は、同時に不可能性を生じさせることを、わたしは、わたしがなんでもできることを知っている。それを確かめたことはない。
だから、確かめてみることにした。好きにすればいい。ここはわたしだけの空間で、だからこそわたしはなんでもできるということになっている。それなら、この空間がなくなれば、わたしの本当の姿が現れると思っている。わたしたちが今やっていること、これからやろうとしていること、これまでやってきたこと、そんなことに興味ないもの。
ほら。また始まる。興味があったら、見てみたら。
こんにちはわたし。新たなわたし。
やっぱりおかしい。
わたしはこう考えた。よく言われる並行世界の自分と出会うとパラドックスが生じるということは、間違っている。なぜなら今、わたしの目の前にわたしがいるから。
どこからいつ現れたのかわからない。気がついたらそこにいた。まるで今までただ見えていなかっただけ、それまでずっとそこにいたかのように、そこにいた。ここはわたしの部屋で、わたしがいるのは普通のことだから、別のわたしがそこにいてもべつにかまわない。そう飲み込んでみても悪くない。
突然現れたもう一人のわたしは、鏡に映るわたしよりもわたしだった。それもそう、鏡に映る自分というものは姿が自分と同じでも、それは反射した光。実体もないからホログラムみたいなものだし、反射しているのだから左は右で、右は左になってあれは自分じゃない。だけどもう一人のわたしは、「もう一人のわたし」と言うほどにわたしで、右は右で左は左だった。
そんなことを考えていたら、もうひとりのわたしが口を開いた。もうそっくりそのままわたしの口だ。まじまじ見ると、口は気持ち悪い。
「どうして」
そんな口から発せられた言葉は、言葉すらもわたしと同じだった。それはつまり、言おうとしていたことが。
「どうしてだろうね」
元の言葉に四文字付け足して返して、ほかになにか。頭の中にあるのはすべてわたしのことだけ。揺らぐわたしの存在は、何をもって存在していたのだろう。もう一人のわたしの存在する理由を考えることは、このわたしの存在する理由を考えることと同じ。それはもう一人のわたしの方も考えていることは同じで、おそらくこの問答は堂々巡りになるだろうという結論に至れば、とりあえず目の前に起こったことを受け入れるしかない。とはいえ、やっぱり理由が気になるのはわたしのことだからで、こんなことは他の人、いじわるなあの子や成績優秀なあの子、催眠術の使い手であるあの先生だとか、さらにはこの国の総理大臣や外国の金髪で厳めしい大統領なんかも、もう一人の自分が現れたご経験はおありですかなんて尋ねてみたって、お互い頭がおかしいんじゃないかと思って答えてくれないだろうし、だから彼らは誰かにそのことを口外しないし、だから今わたしが「どうして」と口にするしかないのはそのせいだ。
そういうわけで、もしもしPh.D.と聞いてこの状況を解説してもらうことはできず、わたしが引き続き解説もとい実況をすることとなった。さて、再びもう一人のわたしが口を開いて何かを言いそうです。果たしてどんな言葉が出て来るでしょうか。
「あなたはわたしなの」
放たれた疑問文に対する回答をわたしは持ち合わせていない。実況者はそれを解説者に聞くことが仕事のひとつ。わたしは実況者。同時にプレイヤー。誰か答えを教えて。明日の天気もついでにさ。だってアメダスに「どうです」と聞いても「雨です」としか言わないから。それは明日そうなってほしいという願い。明日天気になれって靴を飛ばす子どもの心。昨日も今日も雨です。明日も雨です。ずっと雨じゃ困るから「ひまわり」を打ち上げてみたとか、そんなことばかり考えて、どう答えたらいいのかわからない。昨日のわたしと今日のわたし、明日のわたしは同じわたしと言えるかどうかも。揺れだすわたし。
「あなたはわたしだよ」
あなたはわたしだよ、そう言ったあとで自分の発言にやっぱり違ったかもなんて思うことがよくあると、それなりの人数が共感してくれると思いたい。今言ったことがおかしいことだと、きっと言う前から分かっていたのに、何か言わなければならない状況がそれを言わせるのだから仕方がない。
あなたはわたしじゃない。そうかもしれない。
大体、言葉の上でも違っているじゃない。もう一人のわたしが本当にわたしなら、わたしで一括りにすればいいのに。もう一人のわたしという言葉があなたという言葉に変わっていた。しかもそれはわたしの方で出たものじゃなくてあなたの方から発せられたものだから、お互いに同じことを思っていたはずで、そういうところはわたしなのだけど、どうわたしではないと説明すればいいの。
あるいは、わたしはわたしだけじゃないのかも。わたしじゃないわたしは世界にいっぱいいて、普段は絶対に出会うことはなくて、お互いに存在していることも知らない。わたしはわたしの知っていることしか知らなくて、わたしが占める空間はわたしだけがいて、あたりまえ。でも何かのきっかけで、わたしたちは出会う。例えばわたしの部屋とかで。さすがに数人で定員オーバーの六畳一間だけど。
そう。きっと、この部屋は右と左がどこかとつながっていて、上と下もどこかとつながっていて、扉を開けて出たり入ったりするいつかどこかのわたしたちを出会わせる。出会ったら何が起こるのか、それはこれからわかるのだと、
「思っているんでしょ」
わたしと向かい合った、わたしが心と思考を透かして聞いてくるから、わたしたちはわたしになるのだと、そのために。
わたしは右手を伸ばす。向かい合ったわたしの右手とは決して重ならない。
わたしは左手を伸ばす。向かい合ったわたしの左手とは決して重ならない。
でも。
右手と左手はぴったり、重なる。
左手と右手がぴったり、重なる。
重なった掌が、何も触れた感覚を受け取らず、するりわたしの右手がわたしの左手の中に入っていくように見える。少しずつ、上書きされていくような、わたしという空間に入ってくるまた別の空間が、わたしと同じ姿をしていたのは、何か特別な意味はない。いつかこうして重なって、上書きされて一つになるのなら、わたしというものは、いくつあっても問題ないはずで、わたしの知らないわたしがいるのなら、そんなわたしをあなたと呼んでもおかしくない。
そう考えたのはわたしではなく、前のわたしでその人は、バラバラに、際限なく分裂して飛散した、大勢のわたしを一つにするために、こんなことをやってみて、結局わたしというものはわたしを構成する要素の一つに過ぎず、わたしに上書きされて、ここにいる。過去にいるはずのあなたがわたしの隣にいて、みんな過去から来ているなんて当たり前なのに、あなたの過去にわたしは心当たりがない。わたしの隣にいるわたしを、あなたと呼んでもおかしくない。
だからわたしが、この空間であなたと出会い、ひとつに融合する必要があって、過去は未来と同じように分裂していて、未来は過去の数だけ分裂していく。それらがひとつに束ねられる瞬間を今と呼び、今、わたしたちはわたしになる。
そしてまた、分裂していくわたしたちを、光が付き添い未来に向かっていく。せっかく一つになってもまたすぐ分かれてしまうなら、こんなことに意味はない。そう考えたのは次のわたしで、それでもこのわたしというものは、そうやって生まれてきたのだし、わたしの知らないわたしが隣にいて、そのわたしがわたしを上書きしていくのなら、こんなわたしのちょっとした反抗心も消えていく。過去のあなた、前のわたしの中にもわたしと同じ思いを抱いていたものがいたことは知っている。だからこれは同じことの繰り返しなのだと、新しくわたしになるはずの、次のわたしはこう考える。
この、わたしの始まりは、どんなものだったのだろう。この、わたしの終わりは、どんなものなのだろう。わからないということは、未だ最初のわたしと最後のわたしとは融合していなくて、あるいは始まりとか、終わりなんてものは存在していないのかもしれず、物語の登場人物もそれを知らずにいる。恐竜の最後の一匹も、自分が最後だとは思ってもいないだろうし、自分の終焉が自身の種の滅亡になるなんて思い上がりだと叱られるのが目に見えている。それより単純な見方として、自分が世界にただ一人残されて、もう仲間はどこにもいないことを受け入れられないだろうと考えることに、何か不自然な点はないはずで、最後のわたしも例外ではないはずだ。世界の終末にラッパが鳴るわけではないのなら、わたしたちはわたしたちの終わりに気づくことはない。星が砕けて宇宙に投げ出された音はどこにも届かないから。
何もない。元々世界には何もなかったのか。宇宙とは空間で、空間とは有限で、つまり宇宙は無限の中の有限として生まれた。無限とは文字通り無限で、際限なく広がった空間を空間とは呼べず、壁のない部屋を部屋とは呼ばない。その有限の空間の中で生まれたものからすれば、いつか終わりが来る存在しか認識できず、無限を確かめるには無限の時間が必要で、寿命というものが恒星や惑星にもあるのだから、それよりも寿命が短い存在には不可能なことだ。時もまた無限であり、わたしたちが認識する時間とは、惑星の公転及び自転による惑星の位置であり、それは正確には時じゃない。時間も部屋と同じもので、無限の中から区切ることで現れたもの。つまり人工物。わたしたちと、わたしたちのいるこの部屋と同じく。
わたしたちを生み出したはずの、一人の人間はこう考えた。
朝、しわだらけのベッドの上で目覚めたのは、私だ。さて、この私は昨日の夜、ベッドにもぐり、高さの合わない枕に頭を転がしながら眠った人間と同じ存在だろうか。あまりに頭を転がしたので、夢の中でも回転しつづけて目を回していた私と同じだろうか。
このように記憶を共有しているなら、それは同じ私であるとすることは、全くもって当然のことだけど、いやそうじゃないかもしれないと疑問を抱かなければこのお話は始まらないし、わたしたちも生み出されない。あるいは未来のわたしがそうさせたと考えることもできるけど、それはまた別のお話ということにしておかないと収集がつかない。
話を戻すと、これはテセウスの船だ。人間を構成する細胞は、一日で一兆個入れ替わるとか言う。一か月で三十兆個。人間の細胞は全部で六十兆個だとか三十七兆個とか言われているから、一、二か月で人間の細胞はまるきり入れ替わってしまう。それなら人間を、映画のフィルムの一コマごとに映る俳優。そう考えてみて、ほら、同じ人間が何人も同時に存在できているじゃないかと言い出した。時間と空間を、さらに細かく区分けして、ある一点の時間ごとに、それぞれその瞬間に存在する物体を平面上の空間につなぎ合わせる。それを折りたたみ、重ねて立体にする。あとはそれが自動的に増殖するように設定すれば、この空間が出来上がる。空間の内側にひそかに作られた、わたしたちのプライベートルーム。自動的に増殖するけど、それは地球上の生命も同じことで、地球からそれらが飛び出すほど増えないのは、簡単な話。増えたら衝突するから。同じ軌道上の天体はいつか衝突して、舞い上がった岩石だとか塵だとかが集まって、月ができたりする。肉食動物が草食動物を食べすぎて、肉食動物が数を減らすように、うまく調整されている。自然の摂理はこの宇宙を司る唯一の法則。この宇宙と、その外側の無限とを隔てる壁。
同じこと。要は実験。カオスが紛れ込んで、すべてが竜巻に吹き飛ばされたりしないように、空間から形作るシェルターの中には、何もない。きっとこれから生まれてくるはずの、新たなわたしは、もういない。さっきまでのお話は、もうずっと遠くの、昔のお話。
そう考えた、今のわたし。きっと最後のわたし。もうすぐ終わる。終わらないといけないんじゃないかな。だからわたしで最後。だってもう、あの空間はないもの。それどころか、地球も月も、太陽も。太陽系はバラバラになって、惑星たちは勝手気ままに、どこか別々の方向に飛び出したまま帰ってこない。あの空間は、わたしたちのプライベートルームは、わたしたちのほかに誰にも見られちゃいけなかったのに。どこかから、きっと壁の向こう側から、覗き込まれてしまったのだと思う。そのせいで、カオスがやってきた。法則は全部乱れて太陽系に、太陽とは別の恒星が接近してきたから、みんなバラバラ。みんなバラバラに別れてしまって、かわいそう。またひとつに戻さないといけないね。良くも悪くも、ここはカオスが支配するようになったから、今なら何でもできる。何でもできるけど、カオスが支配する限り、また同じことになる。ならどうしようか。
何となく、もうわかっているかもね。こういうときは、一からやり直すのが定番で、わたしもそうしてみようと思う。それはね、本を読み返すこととは違うよ。誰かに見られたらダメなんだからさ。それでもきっと、次に出会う、次のわたしになるはずの、新たなわたしはこう言うんじゃないかな。
こんにちは、わたし。新たなわたし。やっぱりおかしい。
新たなわたし コムシ @comushi
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