スキマSF
城宮斜塔
コーヒー【オチまで4分】
轟々と唸りをあげる剛風。摂氏零度を下回る極寒の地の、巨大な壁の上。合成毛皮の軍服に身を包んだ背の高い男がライフルを持って通路を歩いていた。後ろから同じ服装の男、それも襟足の長い男が駆け足で追っていく。
「おい、待ってくれよ。ロブスタ」
「なんだ、アラビカ。周回の時間はもう過ぎてるんだぞ」
「こんな時代にラボズを攻めてくる奴なんていねーよ。いつもみたいにサボればいいじゃねぇか」
「そういうわけにはいかないだろ」
「もう地球に氷河期が来て100年も立ってんだぜ。他国を攻めるどころか、街の外を歩く奴すらいねぇよ。聞いたか? 今日のニュースじゃとうとう赤道直下で最高気温が零度まで下がったらしい」
「聞いたよ。ま、それもそうか。それじゃ、ちょっくらホットビアでも飲んで休憩するか」
「そうこなくっちゃ」アラビカは右手を陽気に上げて喜んだ。
「ったく、仕方ねぇなぁ」ロブスタも眉に皺を寄せつつ、まんざらない様子である。
二人は城壁の上の通路を歩き、点々と存在する建物の中に入った。中には木製の簡易テーブルと丸い自動調理器が置かれ、仮眠を取るためのベッドのシーツは黒ずんだままだ。ロブスタが自動調理器のボタンを押すと、水蒸気が噴出し蓋が開いた。ロブスタはふたつのカップを両手に持った。
「あちち、ほら。アラビカの分だよ」
「ありがとよ」
二人はテーブルのそばの丸椅子に座り、ホットビアを飲んで一息ついた。
「そういやよ」とアラビカは帽子を脱いで切り出した。「昔はコーヒーって、みんな飲めたらしいんだよ」
「コーヒーって、あの貴族しか飲めないっていう?」
「そうそう。一杯10万バーツはくだらないっていうアレさ」アラビカは癖のある髪の毛をがさがさと掻いた。
ロブスタはもう一度ホットビアを啜る。「俺たち庶民にゃ縁のない話だな」
「そうなんだけど、そのコーヒーってのが、コーヒーノキって植物に生えるらしくて、エチオピア南西部の高地でしか育たなかったらしいんだ」
「へぇ」ロブスタはカップをテーブルに置いた。「でも、こんな寒くちゃコーヒーノキなんて育たないだろ。施設で栽培してるのか?」
「ばか、部屋を温めるのもただじゃねぇんだぞ。そんな贅沢なことができるかっての」
「じゃあどうしてるんだ?」
アラビカはテーブルに身を乗り出し、得意げにいう。「昔、高級品としてコーヒー豆を食べさせた猫のフンを使ったコーヒーっていうのが流行っていたそうなんだ」
「うええ、変わり者もいるもんだな」
「ああ、そうなんだよ。昔っから金持ちってのは変なものを好んで食べるんだってよ」
「よくわかんねぇよな。じゃなくて、コーヒーの話だよ」
「ああ、そうだそうだ」アラビカは髭面の頬を緩ませた。「その話だったな。氷河期が始まったのって、随分と昔だろ? ということは、コーヒーが栽培できなくなるまでに時間があったわけで」
「たしかにそうだ……もしかして、大量に保存してあったのか?」ロブスタは長身の背を曲げてテーブルに顔を近づけた。
「いや、もうそれも消費されてとっくになくなっちまってるってよ」
「じゃあ、今貴族たちが飲んでるコーヒーは? 確か今でも市場に出回ってるだろ?」
「それが驚くなよ。昔、コーヒー豆を食べさせた猫のフンを使ったコーヒーが流行っていたっていったろ? 将来コーヒー豆不足になることを見越した昔の人は、猫に食べさせる豆の量を少しずつ減らしていったんだってよ。最初は、どこまで豆を減らしても飲めるものになるのかを試す目的だったらしいんだけどよ。実験している内に、貴族は豆を入れてないただの猫のフンを乾燥させたものから作ったコーヒーも美味しく味わっちまったんだって」
「ええ!? ってことは今貴族たちが飲んでるコーヒーは……」
「間違っても貴族の前じゃ口にするんじゃねぇぞ、ロブスタ」アラビカは大口を開けて笑った。
「何も知らずに生まれた頃からそれを飲んでる奴らも、踏んだり蹴ったりだな」
「フンだけにか?」アラビカはますます笑いが抑えきれない様子である。
「くそしょーもないダジャレだよ。くそだけにな」
ロブスタもアラビカと一緒になって笑った。強化プラスチックの窓の外は吹ぶきだしていた。そして二つのホットビアの湯気だけが、二人の間に揺蕩っていた。
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