好きと言わせて/4

 夫全員が妻の部屋を訪れると、爆音のオルタナティブロックが聞こえてきた。夫たちが後ろに瞬間移動で現れても、妻は気づかなかった。こうだったからだ。


 ロックの縦ノリで、長いブラウンの髪は激しく揺れに揺れていた。オルタナティブのグルーブ感を右に左に両腕を振って取る。その姿はまさしく、嵐の暴風に狂ったように揺れる大木のようだった。だが、おかしなことに、椅子の上にきっちり座って、PCを前にしてなのである。


 光命が真っ先に反応した。ロイヤルブルーサファイアのカフスボタンを従えた、神経質な手の甲を中性的な唇にパッとつけて、くすくす笑い出して、


「…………」


 肩を小刻み揺らし、それっきり何も言わなくなり、いわゆる彼なりの大爆笑を始めた。愛する夫、一人撃沈。妻が気づいていないうちに。


 曲が終わってもすぐに再生で、バカみたいに同じ曲を延々リピート。中毒を今や通り越して、トランス状態に陥っている妻。


 ある意味、妻の夫を放置するはひどく、背を見せたまま踊り続ける。だが、夫チームも負けてはおらず、光命を除外して、お互い視線だけでやり取り。


 ――誰か止めろ。

 もう少しやらせとけば?


 お互いに放置。ということでひとまず、解決。だったが、颯茄ときたら、いつまでも踊り続けているのである。太陽が次第に西へと傾いてゆく。


 こんなバカな女でも、十人のいとしの妻なのである。夫たちが先に折れた。


 ――光が笑いの渦から戻ってこれないから、誰が声をかける?


 話をよくしている光命がやられている今では、誰が話しかけても妻の意識は現実へと戻ってこないだろう。そうなると……全員の視線が銀の長い前髪に殺到した。一番付き合いの長い人にお願いするしかない。


 当の本人は両腕を腰の位置で組み、アーマーリングをした指をトントンとイライラ全開で叩きつけ、鋭利なスミレ色の瞳は、妻の姿が視界に入らないように窓に向けられていた。


「蓮?」


 まだら模様の声に反応して、R&Bのアーティストは夫たちに顔を向けた。全員が妻の踊る背中を指差す。


 いつにも増して、超不機嫌な俺さま夫。首をあきれたように左右に振り、ゴスパンクのロングブーツがモデル歩きで、妻の左後ろから近づいた。


 思いっきり上から目線で妻を見下みくだして、「ふんっ!」バカにしたように鼻で笑い、「お前のリズム感はしょせんその程度だな。踊られた曲もいい迷惑だ」


 ひねくれな内容に、夫たちが背後から突っ込んだ。


「自分たちに気づかないことではなく、そっちにイラついていたのか!」


 だが、効果はあった。妻はピタリと動きを止め、百九十七センチのすらっとした夫の鋭利なスミレ色の瞳をにらみ返した。


「カチンとくるな」


 しかし、このズケズケとものを言ってくる夫の心のうちを、妻は知っている。自分に正直であるがゆえ、思っていることは全部言葉にしてしまうのである。それは、己に嘘をついていないということだ。人に媚びていないということだ。


 つまりは、心が澄んでいるのだ。だから、颯茄はすぐに納得するのだった。


「まぁ、そうだね。蓮に比べたら……」


 人気絶頂中のR&Bアーティスト。妻の仕事の先輩だ。彼女は単純に気になった。


「どう踊るの?」


 俺さま全開で応えた夫。


「いい。見せてやる」


 他の夫たちを置き去りにして、颯茄と蓮は二人きりのステージにいつの間にか立っていた。


 スポットライトを浴び、ゴスパンクの服は踊り出す。右に左にグルーブ感を取り、時にはバックステップを踏み、スリットの入ったコートの裾をふわっと広げて、ターンをする。


 今度は、夫たちは蓮の踊る姿を見るの図である。妻の視界には誰も入らず、マジボケしている蓮ばかり。一曲終わると決めのポーズを取った。颯茄は妙に感心。


「やっぱりキレが違うね」


 乱れた銀の前髪を、潔癖症らしく直しながら、自分に正直だが性格はひねくれ。そんな夫の綺麗な唇から出てきた次の言葉はこうだった。


「当たり前だ。お前、俺を誰だと思っている? 人気絶頂中のR&Bアーティスト、ディーバ ラスティン サンディルガーだ」


 同じ音楽事務所の光命が、今度は蓮に撃沈されたのだった。せっかく優雅に佇み始めたのに、手の甲を唇につけてピンクのストールを小刻みに揺らし始めた。


 五十歩百歩。大同小異。他の夫たちはため息をつく。


「自分の芸名を、妻に宣伝している……」


 ディーバさんだって知っている。だから、踊ってと頼んだのに……。颯茄は何度もその言葉をぐっと飲み込んだ。


「…………」


 ここで何か言おうものなら、火山噴火するのが目に見えている。我慢だ。


 妻の斜め後ろにあるデジタルの置き時計に、月命のヴァイオレットの瞳は隙なく向けられていた。


 十四時三十六分ちょうど――。


 邪悪な目はニコニコのまぶたに隠され、月命は我妻をターゲッティングする。


「颯〜?」


 凛とした澄んだ女性的でありながら、誰がどう聞いても男性の声に反応して、どこかずれているクルミ色の瞳が背後に立っている夫たちにやっと向いた。


「月さん?」


 神がかりなイケメンの夫たちが横並びに整列。結婚式でなければなく、日常で出会えるとは思わなかった、颯茄はまぶたをしばたかせた。


「あれ、みんなどうしたんですか? 全員で集まって……」


 マゼンダ色の髪が女性らしさを振りまき、月命が好きと言わせての罠へ妻をいざなう。


「君には僕たちと一緒に来ていただきます〜」

「どこへ行く――」


 瞬間移動を勝手にかけられた颯茄は、途中までしか言えなかった。意識化でつながるPC。再生されていた音楽は勝手に停止し、穏やかな日差しだけが部屋で日向ひなたぼっこをしていた。

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