No.32:吐き出せる場所


 花火大会が終わり、俺たちは電車に乗った。

 予想通り車内はとても混んでいた。

 それでもなんとかドアの横に、雪奈が立つスペースを確保できた。


 電車の中で、お互い花火の感想を言い合った。

 いつもより交わした言葉は少なめだった。

 それでも心が満たされた気分だったのは、俺だけだろうか。


 夜の10時を過ぎている。

 さすがに雪奈を一人で帰すわけにはいかない。

 家まで送るよ、と言うと雪奈は受け入れてくれた。


 最寄りの駅から3分ぐらい歩いて、雪奈の家に着く。

 普通の一軒家だった。


 バイバイ、と笑顔で小さく手を振る浴衣姿の雪奈。

 控えめに言って女神。

 お祭りのポスターに使えるぞ。


 雪奈が家の中に入っていくのを確認してから、おれは家路につく。

 俺の家は、マンションの5階。


 ドアを開けそのままリビングに入ると、


「おー、おかえりー」


 ビールを飲んでいるおっさんがいた。

 大山春樹。

 俺のオヤジだ。


「花火大会どうだった?」


「よかったよ」


「そうかー。前に一緒に行った時は、浩介がまだ小学生の時だったよなー」


「そうだったな」


「誰と行ったの?」


 俺は一瞬言い淀む。


「友達とだ」


「女の子とだろー?」


 エスパーか。


「いいねぇー、青春してるねー」

 何故かオヤジは嬉しそうだ。


「父さんも高校生の頃、当時の彼女とお祭りに行ったなー。彼女が浴衣姿でさー。帯で腰を締めてるから胸が目立つだろ? もう浴衣の下でおっぱいがどうなってるかって、想像するだけで興奮したなー」


 真性のおっぱい星人が、同じ屋根の下に住んでいた。

 浴衣の下の胸が想像できるって、どんな上級者だ?

 ちょっと待て、俺はコイツの遺伝子を受け継いでいるのか?


「そういえばこの間プールにも行ったって言ってたよね? いやー浩介がお友達と一緒に遊びに行く日が来るなんて、父さんは感慨深いよー。以前はたまに牧瀬くんが遊びにくるぐらいだったもんなー」


「俺自身、戸惑ってるよ」


「いやいや、いい傾向だよー」

 そう言ってコップのビールを飲み干すと、また瓶から注ぎ足した。


 それから俺たちは学校の成績やテストの話、株式投資の話をした。

 オヤジも株式投資をしているので、結構知識は豊富だ。

 とはいってもファンダメンタルズ派の中長期投資なので、俺とは投資スタイルが全く異なるが。


 オヤジは基本的に俺の話をよく聞いてくれる。

 そして俺の自主性に、かなりの部分を任せてくれている。

 他の家庭はわからないが、俺との関係は悪くないと思う。


「最近の浩介の表情、変わったなー」


「そうかな?」


「うん、以前は優秀なAIサイボーグみたいだったけど、かなり人間に近づいた感じ?」


「それって褒めてるのか?」


 オヤジは声を出して笑い、ビールに口をつける。


 何故か俺はこんな質問をしていた。


「なあ……オヤジは母さんと出会って、よかったと思ってるか?」


「なんだ、いきなりどうしたんだい?」


 オヤジは苦笑する。


「あ、いや。忘れてくれ」


 なに聞いてるんだ、俺……


「そんなの、よかったに決まってるじゃないか」


 オヤジが声のトーンを高くして、即答した。


「母さんと結婚しなかったら、浩介は生まれてこなかったんだよ?」


 そう言って、ニッコリ笑う。


「父さんがリストラに遭ってから色々大変になって、結局母さんは出て行っちゃったけど、それでも母さんと結婚して良かったと思っているよ」


 オヤジがリストラに遭った後から、両親の口喧嘩が極端に増えていったのを浩介ははっきりと覚えている。

 あの時、どうすればよかったのか。

 あるいはこの形が最適解だったのか。

 何を考えても今更だが。


「浩介」


 オヤジの声のトーンがまた低くなった。


「痛いときには、痛いって言わないとダメだよ」


 俺は返事をしない。


「昔っから浩介は、変に大人びているよねー。弱音を吐かないところなんて、多分死んだおじいちゃんに似たんだろうなー」


 それは素直じゃねぇ、ってことか?


「でも傷を受けた時には、素直に痛いって言わなきゃだめだよ。傷を放っておいたり、かさぶたを手で隠したりしたままじゃあ、大人になっても中の膿が残ったままになるからね」


 俺は返す言葉が見つからなかった。


「風呂入ってくるわ」


 そう言うのが、精一杯だった。


 俺はリビングを出て、一旦自分の部屋に向かう。

 リビングのドアが閉まるとき、オヤジが何か呟いていたが……。


「吐き出せる場所があればいいんだけどなぁ……」

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