第8話 森を見て木を見ず

 木を見て森を見ず。

 これなら、ご存知のことわざですね。

 要するに、個々の木ばかり見て全体がみえないことのたとえ。

 もちろん、全体をうまくまとめていかなければいけないときにこれでは困る。そんなことはいちいちここで指摘するまでもないでしょうけど。


 では、その逆はないと断言できますか?


 というわけで、さっそく逆転してみましょう。


 森を見て木を見ず。


 どうでしょうか。

 ないとも言えない気がしませんかね?

 というか、普通に成り立つ気、しません?


 では、どんな時に成立ち得るか、ちと考えてみましょう。


 本校にいじめとかそういう事案は起こっておりません。したがって本校は、みんな仲良く、平和な学校です。


 その学校が生徒数十数人ほどであれば、教師の目も行き届き、特にそんな兆候もないなということぐらいわかりもしましょうよ。だけど、これが私の卒業した中学校のように全校生徒数1000人を超えるような学校だと、本当に、そんなこと言える? あなた、自信をもって、言い切れますか?


 ってことに、なるよね。


 実は、ちょっとした小競り合いみたいなものがあって、それはあちこちで頻発してはいるけど、先生方の努力できちんと処理出来ている。


 それなら、もちろん問題はないでしょう。しかし、それをしなければ、いじめどころで住まないことだって起きかねないのでは?

 それこそ、「森を見て木を見ていない」状態が続けば、必ずやどこかからほころびが出てくるというものです。まあ、ここまで変えたからうまいこと行きだした、何とかなって行くだろう、そんな楽観的な姿勢でことにあたっていれば、その時その時は何とかなっても、いずれ大きく破綻する。


 まさに、「森を見て木を見ず」を地で行くようなこと、別な言い方をすれば「事なかれ主義」的な態度で事に当たっていれば、いずれなにかも起きようもの。さもなくば、どこかで大きく大破綻。

 そこまで至らなくても、まあ、全体的にうまくいっているようだからいいでしょう適菜姿勢で、これもまあ、こうしておけばいいという感じで、一般論にもとづいて処置していては、個々の問題をきちんとそれに即して解決できなくなって、それはいずれ、大破綻へとつながる道。


 というわけでね、個々の事例をきちんと処理するにあたっては、「森を見て木を見ず」といった態度では、問題解決はおぼつかないということになりますね。

 適当に一般論を述べて、その場限りの対応をして、ハイさようなら。

 結構、そういう解決策、「弥縫策(びほうさく)」とも言いますけど、それはその問題の解決を遅らせる、よくても、時間稼ぎ程度しかできない。

 やっぱり、「森を見て木を見ず」でも、困るじゃん。

 もっとも、その問題自体を「森」ととらえるなら、個々の事例は「木」となるからね、その個々の問題ばかりにとらわれては結局、元通りの「木を見て森を見ず」になってしまいますから。


 要するに、「森」か「木」かというのも、結構相対的なものでして、そこに着目すれば、なるほど、逆もまた成立つことは自明の理では、ありますな。

 ということで、今回はここでおしまい。また何か出しますね、近々。

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