"hello, world"

スイ

第1話 Use a proxy

 IDAスクールのH棟、2階の廊下をアルドは歩いていた。

 教室、廊下、そこここから生徒や教師の弾んだ声が聞こえてくる。華やいだ声のあふれるスクールの空気に感化されたのか、こころなしアルドの歩調も軽いようだ。

 この時代でしょっちゅう”コスプレ”と勘違いされるAD300の恰好から、IDAスクールの制服に着替えたアルドは、すっかり学園の風景に溶け込んでいる。

 腰に佩いた大剣「オーガベイン」だけは隠しようもないが、生徒たちはおしゃべりや授業に夢中なのか、腰の大剣をさほど気にする様子もない。


「あれ?IDEA作戦室の入り口はどこだったっけ...」

 アルドは廊下の端で立ち止まり、真っ白な壁に手を当てた。

 IDAスクールの自治組織、IDEAのメンバーである白制服たちの作戦室入り口は、学園のH棟、2階の壁に巧妙に隠されている。アルドはその入り口を探していた。

 巧妙にカムフラージュされた入り口は、IDAスクールの秘密を開く扉でもある。

「うーん、このあたりだったと思うんだけど」

 おぼろげな記憶を頼りに、アルドは壁を叩いた。しかし、壁はコツンという硬い音を返しただけだった。

「ふう、仕方ない。あれをやるしかないな」

 あたりを見回して、誰も自分に注目していないことを確認すると、アルドは眉根にすっと力を入れて、集中する。

「ふんっ」

 目をカッと見開いて気合を入れると、アルドは壁をぺちぺちと叩きながら、横ばいに移動し始めた。名付けて「IDEA入口探し★カニ歩き戦法」である。

 アルドが作戦室の入り口を探して、こうしてカニ歩きをするのは実はこれが初めてではなかった。


「ぺちぺちぺち...はっ!?」

 集中してカニ歩きをしていたアルドは、異変を感じて歩みを止めた。

 アルドがまさに次に叩こうとしていた壁の、境界線がぐにゃり、と歪む。みるみるうちに歪みは大きくなり、壁には大きな穴が現れた。

「わぁ!!」

「わわぁ!?」

 アルドは寸でのところで、穴から出現した人影との衝突を回避した。カニのように手足を曲げたまま、アルドは飛びずさって驚きの声を上げる。ほぼ同時に、穴から出現した人影も驚きの声を上げた。

「(こ、ここが作戦室の入り口だったか...!)」

 カニポーズのまま後ずさったアルドは、一人心の中で、解決をみた入り口探しに感慨を覚えていた。

「はっ...!?」

 我に返ると、カニポーズのまま固まるアルドを壁から現れた女生徒が凝視している。

 女生徒は、IDEAメンバーの証である白い制服を着ていた。高く結いあげたポニーテールが、アルドを避けた反動で振り子のように揺れている。

「(まずい。制服ルビを入力…を着てすっかり油断しちゃったけど、横ばいで壁を叩きまくる姿はさすがに不審者と思われても仕方ないか...?)」

 気まずさを感じながら、アルドが相手の出方を窺っていると、女生徒は突然、口元をにこちゃんマークのようにグイっとあげて大きな笑みにした。目がらんらんと輝いている。

「その、模造の剣!あなた、相当なゲーマーね!?」

「!?あ、いや...(模造じゃないけど...げーまー?)」

 カニポーズを見事にスルーされたうえ、突然の情報量に返事に窮するアルドをよそに、女生徒はアルドにずんずん近づいて、勢い込んで話し始める。

「お願い!助けてほしいことがあって!」

 まったくお願いする態度ではない圧力で、女生徒はアルドに詰め寄った。

「う、うん。わかった」

「そうだよね、会ったばかりの人から急にお願いなんてされても...でも...えっ!?」

 女生徒は先ほど壁の穴から現れたときよりも大きな驚きの声を上げて、アルドをまじまじと見つめた。アルドは首を傾げる。

「わかった。なにかわからないけど、困ってるんだろう?」

 返事が聞こえなかったのかと訝しんで、アルドは再度、了解の返事を返す。

 女生徒は、見開いた目をさらに大きく見開いた。

「...」

 アルドがあまりにもあっけなく了解の返事をしたことに、戸惑った様子で女生徒は束の間逡巡した。少し冷静になった様子で口を開く。

「えーと、」

「アルドだよ」

「アルド、ありがとう」

 女生徒はぺこりと頭を下げて言った。「わたしはミイナ」

 ついでのように、ミイナは名乗った。

「突然だったのに...お願いを引き受けてくれるなんて、こっちが驚いちゃった」

「助けてほしい、って言ったから」

「!?」

 困っているなら、助けるのは当然だ、というようなアルドの態度に、今度はミイナのほうが返事に窮したようだった。アルドは口をつぐむミイナを見て、またも不思議そうに首を傾げた。

「それで、ミイナは何に困っているんだ?」

 ペースを乱されるなあとミイナは思った。いい人すぎて、怪しいかも。しかし、お願いを聞いてくれるという奇特な少年が現れたのだ。この機は逃がせない。アルドの問いかけに答えるべくミイナが口を開きかけたとき、ちょうどタイミングよく、女生徒が2人通りかかった。

「ミイナー、次のクラス、先に行ってるね!」

 ミイナの知り合いらしい2人組は、声をかけながら通り過ぎていく。

「うん、あとでね!」

 2人組はミイナの返事を聞くか聞かないかのうちに、すでに2人の会話に戻り、甲高い笑い声をあげながら去っていった。

 ミイナと一緒に2人組の背中を見送っていたアルドは、気を取り直してミイナに向き直る。

「それでミイナは、何に困っているん...」

「あ、ミイナ!課題写すって言ってたっけ?みんなでシェリーヌ先生のクラスの後に集まってやることになったから!」

 アルドが仕切りなおそうとした途端、今度は男子生徒が一人、走りながらミイナに声をかけて去っていった。

「わかった!ありがとー!」

 走り去る男子生徒の背中に向かって返事を投げると、ミイナはアルドを申し訳なさそうに見た。

「ご、ごめんなさい」

「いや、いいんだ。ミイナは知り合いが多いんだな」

「えへへ。そ、そんなことなくはない、かな。友達はいっぱいいるよ」

 ミイナは、なぜか少しだけ自慢げに鼻を膨らませて答えた。

「それで、ミイナは何に困っているんだ?」

「アルドは、ロードオブマナをプレイしている?」

「ああ」

 3度目の正直で質問に答えたミイナは、耳慣れたゲームの名前を口にした。

 ロードオブマナは、IDAスクールの生徒が作ったゲームで、仮想現実の世界に入り込んでプレイするRPG調のゲームである。

 ログインさえしていればゲーム内での交流が可能だが、ゲーム内でパーティを組んで一緒にプレイするためには、現実世界でフレンドIDを交換する必要がある。

 学園で起きたある事件のカギを握るゲームともなって...今は、学生寮にある自分の部屋から、アルドは自由にログインできる。

「やっぱり、思った通り」

 オーガベインを見やって、ミイナは満足そうにうなずいて言った。「ロードオブマナにログインして、ルカという男の子に会ってほしいの」

「...?それで?」

 全容が呑み込めず、アルドはとりあえず話の続きを促した。

「ルカと、現実世界で会う約束をして、ここに連れてきてほしいの」

「え?直に頼めばいいんじゃないのか?」

「!」ミイナは突然しどろもどろになった。「じ、事情があって」

「それか、オレじゃなくて、友達に頼めばいいんじゃ...?」

 先ほどの様子を思い出し、アルドはまっとうに思える疑問を口にした。

「!」ミイナはさらにしどろもどろになった。「そ、それも事情があって...」

「事情...?」

 アルドは、眉根をよせてさらに問う。ミイナは何かに観念したかのように、小さくため息をついた。

「ルカとは、ロードオブマナで最近よく一緒にパーティを組んでいるんだけど...現実世界で、その、彼が誰なのかわからなくて」

「誰なのかわからない?」

 アルドは首をひねった。

「フレンドIDを交換したなら、現実の世界で知り合いのはずだよな?」

 現実の世界でフレンドIDを交換しないとパーティは組めないはずだと、アルドは思い起こしていた。

「そうなの!でも、それが問題なの!!」

「!?」

 突然、興奮した口調で話しはじめたミイナに仰天するアルドを尻目に、ミイナは言葉を続ける。

「交換したはずなの、リアルに!会って!でも、誰なのかわからなくて」

 ミイナは天を仰いで悲痛な表情を浮かべた。「その...何人もでID交換会のようになって...その時に交換したんだと思うんだけど」

「ああ、なるほど(ろくに確かめないでいろんな人と交換したんだな)」

 IDを交換しよう!と盛り上がって、節操なくフレンドIDを配りまくるミイナの姿が目に浮かんだ。

「スクールで目を皿のようにして探してるけど、見つけられないし...何とか現実で会う約束をしようとしてもなんだかはぐらかされてしまうし」

「そ、そうなのか」

 自分の努力を縷々と語るミイナは芝居がかっていて、なんだか翻弄されてしまいそうだ。アルドは相槌を打つので精一杯だった。

「今更、『あなた誰?』なんて聞けない...!」

 なおも悲痛な表情を浮かべ、ミイナは言った。「友達にも相談できない...忘れるなんて酷いって思われたら立ち直れない。わたし、白制服よ!?友達いっぱいで、人気者のミイナちゃんよ!?...はっ...!」

 ミイナは漏れ出た本音をなかったことにしようとするかのように、空中をパタパタと扇いだ。焦ったように言葉を続ける。

「と、とにかく、ルカとはこのあとロードオブマナの草原で会うことになっているの」

「なんとなく、事情はわかったよ...」

 言いたいことが沸き上がってきたが、それらはすべて呑み込んで、アルドはうなずいた。

「それで、連れてきたらミイナはどうするんだ?」

「わたしは陰に隠れて、ルカを確認する」

 陰から覗く動作をしながら、ミイナは言った。「この端末で写真を撮って...彼を知らないことは伏せてさりげなく、友達に聞く!計画は完璧なんだから!!」

 ミイナは端末を印籠のようにかざした。

「だから、わたしが会おうとしていることは、ルカには内緒で連れてきて」

「(だ、だいじょうぶかな)わかった。草原に行ってルカを連れてくればいいんだな?」

「!ありがとう、アルド」

 ミイナはテンション高く礼を言った。

「いいんだ。オレも一つ、助けてもらったことがあるし...」

「え...?」

「いいや、何でもない」

 言いかけた言葉を引っ込めて、アルドは心の中で独り言ちる。「(おかげで、IDEA作戦室の入口は見つかったから)」

 アルドは、もう二度と忘れまいと、先ほどミイナが出てきたあたりの壁を見やった。


「ミイナー!」

「うん!今行くーーーー!」

 どこからか呼ぶ声に答えると、ミイナは申し訳なさそうにアルドに目配せした。

「お願いね。髪はオールバックにしていて、ジョブはソーサラー。ロードオブマナの城下から、東に出た草原にいるはずだから」

「わかった」

「わたしは、このあたりの空き教室で待っているから」

「ああ、またあとで」

 走り去っていくミイナの後姿を見送って、アルドは考え込む。

 引き受けたものの、うまくいくかな...?


『本当に、お人よしなんだから』

 頼まれごとの首尾を斟酌するアルド脳裏を、いつかの言葉がよぎる。

 仲間たちの誰かにいつか言われたことがあるような、いや、みんなから何度も聞いたことがあるようなセリフが、ふと思い出されて、消えていった。

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