3月1日

 客寄せパンダとはどういうところから発生した単語なのだろう。

 数時間経ってこの疑問がどこから出てきたのかをもう忘れてしまった。


 運動しなければいけない日々の最後に日焼けをした。昨日までそんなことはなかったはずなのに。

 日焼けは赤くなってから黒くなる。赤くなるだけの友人が言うほど痛みは感じないし、黒くなるだけの友人が言うほど黒さは長続きしない。


 痛かろう。

 いいえ、それほどでもありません。

 けれど痛そうに見える。

 見えるだけです。どうにかなる程度です。

 それは痛いのではないか。

 いいえ、それほど痛いと感じないので痛くないと私は定義します。痛みを感じるのはあなたでしょう。


 楽しく書いたものの読者数が増えないのは悲しいこと。

 いいえ、楽しかったのでしょう。それなら楽しいに価値を見出せばよいのでは。

 そうではない。楽しく書けるということは自信があるということだ。それを読まれないのはどうあっても悲しいことなんだ。


 楽しいことがあった。楽しいで合っているだろうか。私はそれを表現できる単語を持たないのかもしれない。

 ああ、だから私は感情を表すときに叫びをそのまま書くのか。


 やりたいことがある。別にやろうと思えば今でも出来る。けれど眠い。

 日々はいろんなことがあって、やりたいことだけで構成することはできないし、やらなければいけないことだけで構成されていることもないだろう。きっとそのはずだ。

 いや、たまにやらなければいけないことだけで構成されているように感じることはある。けれどきっとそんな日でもそれだけということはないのだ。

 確定したことは何も言えない。私は記憶力がない。だからきっと、多分という言葉を使わずにこの話をすることができない。


 ねえ、こっちへ来て。

 行かない。

 どうして。

 行けないから。

 それなら行けないと言って。

 いやだ。

 どうして。

 それを私が選び取ったものとしたいから。ただ行けないわけじゃなく、行かないということを私が選んだものとしたいから。

 あなたの意思をそんなところに置いていいの。

 いい。これが私の意思だと言えるならばその内容は問わない。

 それにあなたの意志はないのでなくて。

 いや、私がそれに私の意思を認めている。それだけで充分だ。

 どうしてあなたはそうやって生きられるのでしょう。

 君にだってできることだ。君はただそれをやろうとなんかしていない。私はそれを意識して、意識してようやっとここに立っている。

 私がそちらに手を伸ばせたらよかったのに。


 鬼の知識が欲しい。鬼はどこにいたか。鬼はもういないのか。鬼はどうして想定されたのか。鬼はどういったものとして想定されたのか。現代考えられている鬼の祖はどこにあるものか。


 掌が痛い。筋肉痛だろうか。そこが筋肉痛となる原因はあった。けれどまだ早い。いや、筋肉痛が早いことは決して悪いことではない。ただいつもと比較して違和感があるだけだ。そこに違和感があるのは私だからだ。元から次の日に筋肉痛が出る場合年を取ってから二日送れるようになることがあるらしい。

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