1月30日

 以前ブログを毎日更新してたことを思い出した。ここほどぐちゃぐちゃな内容ではなかったが。けれど最後の方は書くことがないのにとりあえず書いていたような気がする。


 ここをぐちゃぐちゃな内容にしているのは私の意思だ。何でも入れられる箱にしている。ボトルかもしれない。そのボトルがいっぱいになったら。けれどこのボトルならいっぱいになることはない。

 そのボトルがいっぱいになった者。誰の想いも叶えられなかった者。自分の願いを捨てた者。誰にもそれには何か言うことはできない。


 手を伸ばしたその先のものを見ないなら、手を伸ばすことに何の意味がある。

 それに意味を成す。


 それは私のもので、私以外には扱えないもの。それを信じていないと私のものではなくなる。信じてさえいれば私のものである。私は信じることをやめるつもりはない。それは私のものでなくてはならない。


 マウスのカーソルがよく見えなくなる。グルグルしても動くものがないような気がすると思ったらマウスの電源を入れ忘れていたとかもよくある。


 北にミアエあり。古きもの、これを煮て食いたり。北のもの、これを恐れり。


 雨が降る。もう意味はなくなった。それなら、誰に渡すこともない。この水の先。ヒはない。

 誰も持たないそれを求めるものはいないけれど必要のないものというわけではない。ただ誰も知らないだけ。夢の中にあるのなら、夢の中にしかない。ここにないものしかないから。それは理想で空想で妄想。


 この適当日記の中身の順番も適当にしたいときがある。けれどどうせなら開くたびにランダムになっていてほしい。その順番であるときは基本的に一回だけ。増えることで同じ順番にならない。


 あのお宮には何がある。何もないわけがないだろう。

 いいや何もない。けれど何かあるという信仰がある。その信仰だけでもっている。

 ならばその信仰はいかにして発生したのか。

 お宮があったからだ。

 なぜお宮はできた。

 信仰がなかったからだ。


 切ること、きること。切らない。切った。そこできることに意味はあるのか。

 意味は作るもの。誰かに任せたりはしない。


 やりたいことは多いのに直前にしかできない。それだけでどれほどの損が今まであったか。計画的にできたらどれだけよかったか。それを自覚していながらどうして改善できないのか。それが私の性質だと諦めていいものなのか。

 けれど昔からそうだから。それだけで済ませられることなのか。

 やりたいことが多すぎるのか。

 でもやりたいことでもやれないことはある。

 何もできない。誰もいない。

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