第8話 円環を断ち切った「ヒロイン」
「アイリ踏ん張りどころよ!」
「はいっ!」
私は腰を下ろして飛んできたヤヤクさんをマットで受け止める。ズシンとした衝撃の後すぐにレベッカさんがヤヤクさんを抱き抱えてマットに倒れ込んだ。
マットを支えていた私も巻き込まれ倒れ込むと二人は吹き出し、三人でマットに仰向けになったまま互いの腕を掲げて成功を喜んだ。
──わーっ! ──
──パチパチパチパチ──
目隠し用カーテンの先から聞こえる歓声と拍手。
その騒めきが心地よかった。
「皆の者、良き技を見させてもらった」
演目「蝙蝠伯爵」の千秋楽を迎えた私達はその翌日、国王陛下の私的な宴に招待された。
「ヤヤク! お主は益々上達したな。最後は本当に飛んでいる蝙蝠のようだったぞ」
「光栄でございます」
「ををっノア! お主、身のこなしに磨きがかかっておった。本物の王子かと思ったぞ」
「お褒めいただき有り難く存じます」
仲間達一人一人に気さくに声をかけているのはこの国の国王陛下だ。
「なんだなんだお主ら堅苦しい。ワシはまだ仲間にさせてもらえぬのか。寂しいのう」
「そんな事は⋯⋯畏れ多い」
豪快に笑う国王陛下に肩を回されたダロン団長が酌を勧められ苦笑しながらそれを受ける。上機嫌の国王陛下はここが良かった、あそこは驚いたと「蝙蝠伯爵」を語り興奮冷めやらぬ様子。
「物語は終わってもどこかで蝙蝠伯爵が生きているかもしれない、もしかしたら自分達の頭上を飛んでいるかもしれない。そう、不安を含めた余韻を残したぞ」
陛下が何よりも大興奮で語ったのはラストシーン。
そのシーンは蝙蝠伯爵が観客の頭上を客席から舞台袖へと滑空し、退場する大掛かりなものだった。
⋯⋯私が裏で飛んでくる蝙蝠伯爵を受け止めたシーン。
嬉しかった。
だって、ヤヤクさんが蝙蝠伯爵として最後を飾るシーンが褒められたのだもの。
ヤヤクさんが私とレベッカさんを信じてくれて、蝙蝠伯爵の最後を心から演じたと認められたシーンを私は裏方として支えられたんだって。
「やったなアイリ!」ヤヤクさんが親指を立ててニカリと笑う。私は「うん!」と笑顔を返した。
「舞台は表と裏が一体となって作られるものだ。
──皆の者、次の演目も楽しみにしておる」
高くグラスを掲げた国王陛下を囲み、私もそれに倣って舞台の大成功を祝った。
「あーっ風が気持ち良いっ」
「中が暑すぎるんだよ。陛下の熱と団長の熱は酒が入るとどんどん高くなる。見てみなよ窓が湿気で曇ってる」
「本当だ⋯⋯」
私とノアは大騒ぎしている部屋から逃げてバルコニーで火照りを冷ましていた。
お酒と食べ物が沢山並び、陽気に騒ぎ合う仲間達が曇った窓からもよく見える。
陛下なんて完全に羽目を外しているようで、護衛の人達は苦笑しながらも眼を光らせている。大変な仕事だなあ⋯⋯。
「まだ寝ないで大丈夫?」
「うん、ちょっと気分が高揚してるから」
今夜は陛下のご厚意で私邸に泊まりだ。
いつもは劇場の裏に作られた寝所で皆んなで寝泊まりしているから私は一人部屋になると寂しく感じる様になっていたし、実は⋯⋯寝る事が怖い。
起きたら一人になっているかも知れない。今の生活が夢になってしまうのかも知れないと毎日寝る前は少し怖い。
幸せだからこそ不安を感じている。
半年前までは男爵令嬢として生活していたのに断然今の方が幸せすぎて怖いだなんて贅沢なのだろうけど。
「陛下凄く褒めてくれたね」
「演技を認めてもらえるとやっぱり嬉しいよ。 けど、ダメ出しも厳しいんだよ陛下は」
「駄目な所を教えてくれる、それも凄い事だよ。だって一国の王様が直接感想をくれるんだから」
「陛下は気さくな方だからねえ。身分が違うのだからちょっと距離を置いて欲しいって団長が零してた」
「ふふっ、贅沢な愚痴ね」
私も初めの頃は驚いた。だって、国王陛下ともなれば雲の上の存在。そんな人が足を運び、私達と一緒に同じ物を食べたり飲んだりしているのだから。
「蝙蝠伯爵のラストシーン。滑空を取り入れて正解だったよ」
「⋯⋯まさかアレをやるとは思わなかったわ」
「あの時、これは絶対イケる! って確信したんだよ」
ニカリと笑ったノアの言う「あの時」。
「蝙蝠伯爵」のラストシーンのようにバルコニーと川向こうに繋いだワイヤーを伝ってノアと私は飛んだ。
ノアへのトキメキと恐怖のドキドキと全てを捨てた自分へのワクワクの感情を爆発させながら見た月明かりの中流れる景色は今でもハッキリと覚えている。
そして、あの日あの時、この世界の「ヒロイン」は死んだ。
あの日、彼の国の王子様と婚約者が婚約解消する「原因」となった「ヒロイン」である、ある令嬢はまさに婚約解消が宣言された場で刺されたのだ。
刺した本人はすぐ様拘束され、刺されたある令嬢は致命傷にはならなかったものの、その傷を悲観し、自ら命を絶った⋯⋯と発表された。
この国で聞こえた話では、ある令嬢は彼の国の王子様を庇って刺されたと言う事になっていて笑いそうになった。
また、彼女が亡くなったと思われる時間に小さな灯火が城から飛び立ったと噂になっているとか。
その事件は彼の国の王子様の婚約者だった令嬢ジュリア様と側近候補だったアベル様が反逆罪で裁かれ幕を下ろした。
ジュリア様とアベル様は貴族籍の剥奪とお家お取り潰し。各家の女性は製糸工場へ、男性は鉱山労働へ送られたと言う。
何故両家が取り潰されたのか。
アベル様の実家クリント公爵家は先王の弟の家系でアベル様は王位継承権第五位だった。
クリント公爵家はジュリア様の実家ハーディ公爵家と手を組みアベル様を王に、ジュリア様を王妃にする為にレオンハルト様を亡き者にしようとしたらしい。
家が主体で謀反を起こしたと言うだけではなく、アベル様とジュリア様は互いの想いを成就させる為にレオンハルト様を謀っていたのだとも言われている。
当時、アベル様とジュリア様は互いに想い合っているとの証言が多く上がったのも信憑性を持たせる事になった。
殆ど一緒にいたものね、あの二人。
私に婚約者がいるものには〜や、貴族とは〜と言いながら、自分達の行動が第三者にどう見られていたのか気付けなかったのね。
身分が高い方達だったから誰も意見できなかったし、聞く耳を持ってもらえなかっただろうけど。
「レオンハルト様に感謝しなければね」
「⋯⋯そうね」
別に好きでもなかったし、レオンハルト様だってその気はなかった。それなのに、私に生きる道を作ってくれた⋯⋯彼は恩人の一人だ。
半年前のあの日、城から脱出し、川を越えた私達がこの国へ向かう間に何故ノアがいるのか、何故迎えに来てくれたのか真相を聞いた。
「アイリは気付いていなかったみたいだけど、レオンハルト様はお忍びで僕達の芝居を見に来ていたんだ。そこで僕とアイリを見かけ、普段とは違うアイリが気になったらしくてね。僕に話しかけて来たんだ」
「⋯⋯それでレオンハルト様と知り合ったのね」
親しくなった二人は芝居の事を話すようになり,その中でノアは「繰り返すヒロイン」の事をレオンハルト様に話した。
最初は新しい芝居のネタ程度のつもりだったらしい。
けれどノアもレオンハルト様も繰り返す「ヒロイン」は私の事ではないかと、漠然と感じたと言う。
「僕は「ヒロイン」が幸せになる世界があっても良いのではないかと思っているんです」
「⋯⋯そうだな。「ヒロイン」が生きる選択ができても良いな」
ノアが言うにはそんな会話を交わしたそうだ。二人は「ヒロイン」を幸せにする為、生きる選択をさせる為に一芝居打つ事にしたと言う。
それが新年祭。
二人の計画は、ノアが新年祭の間にレオンハルト様に指定された部屋と川向こうをワイヤーで繋いで待機し、レオンハルト様は素知らぬ顔で自分の目的を果たしながら私を誘導したのだ。
レオンハルト様も大した役者よね。
結果はこうして私は生きる選択をして、幸せの一歩を踏み出せた。
今私が居るのは二人のおかげ。
「ノア。ありがとう。私は「ヒロイン」から「アイリ」になれた」
「この世界では幸せになれそう?」
「もう幸せよ。身寄りのない私を団長が受け入れてくれた。ヤヤクさんやレベッカさん、皆んなも仲間にしてくれた」
「もっと幸せにならないとね⋯⋯えっと、アイリ、あのさ⋯⋯」
「あの、あのねノア。伝えたい事が、私⋯⋯その、ノアが──」
「いつまで外にいるんだお前ら。重要な発表があるから中に来い」
私の言葉を遮ってダロン団長が顔を出した。
悪戯気なニヤリとした表情に私は苦笑する。アレは絶対私が何を言おうとしたか分かってる。分かっていても邪魔をしたんだ。
⋯⋯団長めぇ⋯⋯。
部屋に戻ると何故か注目され、皆んなニヤニヤしていて恥ずかしくなった。ノアは何故か照れているけどヤヤクさんに小突かれて「まだだよっ!」と小突き返していた。
「ほら、お前ら静かにしろ陛下から発表がある」
「うむ。今度、隣国の王太子が我が国へ交遊に参る。その歓迎に特別公演をしようと思う」
「今回の「蝙蝠伯爵」でも良いんだが⋯⋯ノアが書き下ろした新しい舞台でやろうと思うんだがどうだ?」
「良いですねえ。どんなのです?」
「これです! 「円環の乙女」。何度も生と死を繰り返した少女が最後の世界で幸せを掴む話です」
「──っ! ノア、コレって」
いつものニコニコ顔でノアは頷く。
なんだか、今更ながらに恥ずかしい。
「どうだアイリ、お前も舞台に立ってみないか? まだ素人だから「ヒロイン」は任せられないが端役も立派な役だ」
「私も⋯⋯舞台に⋯⋯私、色んな役がやりたいんです。いつかは主役⋯⋯をと、思います⋯⋯けど、一つの役じゃなくて色んな人生を演じたいです!」
「良い夢を持ってるじゃないか。アタシも負けていられないね。団長、アイリの演技指導はアタシがするよ」
団長の言葉に私は舞い上がった。
演じられる。「ヒロイン」しか役割がなかった私が違う「生」を生きられるんだ。身震いした私にレベッカさんが「頑張ろうね」とウィンクしてくれた。
「いいのう⋯⋯ワシも出たい」
「流石に陛下を⋯⋯うっ⋯⋯そんな目で見てもダメで、す⋯⋯あ、ああっもう⋯⋯ヤメテ⋯⋯わかり、ました。しかし、陛下は役柄でも王様として特別出演ですよ」
子犬のようにウルウルとした目で縋られた団長が肩を落としながら陛下の出演を承諾するとパアっとキラキラした表情になった陛下が可愛らしい。
思わず吹き出してしまい、失礼をしてしまったと思ったが陛下はそのまま私の肩を抱き「共に頑張ろう!」と言ってくれた。
この国王様はなんだか調子が狂う。
「アイリよ、王太子レオンハルト殿とは顔見知りと聞く。お主の成長した姿を見せてやらねばな」
「はいっ」
「よーし、配役は追って発表する。まずは新しい舞台に乾杯しよう! このまま決起会だ」
「⋯⋯まだ飲むんですかい」
ヤヤクさんは呆れた顔だけど、嬉しそうだった。彼だけではない、新しい芝居ができる事を仲間達も心から喜んでいた。
「アイリ大丈夫?」
「うん。なんだか火照っちゃって」
私は役がもらえて夢心地だったのもあって少しのぼせてしまっていた。落ち着こうと窓辺に避難していたらノアに呼ばれ、またコッソりとバルコニーに出て今は二人っきりだ。
さっきは言えなかったけれどこの機会しかないと、私は覚悟を決めた。
「次の舞台、一緒に立てるね」
「うん。頑張る」
しかも、ノアが私の話を物語にしてくれた。その作品で初舞台に立てるんだ。
⋯⋯そう、だからこそケジメをつけなくてはならない事がある。
⋯⋯私はノアにちゃんと伝えなきゃならない事がある。
「ノア、私はノアがいるからこの世界が好きになれた。この世界で「ヒロイン」を捨てられたの。ありがとう。
あの、ね⋯⋯⋯私はノアが好き。好きになってくださいとは言わない、ノアに迷惑かけない⋯⋯から、ノアの事、好きでいさせて⋯⋯ください」
真っ直ぐにノアを見て言えた。
答えが欲しいわけじゃない。ただの自己満足だ。
私はノアに幸せを貰ったのだから今度はノアに幸せになって欲しい。
ノアが誰を好きでも邪魔はしない。だけど好きでいることだけは許して欲しい。
「⋯⋯ごめんアイリ」
「あっ、いいの、気にしないでっ私が、勝手に想ってる──」
「アイリに言わせてごめん。舞台では貴族と平民の恋物語はハッピーエンドにできるけど、実際には難しいから⋯⋯ アイリは貴族だから⋯⋯僕は我慢しようってそれで⋯⋯」
ノアが泣きそうな笑顔でコツンと額を当てて来た。
多分私は真っ赤だ。ノアもお酒のせいで赤いわけではなさそう。
ノアは最近ピンク色が薄くなって来た私の髪を撫でてくれる。
「ヒロイン」を捨てたからなのかな。髪の色が少しづつ金色に近づいているのは。この世界は私を「ヒロイン」から解放してくれたのかも知れない。
「あの日。本当に連れ出して良かったのか⋯⋯ずっと考えていたんだ」
「ノアは私の話を聞いてくれた。ノアが連れ出してくれたから私はこうして生きている。アイリとして生きていられる。生きたいって思ったの」
「うん⋯⋯」
「貴族の、「ヒロイン」のアイリはもういない。私はただのアイリになれたの⋯⋯ノアのおかげよ」
「うん⋯⋯でも僕は一人ではアイリを助けられなかった」
「ううん。一人で出来ない事は誰かの手を借りればいいの。ノアはレオンハルト様の力を借りてくれた」
「ありがとう」そう伝えても足りない。けれど私は何度でも「ありがとう」を伝える。
貴族を「ヒロイン」を捨てると決めたのも、生きると決めたのも私が自分で選んだ道。
だから、こんなにも幸せなんだ。
「アイリ、僕は君が好きだ。いつも寂しそうな君を笑顔にしたいって思ってた。どうかこれからも一緒に生きてください。笑ってください」
「私はノアが好き。大好きです」
「をーっ言ったあっ!」
二人で泣きながら告白を交わしていたらいつの間にか団長や陛下、仲間達がすずなりになって窓から顔を出していた。
「やっとだね。まったくヤキモキしていたよ。アイリはいつもノアを見ていたからね」
「本当だよ。ノアなんて毎日告白の練習していたんだぞ。団長が邪魔しなければもっと早かっただろうに」
「俺は本気度を測っていたんだ」
「ダロンはワシの馬に蹴られてしまえ」
皆んな温かい。冷やかされてもそれが嬉しい。
「これからも、よろしくお願いします!」
彼の国で死んだ事になった私はこの一座に受け入れてもらえた。それだけでも幸運だ。
私とノアは泣き笑いを交わして繋いだ手を掲げた。
──私は「生」と「死」を繰り返して来た。
この世界も今までの世界と同じだと諦めていた。
けれど、生きたい。私は生きたいと願ったの──
──そして私は選んだ。生きる事を──
「それが貴女の答え⋯⋯さあ、お行きなさい。貴女の選んだ道へ」
舞台のラストシーン。精霊の役を与えられた私は「ヒロイン」を抱えてバルコニーから飛び降りた。
大丈夫。この先にはノアがいる。
客席を飛び越える時、来賓席に座るレオンハルト様が視界に入った。満足気に小さく親指を立てるレオンハルト様に私は花吹雪を降らせた。
私は沢山の人生を生きる旅役者のアイリ。
「ヒロイン」の円環を断ち切る道を選択した、ただのアイリ。
私は断罪と処刑を繰り返して来た「ヒロイン」だった。
円環を断ち切ると決めた、ある「ヒロイン」の選択 京泉 @keisen
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