第56話 ヒロインを待つ運命は、秘密!
「それでは本番、行きま―す。三、二、一、アクション!」
本来なら合宿最終日に当たる日の午前中、屋敷をチェックアウトした僕らはドラマのロケ見学のため麓の神社に訪れていた。
観客は僕ら宿泊客と屋敷の関係者、それにミドリと日名子ちゃんだった。採用されたみづきのシナリオにはラブシーンがあるらしく、正直に言うと、僕は純粋にロケを楽しめる気分ではなかった。
ドラマの筋書きはこうだった。とある人里離れた村に染料となる花を求めてやってきた若い男が、たまたま村の神社で神楽を舞ったことから村の娘に惚れられる。
一方、娘に恋心を抱く村長の息子は、目障りな若者を娘から遠ざけるべく、村に古くから伝わる記憶を消す薬草を茶に混ぜて二人に飲ませ、若者を別の村に追いやってしまう。
娘は若者のことを忘れたまま、村長の息子と付き合い始めるが、数年後、ふらりと村を訪れた若者が何かに誘われるように神楽殿で舞っているところを見て、記憶を取り戻す。
二人は感謝の祈りを捧げると村人たちに何も告げぬまま、いずこともなく姿を消す、そんな内容だ。
舞台の上の正木亮は、普段着にもかかわらず優雅な所作で右へ、左へと舞い踊っていた。
設定上は音がない状態で舞っているのだが、イメージをつかむためだろう、完成した映像につけるBGMがスピーカーから流れていた。
「綺麗……」
少し離れた場所で平坂泉が目を潤ませて呟くのが見えた。確かに正木の舞は心得があるもののそれを思わせた。袖で控えている雪江も当然、モニタ―で見ているに違いない。
――まずいな。この優雅さはただ事じゃない。
僕が不安に揺れる胸中を悟られぬよう、余裕のある表情を作ろうとした、その時だった。
「木田川さん!」
凛とした、良く通る女性の声が響き、移動するカメラと共に一人の女性が舞台に駆け寄るのが見えた。雪江だ。
――すごい。どこから見ても女優だ。
雪江が驚くような機敏さで舞台の上によじ登ると、正木亮――どうやら木田川という役名らしい――が、舞を止めた。
「雅恵さん……」
それまで何かに取り憑かれたようだった正木の表情が、みるみるうちに生きた人間のそれに変わっていった。まさに『しかばね』が現世に戻ってきたかのような鬼気迫る演技に、僕は鳥肌が立つのを覚えた。
……と、ふと近くでなにかがもぞもぞと動く気配があり、僕ははっとした。雪江の演技を焼き付けるべくミドリが必死で背伸びをしているのだった。
「――ミドリ」
僕はその場に屈みこむと、ミドリに肩に乗るよう促した。
「……いいのか?」
ミドリは人目を気にするように左右を見た後、おずおずと言った。
「早く。美味しい場面を見損なっちまうぞ」
僕が囁くと、ミドリは素直に僕の肩に足をかけた。そのまま勢いをつけて立ちあがると、上の方から小さく「わあ」といつもよりト―ンの高い声が聞こえてきた。
「木田川さん…私のこと、わかりますか」
雪江が問うと正木は頷き、「わかります。雅恵さん。美しくなられましたね」と返した。
「ではもう一度……村に戻っていただけますね」
雪江が喜びを抑えきれないといった表情で言うと、正木は俯いた後、驚いたことに大きく頭を振ってみせた。
「それはできません。あなたを忘れていた間、私は別人としての人生を歩んでいたのです」
そう言って正木は雪江が現れた方とは逆の方向に目を向けた。カメラの動きにつられて目線を追った僕は、少し離れた場所に立っている人影を見て思わずあっと叫んでいた。
――なぜあんなところに、彼女が?
「一度別人となった僕にとって、ここはもう遠い場所なのです。許して下さい、僕はどこにいようとあなたの幸せを願っています」
正木はそう言い置くと、舞台を降りて人影のいる方へと去っていった。
舞台の上でそっと涙を拭っている雪江にカメラが向けられ、しばらくすると「カット!」の声が響いた。
――信じられない。よもやヒロインが振られるとは……
僕が予想外のラストに絶句していると、頭の上から「見事だ」という声が聞こえてきた。
カメラや照明が引き上げ、正木と雪江が僕らの前に立つと、期せずして拍手が起こった。
「みなさん、今日の見学はこのカットまでです。完成した作品の放映を、楽しみにお待ちください」
ロケの終了を聞き、ミドリをゆっくりと地面に降ろすとふいに僕の携帯が鳴った。
――あ、お兄ちゃん?あたし。今、『虹神駅』前の喫茶店にいるから、良かったら来て。
電話の主は妹の穂波だった。こっちはこれから帰るというのに、なんだってまた今頃やってきたのだろう。僕は訝りつつ「わかった。ミドリも一緒だ」と返して通話を終えた。
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