第40話 小さな執事の任期は秘密!
意識が戻って最初に見えたのは、見覚えのあるクラシックな照明だった。
――リビングの天井だ。……すると僕はソファーで眠ってしまったのか?
状況を確かめようと身じろぎしかけて、僕ははっとした。首から下が、セメントで固められたようにびくともしなかった。これはなんだ、そう訝った途端、どこからともなく男性の物らしい声が聞こえてきた。
「お目ざめですか、秋津先生。失礼ながら体の自由を制限させていただきました」
――なんだって?いったい何の目的でそんなことを。
僕は思わず叫んだ。が、謎の人物への問いかけは胸のあたりでつかえ、音になることはなかった。
「自由が欲しければ、私がこれから出す質問にお答えください。……秋津先生、あなたは『第七の作家』ですか?」
――僕が?……違う、僕は『第七の作家』なんかじゃない。
「……ちが……う」
ようやく絞り出した返答に、あいては「ふむ」と相槌を打っただけだった。予想済みの答えだったのだろうか。
「では二つ目の質問。あなたはこの屋敷の住人と裏で繋がっているのですか?」
――いったい、なんのことだろう。この問いにはありのままを言うしかなさそうだ。
「知ら……ない……僕……ただの客」
僕が動かない身体に鞭打って返事を絞り出すと、相手は一瞬、沈黙した。
「了解しました。……では最後に、無関係な第三者であることを立証するためのテストをします。テーブルの上をご覧ください」
僕は必死で首を捻じ曲げ、近くにあるローテーブルの上を見た。驚いたことに、そこにはいつか夢で見た『アライブリキッド』の缶が二本、並べて置かれていた。
――赤と緑……夢と同じだ。
「もう一人、無実の証明を希望する人間がいます。これからあなたの運命に関する選択を、その人物に委ねます」
『声』がそういうと、テーブルの前に小さな人影が現れた。その姿を見た僕は、思わずあっと声を上げそうになった。
――ミドリ!……いや、ミス・ビリジアン!
僕は二つの缶を前にした小さな執事の姿に、困惑を覚えた。これもまた、夢なのだろうか?
ミス・ビリジアンはテーブルの前で目線だけを動かし、二つの缶を交互に見遣った。
――駄目だ、赤い方を選んじゃ。……ミドリ、君にはこのテストは無理だ!
僕の胸中に絶望が広がった。彼女は……僕の知っているミドリは、色覚障碍者なのだ。
「どうしました。片方を選ぶだけのことですよ」
『声』に促され、ミス・ビリジアンの手が動いた。僕が夢と同じ展開を覚悟した、その時だった。ミス・ビリジアンがおもむろにかけていた眼鏡を外し、テーブルの上に置いた。
――なんだ?
ミス・ビリジアンが次に取った行動は、思いもよらぬものだった。いきなり胸ポケットから奇妙な形のサングラスを取りだすと、外した眼鏡の代わりにかけたのだ。
「……こちらです」
そう言うと、ミス・ビリジアンは一方の缶をためらうことなく持ち上げた。
「それでいいのですね」
「はい」
ミス・ビリジアンが手にした缶の色は、緑だった。
「ではその中の液体を、秋津先生に飲ませてください。様子に変化がなければ、両者とも第三者の証明を完了した物とみなします」
『声』はそう告げると、それきり沈黙した。ミス・ビリジアンは緑色の缶を手にやってくるとクッションをずらして僕の頭を起こし、それからおもむろに缶の口を開けた。
――ミドリ!
缶が僕の口元に押しつけられると、唇がごく自然に開いた。それから中の液体が口の中にゆっくりと流れ込んできた。僕は覚悟を決めると溜まった液体を一気に呑みこんだ。
「…………」
僕は目を閉じ、おのれの運を天に委ねた。……やがて僕の身体を巡り始めたのは、死の予兆ではなく細胞が生まれ変わるような生気だった。
「……これは?」
僕はいくらか自由が効くようになった上体を動かし、缶を手に奇妙なサングラスをかけたまま、こちらを向いてるミス・ビリジアンを見た。
「ミス・ビリジアン……そのサングラスは?」
僕が問うとミス・ビリジアンは缶を置き、サングラスを外してみせた。
「これは特殊なサングラスで、色覚障害のある人間が掛けると物の色が正しく見えるようになるのだ」
ミス・ビリジアンはそう言うと、テーブルの上の眼鏡をかけ直した。僕はおや、と思った。なんだか彼女の口調がこれまでとは違う気がしたのだ。
「ミス・ビリジアン、どうして……」
「ミドリでいい」
「は?」
「もう執事の職は辞した。元のミドリで構わない」
僕がぽかんと口を開けていると、ミス・ビリジアン……いや、ミドリは「まだ麻痺効果が多少、残っているはずだ。しばらく休んでから動くといい。私は貸与された服を返して、私服に着替えてくる」と言った。
「落ちついたら、今までのいきさつについて話してくれるのか?」
僕が尋ねるとミドリはドアの前で立ち止まり「私が知っている事でよければ」と言った。
「もう一つだけ教えてくれ、ミドリ。正直、さっきまで僕は君が敵か味方か、よくわからなかった。執事をやめたら僕の力になってくれるかい」
僕が問うとミドリは一瞬、怪訝そうに眉を寄せて「何を言うのだ」という表情になった。
「――今もさっきも変わりはない。私は一度も君の敵だったことはないぞ。シュンスケ」
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