第32話 お目付け役の企みは秘密!
薬草畑を過ぎて正面玄関が見えた途端、僕とミス・ビリジアンの足が相次いで止まった。
「おや、大先生の御帰りだ。どうやら僕らに挨拶をしに来たってわけじゃなさそうだな」
僕が誰に言うともなく漏らすと、ミス・ビリジアンが「行かねば」と言って駆けだした。
小さな執事はあっという間に玄関前に停められた車にたどり着くと、車に乗り込もうとする神谷郷に何か話しかけ、それから深々と頭を下げた。おそらく執事として見送らねばとでも思ったのだろう。
「……おや、誰か残ったようだな」
車が去った後、玄関の前にはミス・ビリジアンのほかにもう一人、男性の姿があった。
僕が近づくと気配に気づいたのか、男性がこちらを見て如才ない笑みを浮かべた。
「こんにちは。秋津先生ですね」
いきなり名を呼ばれて面喰っていると、相手は「申し遅れました。私、神谷郷先生の担当をさせて頂いている紀想社の百目鬼文吾と言います。これから最終日まで、先生に代わって合宿中の気になったエピソードを記録させていただきます。どうぞよろしく」と言った。
相手の流れるような語り口に、僕は「はあ」と間の抜けた返しをするのが精一杯だった。
「よく一目見て僕が秋津だとわかりましたね。自分で言うのもなんですが、作家としては無名に近いのに……」
僕が自虐含みの疑問を投げかけると、百目鬼は「いえ、実を言うとここに来る前に、参加されている先生の写真を見て外見を覚えてきたんです」と悪びれる様子もなく言った。
「なるほど、用意周到ってわけですね。しかし最終日でもないのに予告もなく現れるとは、神谷先生も人が悪いですね。抜き打ちみたいで心臓に悪いですよ」
僕が恨み言を口にすると、百目鬼は「悪気があってのことじゃありません。トラブルらしきものが発生していると聞いて、家主に話を聞きに来たのです」と真顔になって言った。
「トラブル……なるほど、そうだったんですね」
この編集者の言葉は、果たして鵜呑みにしていいものだろうか?と僕は内心で訝った。一連の事件に神谷先生が絡んでいるのなら、わざわざ様子を見に来る必要はないはずだ。それとも抜き打ちの訪問や百目鬼の滞在も含め、すべてが手の込んだ芝居なのだろうか。
「しかし皆さん、現役で活躍中のプロ作家です。トラブルを作品のネタにするくらいの貪欲さでなければ困ります。すでに二人の方が宿を去られたそうですが、実はその御二方は事前に作品を仕上げられていたのです」
「なんですって?」
「メイドのマーサさんが預かられていますが、先ほど神谷先生がぱらぱらと目を通されていました。なかなかの力作だそうですよ」
百目鬼の話を聞き、僕は唸らざるを得なかった。どうにも話ができすぎている気がする。
「まあ、先生の代わりが務まるかどうかは別として、今日から最終日までの間、私もみなさんと同じ屋根の下で寝泊まりさせて頂きます。ここの料理は絶品だそうですね。なんでもひと口食べると気分が高揚し、あの世とこの世の間を彷徨うような心地になるとか……」
「まあ、確かに素材の味を生かした料理が多いとは思いますが、それは大げさでしょう」
まるで誇大広告だと僕は思った。食べたら『しかばね』になるの間違いじゃないのか。
「では秋津先生、気を抜くことなく先に去られた御二方を上回る傑作をものにして下さい」
百目鬼は僕にさりげなく檄を飛ばすと、屋敷の中へ消えていった。
あれこれ考え始めると頭が痛くなりそうで、僕はいったんそれまでの考えを振り払うと、百目鬼が期待しているという夕食の匂いが漂い始めた屋敷の中へ戻っていった。
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