第31話 異邦からの客は秘密!
「あっ……」
初めて足を踏み入れた『魔女の家』は拍子抜けするくらい、普通の住居だった。
広くはないがテーブルセットと簡易キッチンが設えられ、ログハウス風の内装を別にすればごく平凡な民家の間取りだった。
「この栄養ドリンクは、奥様から言いつかったお届け物です」
ミス・ビリジアンは事務的な口調で言うと、自分の身体ほどもあるバッグから『アライブ・リキッド』の入った箱を取りだした。
「あら、ご苦労様。奥様によろしく言っておいてね」
「では、私はこれで」
用を済ませたミス・ビリジアンが立ち去ろうとすると、『魔女』が「待って」と引き留めた。
「せっかくだから、あなたもお茶していくといいわ。……それで、作家先生の御用は何かしら?」
「ええと、実は課題になっている小説のネタに行き詰まっていまして、お屋敷の方と話でもすれば何かヒントが得られるかと思い、勝手ながらやってまいりました」
「あらそう。私の『家』にいる限りは何でも聞いて結構よ。……ミス・ビリジアンも」
「いえ、特に私は……」
「じゃあ、作家先生は?……ちなみに私のことはマダム・ベラドンナと呼んでね。占いをする時の名前なの」
そう言うとマダムは僕とミス・ビリジアンのカップにハーブティーを注いだ。
「マダム・ベラドンナ。お言葉に甘えてうかがいます。まず『しかばね』とはいったい、何なのですか?なぜ村長の息子が屋敷の地下で生活しているんです?」
「大変なことをいくつも聞くのね。……そう『しかばね』というのはね、集団の禁忌を破ったり誰かに恨みを買った人間が、薬で思考や行動の自由を奪われて死体のような見た目になった状態を言うの」
「薬……あれは薬の作用だったんですか。でもそんな恐ろしい刑を誰が実行したんですか」
「そのことを話す前に一つ、昔話をさせて頂戴。……そう、今から七、八年ほど前の事よ」
マダム・ベラドンナはそう前置くと、ハーブティーで唇を湿した。
「まだお屋敷が以前の所有者に管理されていたころのお話よ。ある年の初夏、この村に一人の若者がやってきて、染め物の修業をしたいから離れを貸してほしいと屋敷の主に頼みこんだの」
「染め物の……」
僕の脳裏に、離れの中で見たバケツと染める途中らしい布の映像が甦った。
「主は使っていない小屋を遊ばせておくより人に貸した方がいいと思い、若者の頼みを聞き入れたわ。若者は離れを工房にして、山の植物で独自の草木染を始めたの。だけど……」
「だけど?」
「若者がしばらくして主に申し出た二つ目の頼みがその後、あらぬ噂の引き金となった」
「噂の引き金ですって?……いったいどんな頼みだったんです?」
「屋敷の周りの畑を借りて、染め物にも使える薬草を栽培したいと言いだしたの」
「薬草……」
「若者は薬の知識があったようで、染め物をする傍ら、栽培した植物から何らかの薬効成分を抽出していたの。実際、薬の入った瓶を見た人もいるわ」
「つまり最初から薬草の研究をするつもりで、離れを借りたってことですか」
「ええ。もちろん、染め物の修業をしたいというのも本当だったわ。でも、若者が栽培していた薬草は元々、この土地にはないものだった」
「ということは……」
「どこからか株を持ってきて、植えたってことよ。つまり初めからここの土地が薬草の栽培に適していると見当をつけた上でやってきたってわけ」
「いったい、何者なんですか、その若者は」
「詳しいことは私も知らないわ。なぜなら染め物が軌道に乗り始めたころ、若者の身にトラブルが降りかかり、村を出ざるを得なくなったから」
「トラブル?……つまり村の人たちと軋轢が生まれたってことですか」
「まあそうとも言えるかしらね。きっかけは、女性よ」
「女性?」
「染め物師の噂を聞いて工房を訪ねた村の女性が、若者に好意を抱いてしまった……そのことが後に思いもよらないトラブルを引き起こしてしまったの」
マダム・ベラドンナはそこまで一気に語ると、ふうと息を吐き出し窓の外に目をやった。
「つまり男女のすったもんだ……ですか」
「ええ。女性に密かに恋心を抱いていた青年がいて、女性が麓の集落から若者のいる山の工房へ足しげく通っていることに嫉妬したってわけ」
「若者の方はどうだったんですか」
「都会の女性を見慣れた若者には、自分を尊敬の目で見てくれる素朴な女性が新鮮だったようで、あっという間に距離が縮まったという話よ。それで集落の青年は、噂の真偽を確かめるという名目で工房に押しかけ、女性に若者との関わりを絶つよう説得したの」
「それって逆効果じゃないですか?」
「そう。女性の方は「いい機会だから、彼がどんなに優れた人かを麓の人たちにも伝えて」と言って、事実上、青年の申し出をはねつける形になったの」
「決定的ですね。それで青年はあきらめたんですか」
僕が問いを交えつつ先を促すと、マダムは「あきらめるわけないでしょう」と言った。
「青年はね、主が留守の間を狙って工房に乗り込み、女性を力づくで連れ出すと周囲に宣言したの。そしてそれから間を置かず、本当にその計画を実行に移したってわけ」
「しかし女性だって大人でしょう。一歩間違えれば犯罪ですよ。……で、その顛末はどうなったんです?」
「その日の夕方、麓の集落に戻ってきたのは青年だけだったの。それだけじゃなく、戻ってきた彼は何を聞かれても「ああ」「うう」としか答えず、目はうつろで足取りもおぼつかなかった。困り果てた青年の親は、青年を家の奥に閉じ込めてしまったの」
「そんなことをしたら騒ぎになるでしょう」
「ところが青年の親は村の有力者で、息子に関する世間のあらゆる疑問に答えないことで騒ぎを鎮めてしまった」
「ご両親は息子の身に何が起きたのかを、工房の若者に尋ねにはいかなかったんですか」
「実は一連の事件があった少し前、やはり都会からやってきた男性がいて、事件を起こした青年と親しくしていたらしいの。そこで男性は自分が調べてくると言って工房に乗り込み、そこで見た驚くべき光景を友人の両親に報告したそうよ」
「驚くべき光景……」
「何と恋敵の若者もまた、碌に話もできない『しかばね』になっていたというの。そして事件の原因ともいえる女性は、そんな若者の世話をかいがいしく焼いていたそうよ。男性は何度か工房を訪ねたものの、二人の『しかばね』が一向に回復しないので諦めて都会に戻っていったという話よ」
「それで……彼らは結局その後、どうなったんですか」
「若者と女性はそれからほどなく、村人たちが気づかぬうちにどこかへ姿を消したそうよ」
「有力者の息子さんはどうなったんですか」
「工房の持主が一家で村を離れたのをきっかけに、新しい主に形ばかりの使用人として引き取られたそうよ」
「使用人……ようするに地下室に住まわせるってことですか」
「ええ、そうね。屋敷を買い取ったのは大きな製薬会社の社長で、屋敷は自宅じゃなく会社の保養所として買ったという話だけど、なぜ麓の青年を引きとったのかはわからない」
「何か理由があったんでしょうね」
僕の脳裏に浮かんだのは『ツモト製薬』の文字と神谷郷の顔だった。『しかばね』となった有力者の息子とはつまり、村長の息子のことに違いない。ツモトはなぜあの屋敷を買い取り、村長の息子に地下室を与えたのだろう。そこに全ての謎を解く鍵がありそうだった。
「どう?こんな昔話は。長くて喉が渇いちゃったかしらね」
マダムはそう言うと、優雅な所作でハーブティーのカップを口に運んだ。
「とても面白いお話を、ありがとうございました」
気が付くと僕とミス・ビリジアンは同時に礼を述べていた。
「では、仕事がありますので私はこれで」
ミス・ビリジアンはぺこりと頭を下げると、くるりと身を翻した。
「あ、待って。屋敷に戻るなら僕も一緒に行くよ」
僕はそう言うとそそくさとマダムに一礼し、足早に扉の方へと向かう彼女の後を追った。
――やれやれ、何だよ仕事って。一体いつまで執事ごっこを続ける気なんだ、ミドリ。
僕は小さい影が外に消えるのを逃すまいとするかのように、慌てて『魔女の家』を出た。
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