第26話 彼女たちの願い事は秘密!


 小さな鳥居をくぐった僕が最初に耳にしたのは、どこからか聞こえてくるギターの音だった。見たところ境内のどこにも音源らしきものはなく、僕は近くで掃除をしていた神主風の人物に声をかけた。


「あのう、つかぬ事をお尋ねしますが」


「はい、何でしょう」


「この、どこからともなく聞こえてくる音は、神社の中で出されている音でしょうか」


「ええ、そうです。あちらに神楽を舞う舞台がありまして、宮司がバンドの練習をなさっているのです」


「宮司さんが……」


 僕は一瞬、虚を突かれて口ごもった。お坊さんが趣味でバンドをやるという話は時々、テレビなどで見かけるが、宮司さんたちのバンドというのは想像がつかなかった。


「そろそろ終わるころかと思います。覗いていかれますか?」


 僕は気が付くと「はい、ぜひ」と頷いていた。導かれるまま手水舎の脇を抜けて神楽殿の前に出ると、言葉通り白い着物に浅葱色の袴をつけた男性が舞台の上でギターをかき鳴らしていた。


「あ、あのう」


 僕が声をかけると、目を閉じて演奏に没頭していた宮司が演奏を止めて目を瞬いた。


「……どうもすみません、聞こえなくて。何か御用でしょうか」


 年配の宮司は額の汗を拭うと、にこやかに言った。


「実は少々、お話を伺いたくて来たんですが、お時間よろしいでしょうか」


「構いませんが……社務所の方へ行かれますか?」


「いえ、ここで構いません。実は宮司さんがこの町のことをよく存じてらっしゃると聞いて、お話を伺いに来ました」


「この町の……ちょっと待ってくださいね。いくら何でもこのままでは失礼ですから楽器をどかしますね」


 宮司はそう言うとギターを下ろし、舞台の上に置かれたアンプとエフェクターを片付け始めた。勧められるまま舞台に上がると、宮司がパイプ椅子を出して僕の前に置いた。


「ええと、どんなことをお知りになりたいのですか?」


 僕を案内した禰宜が立ち去ると、宮司が穏やかな口調で切りだした。


「実は僕、山の上の『宵闇亭』で催されている合宿に参加している者なんですが……」


 僕は今までの事情をできるだけ簡潔に、包み隠さず打ち明けた。


「宮司さんはかなり昔からこの町に住んでいらっしゃると聞きました。『宵闇亭』や神谷先生についてもし何かご存知でしたら、教えて頂けませんか」


 僕が請うと宮司は一瞬、押し黙って天井を見上げ、それから「お知りになりたいことと関係があるかどうかはわかりませんが」と切りだした。


「あの建物は大昔、阿古根正武さんという農業を営んでいた方の持ち物だったんです。阿古根さんの娘さんと村長の明石さん、それに今、ツモト製薬の社長をされている津元礼次郎さんの三人は同じ中学の同級生でして、明石さんと津元さんは息子さんたちが高校を出る時、一家で村を離れたんです。その後、何年か経って阿古根さんも一家で村を去り、あの建物はしばらく空き家になっていました」


「でも、今は明石さんという女性が家主になっています。戻ってきたという事ですか?」


「そうです。家主の富士子さんは村長の姉で、先に弟の哲郎さんが戻ってきました。その後、製薬会社を興した津元礼次郎さんがあの建物を買い取って、村長のお姉さんを家主にしたのです」


「それはつまり、あの家の周りにある薬草畑が欲しかったから……そういう事ですか?」


 僕が踏みこんだ問いを投げかけると、宮司の目に一瞬、困惑の色が浮かんだ。


「私たちがうかがい知ることはできませんが、そうかもしれませんね。そんなわけで、明石さんと津元さんは昔から付き合いがあったのです」


「元々の持ち主だった、阿古根さんという方は?」


「娘さんが中学生の時に事故に遭われたこともあって、あまり戻りたくないのでしょうね。今はどうされているのか私も存じません」


「村長さんの息子さんが恋愛のもつれで怪我をされたという話を町の人から聞いたのですが、今はどうされているかご存知ですか?」


 村長の息子の話を僕が切り出すと、宮司の表情が一段と険しいものになった。


「さあ……実は村長とはしょっちゅう会っているのですが、息子さんの話は私たちの間では一種のタブーになっているのです。はたしてこの町にいらっしゃるのか、どこかよそにいるのか……」


「最後に聞かせてください。今回の合宿は、津元社長の息子である作家の神谷郷先生の企画なんですが、神谷先生はよくこの村を訪ねていらっしゃるんですか?」


「そうですね、私が覚えている限りでは、確か村長の息子さんがごたごたしていた時も、戻られていたような気がします。息子さんとも気が合っていたような覚えがあるので……都会に戻られたのはやはり、親しくしていた息子さんが怪我をされたせいでしょうね」


「そうですか……いろいろと貴重なお話をありがとうございました」


 僕が礼を述べて去ろうとした。その時だった。絵馬掛けのあたりで誰かが語らっている声が、風に乗って運ばれてきた。何気なく顔を向けた僕はたちまちその場に凍り付いた。


 ――なぜ、ここに?


 絵馬掛けのところで何やら男性に語り掛けているのは、神妙寺雪江だった。僕は宮司に頭を下げると、神楽殿を飛びだして近くの植え込みに身を隠した。


 神妙寺雪江と恐らく正木亮の二人はそのまま拝殿の方に連れ立って歩いていった。僕は鳥居の方に引き返しつつ、二人の様子を目で追った。雪江が鈴を鳴らして何かを祈っている姿を見た瞬間、なぜか僕の胸に言いようのない痛みが走った。


 ――そうか、ドラマの撮影に神楽殿が使われるんで下見に来たのか。……それにしても。


 僕が鳥居の陰を出て石段の方を向きかけた、その時だった。参拝を終えて振り返った雪江と僕の視線がまたしても、交差した。


 なぜ?というように目を見開く雪江を振り切るように背を向けた僕は「もういい、町は十分だ」、そう呟きながら石段を駆けおりていった。

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