第18話 話題作のヒロインは秘密!
男性の後を追って中庭に足を踏み入れた僕は、後ろ姿が『森』に吸い込まれたのを見届けた時点でいったん、足を止めた。
ここで満足して引き返すべきか、もう少し追ってみるか。迷い始めた僕の耳に突然、背後から声が飛んできた。
「そこで何をされているんです?」
振り返った僕の前に、学芸会の衣装のようなモーニングに身を包んだ『執事』がいた。
「あ、いや……ちょっと中庭の方を見てみたくて」
「残念ですが、中庭に見るべきものはありません。見てのとおり雑木林があるだけです。花壇や日本庭園を期待なさっていたのなら、答えはノーです」
身も蓋もない口調は『ミドリ』そのもので、僕は反発より先に懐かしさを覚えていた。
「ええと、ミス・ビリジアン』
「何です?」
「不躾ですが、僕とどこかで会ったことはありませんか?」
「……さあ、残念ながら覚えておりません」
「そうですか。実はあなたによく似た女の子を僕は知っているんです。『ミドリ』と呼ばれているその女の子に僕はある時期、救われたんです」
「…………」
「家主さんが新しい執事の紹介をされた時、僕はあなたのことを一瞬、僕の知っている『ミドリ』と混同してしまいました。人違いだったら謝罪します。失礼しました」
「いえ、別に詫びていただく必要はありません。誰にでも一人くらい、似ている人間はいるものです」
「……ところで話は変わりますが先ほど、日名子ちゃんという女の子と知り合ったんですが、彼女もこの御屋敷で寝泊まりしているんですか?」
「なぜ、そんなことを?」
「少し会話しただけですが、一応、次に会った時はきちんと挨拶しようと思いまして」
「……挨拶だけにしておいてください。この屋敷の住人には、私も含めて深くかかわらないことをお勧めします」
「はあ……」
僕が返答に窮していると、ミス・ビリジアンは答えを待つことなくくるりと踵を返し、玄関の方へと去っていった。
――参ったな。どうやら『執事』を味方にするのは不審者と友達になるより難しそうだ。
※
僕はベンチに戻ると再び、帽子を目深に被って取り留めもない空想にふけり始めた。
だが、ものの数分と経たないうちに、シャッター音らしき音がが僕の空想を破った。
なんだろう。訝しみながら帽子の鍔を上げると、畑を挟んで向こう側の小道に携帯を構えている人物の姿が見えた。そのまま見続けていると、屋敷の方から都竹が姿を現して何やら苦言を呈している様子が見えた。
「ロケハンとやらも結構ですが、撮影はほどほどになさってください」
「ああ、すみません。『宵闇亭』の方ですか?」
「そうです。料理長の……と言っても料理人は私だけですが……都竹といいます」
「なるほど、コックさんですか。じゃあ、ここの畑で採れる野菜やなんかにもお詳しいわけですか」
「もちろん。お客様にお出しする料理の食材は、ほとんど自前で賄っております」
「ふうん。……じゃあ、『ツモト製薬』が秘密に栽培してる薬草、なんてのも調理に使ったりするのかな」
人物が探るような口調で問いを放つと、都竹は無表情で「まさか」と応じた。
「……とにかく、敷地内で撮った写真をネットに上げるような行為は慎んでくださいよ」
都竹は毅然とした態度で釘を刺すと、屋敷の方へ引き返していった。
「やれやれ、色々と厳しいな。まあ、当面はおとなしく従うとするか」
人物は不敵な笑みを浮かべると、驚いたことに僕のいる方へと近づいてきた。
「こんにちは、いいお天気ですね」
キャップにパーカーという身なりをした男性は、立ち止まると僕に物問いたげな眼差しを寄越してきた。
「ええ、そうですね。……失礼ですがあなたは?」
僕が問うと、男性は「これは失礼しました」と澱みない仕草で名刺を取りだした。受け取った名刺をあらためると『芸能ウォッチャー 槇田幸司』と肩書らしきものがあった。
「主にネットニュースを中心に、芸能関係のうわさ話をコラム仕立てで執筆しています」
僕は内心「また厄介なのが現れたな」と思いつつ、ふんふんと頷いてみせた。
「最近、ある知り合いからドラマのロケがここで行われるって聞きまして、ちょうど暇だったんで地元の人に頼みこんで連れてきてもらったんです」
「僕はこの建物の宿泊客ですが、その話なら多少は聞いています」
「そうですか。やはりね。なんでも作家の神谷郷がテレビ用に企画した話で、ドラマの中に劇中劇を挟むとかいろいろと実験をするらしいですよ」
その劇中劇の台本をまさに今、五人の作家が競って書いていると知ったらこの男性はどうするだろう。今からそんな内情をネットで流されてはたまったものではない。
「このあたりでロケをするらしいっていうのは聞いていますが、内容はよく知らないんです、実を言うと」
僕は突然、現れた怪しげな稼業の男性に、当たり障りのない言葉を返した。……もっとも、ドラマの内容をよく知らないという部分はまぎれもない事実だったが。
「僕も詳しいことは知らないんですが、主演は正木亮って言う売り出し中の若手俳優で、新人らしからぬ度胸の持ち主だって噂ですよ」
槇田という男性の講釈に、僕は「ふうん」と気のない返しをした。ごく一部の芸能人を除いてドラマや映画の世界にはそもそも、とんと疎いからだ。
「その代わり相手役には一応、旬の女優……神妙寺雪江を起用してるみたいですけどね」
「えっ……」
槇田の口から女優の名前が出た瞬間、僕は驚きのあまり言葉を失った。
――神妙寺雪江だって?嘘だろう?
したり顔の槇田を前に僕はベンチの上で絶句したまま、心の中で落ち着けと繰り返した。
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