第10話 淑女の間の扉は秘密!
「今、何時?」
「四時二十分。五時までにはリビングに戻っていたいわね」
みづきはそう言って廊下を見回すと、宿泊棟の二階へ続く階段を先に上り始めた。
階段を登り切ったところは小さなホールになっていて、正面に古めかしい作りのエレベーターがあった。
「左手奥が家主さんの部屋なんだけど、多分このエレベーターで一階に移動するのね」
みづきはそう言うと、階段を中心にヘアピン型にUターンしている二本の廊下を見た。
「どっちから行く?」
僕が尋ねると、みづきは一瞬、押し黙った後「右から行きましょう」と言った。
二階には左右の廊下に沿ってドアが二つ、奥の突き当りに一つの計六部屋があった。僕らは右の廊下を奥に向かって進むと、突き当りのドアの前で足を止めた。
「見て、早速『禁止』の札がご登場よ」
みづきが目で示した先には暗い色の扉があり、手前の廊下に赤いプラスチックチェーンを渡した二本のチェーンスタンドが立っていた。
「物々しいなあ。だけどようするに鍵がかかってるって事だろう?」
僕はチェーンをまたぐとドアの前に立ち、金属の取っ手に手をかけた。すると無意識に力が入ったのか、取っ手が動いてドアが向こう側に押し開かれた。
「――あっ」
ドアの隙間からのぞいた向こう側の風景に、僕は思わず息を呑んだ。
「……外だ」
なんと突き当りのドアを開けた向こうは、なにもない空中だった。僕は開け放たれたドアから恐る恐る上半身を出すと、外の様子をあらためた。
「このドアは壁の一部をくりぬいたような形になってたんだ。外側は壁と同じ化粧タイルで、内側が取っ手のついたドア……閉じてしまえば外壁と区別がつかないってわけだ」
僕は背中にうすら寒いものを感じ、慌ててドアを閉めた。
「なるほど、部屋だと思い込んで足を踏み入れたら下にまっ逆さまというわけだ。立ち入り禁止になってるはずだよ」
「これってもしかしたら悪霊とかそういう物を騙すための仕掛けなのかもね。住人が間違って罠に嵌らないよう、こうして警告してるんだわ」
「よしてくれ。ただの手の込んだアトラクションだよ。……左側に行ってみよう」
僕らは物騒な扉に背を向けると、ホールを経由して左側の廊下へと移動した。
「突き当りが家主さんのお部屋で、その手前がマーサさんのお部屋。そして……」
みづきは言葉を切って足を止めると、手前のドアを指さし「ここが私の部屋」と言った。
「どう、覗いてみる?」
みづきのからかいを含んだ誘いに、僕は「有り難いけど、遠慮しとくよ」と応じた。
「可愛らしい女性がおいでおいでをする時は大抵、妖怪の類だと思ってるからね」
「失礼ね。とって食べたりはしないわよ」
みづきがそう言って頬を膨らませた、その時だった。突然、僕らの背後で鈍いモーター音が響き始めた。
「まずい、エレベーターだ。誰か二階に来る」
「とりあえず私の部屋に隠れましょう」
僕らは咄嗟にみづきの部屋に飛び込むと息を殺し、ドア越しに廊下の気配をうかがった。
「……止まったみたい」
エレベーターが止まり、扉の開閉音がしたかと思うと大股の靴音が廊下に響き始めた。
「こっちに来るわ」
靴音は僕らの部屋の前を通り過ぎると、奥のドアの前で止まった。
「……奥様、安藤です。お加減はいかがですか」
「ありがとう、よく来てくれたわね。入ってちょうだい」
医師らしい男性の声に続いて聞こえてきたのは、なんと家主の声だった。
「なぜ家主さんが、部屋にいるんだ?」
僕は身を潜めているにもかかわらず、声を上げていた。つい先ほど『魔女の家』で見かけたばかりだというのに。
僕らが出るに出られず往生していると、やがてドアが開く音と車いすを押す音が聞こえ始めた。どうやら医師が家主を連れてエレベーターで移動するところのようだ。
「……乗ったみたい。行きましょう」
エレベーターの音を確かめたみづきがそう囁き、僕らはドアを開けて廊下に出た。
「やっぱり変ね、この御屋敷」
「変どころじゃないぜ。撮影のための細工にしちゃ手が込みすぎてるよ」
僕らはエレベーターが一階に到着するのを待って、動き始めた。
「もうそろそろいい時間だ。降りて皆と合流しよう」
ぼくらは一階の廊下に誰もいないことを祈りながら、階段を降り始めた。階下まで残り数段というところで、先を進んでいたみづきが急に足を止め、僕の方を振り返った。
「――ごめん、私ちょっと部屋に物を取りに……」
みづきは突然、目を大きく見開くと驚愕の表情を浮かべたまま凍り付いた。
「どうした?何かあったのか?」
反射的に振り返った僕の目に一瞬、布地のような物がひらめくのが見えた。
――あれはいったい?
僕が視線を前方に戻すと、みづきが頭を振りながら階段を降りてゆく様子が見えた。
階段を降り切った後、あらためて何があったのかと質すとみづきは「立ってたのよ」と、怯え切った表情で僕に漏らした。
「階段の上のところに、さっきの女の人が」
みづきの言葉に、僕ははっとした。女の人――そう、先ほど視界をかすめた布地は確かにあの女性――『魔女』の物だったからだ。
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