第28話 蹂躙するもの

「ぬぅぉおおおおっ!! 退け退け退けぇえい!!」

 戦士マグナスが雄叫びを上げ、大盾を前に突き出しながら灰色狼の群れを跳ね飛ばして進む。大盾の突進から逃れた灰色狼もいたが、後から駆け抜けてきた剣士グラッドに擦れ違いざま切り捨てられる。

 灰色狼は狼の中でも体の大きな種類なのだが、マグナスやグラッドにかかれば野良犬でも相手にしているかのようだ。囲まれれば厄介ではあるが、こうして動きながら倒していく分にはまるで不安を感じない。


「レムリカ。狼が三匹、大きく回り込んできているぞ」

 狩人のバクルムが私の隣を並走しながら小賢しい戦法を取ってくる狼達の動きを報せてくれる。

 一匹はバクルムの方へ、そして三匹のうち残り二匹は私の方に向かってきていた。マグナスの盾突進とグラッドの剣の間合いから逃れて、後方の私達に狙いを定めてくる。

「なんでわざわざ、こっちに来るかな……」

 飛びかかってきた狼二匹をそれぞれ大きな岩の両手で包み込むように押し潰し、ほとんど足を止めず走り抜ける。力を入れるまでもなく、走行の速度と両腕の重量にぶち当たって灰色狼は圧死していた。

 バクルムも短剣で器用に狼の眼球を突き、脳まで一息に貫いて絶命させていた。

「……凄まじいな」

「……? 何?」

 走りながらこちらに視線をちらりと寄こしたバクルムが小声で何か呟いたが、マグナスの雄叫びやら狼の咆哮に紛れて聞き取れなかった。


 そんな調子で森都外周を巡っていた私達は、前方に狼以外の猛獣を発見する。

「あそこにうろついているのは森猪だな。なかなかデカいぞ!! 気を付けろ!」

 先行していたマグナスから注意が飛ぶ。大人の胸辺りまである体高に、頭から尻尾までの全長は大股で二歩くらい。それが四、五匹、冒険者の集団に突っ込んでは撥ね飛ばしてと大暴れしていた。

「苦戦しているみたい。少し手助けしていく?」

「先ほども言ったが雑魚は無視だ。我々の目的は――」

「おい!! 避けろ!!」

 グラッドの声でバクルムは周囲を確認するよりも早く前方へと飛んだ。その後ろを建物の影から飛び出してきた真っ黒な巨体が、地響きを鳴らしながら通り過ぎていく。私は逆にその場で踏みとどまり、真っ黒な巨体が通り過ぎていくのを目前で見送った。


 運悪く、真っ黒な巨体の走り抜けた先にいた冒険者の一人が突撃に巻き込まれ撥ね飛ばされていた。真っ黒な巨体は大きく曲線を描くように反転すると、勢いをそのままに再びこちらへ突っ込んでくる。どうやら無視して素通りとはいかなそうであった。バクルムも苦々しい表情をしながら、黒い猛獣に向き直る。さすがにこいつから背を向けて逃げるのは自殺行為だ。


 体高は森猪よりやや大きい。鋭く引き締まった筋肉と艶やかな黒い皮、そして人間の腕ほどもある曲がりくねった巨大な二本の角が、猪とは別種の猛獣であることを主張していた。

黒毛牛ガウルだっ!!」

 猛烈な勢いで突進してきた黒毛牛の突進をマグナスが大盾で弾く。

「なんのぉっ!!」

 突進の軌道を逸らすついでに黒毛牛の横っ面を大盾で痛烈に殴りつけた。黒毛牛はよろめきながらも足を止めず、頭の角を振り回しながら私に向かってくる。

「そっちへ行ったぞ、レムリカ! 動きを止められないか!?」

 黒毛牛の後ろからグラッドが追撃しようと駆けてきていた。この猛牛を止められないか、とはなかなか無茶を言ってくれる。

「簡単に、言わないでほしいんだけどっ!!」

 長い角は危険だ。暴れ狂う黒毛牛の角の先端を見極め、岩の両手で半ば叩き潰すように頭ごとがっちりと捕まえる。どんっ、と馬鹿みたいに重い負荷が腕にのしかかってきた。それでも、踏ん張れば押さえ込めないほどではない。


 がっちりと私に押さえ込まれた黒毛牛は「ぶふぅ、ぶふぅ!」と息を漏らしながら、地面をがしがしと荒々しく蹴りつけて前へ進もうとしている。だが、私はそれを許さず、角を強く握って首を固定してやった。

 そこへ飛び込んできたグラッドが黒毛牛の首を剣で叩き切る。首を落とすまでには至らないが、半ばまでを切り裂いた一撃は確実に首の骨を断っていた。途端に黒毛牛の足から力が抜けて、黒い巨体が地面へと倒れ込む。

「さすがだな、レムリカ! よくあの巨体を抑え込んだもんだ!」

「うむ……。俺の役割もレムリカに取られてしまったな」

 グラッドとマグナスから称賛の言葉が送られる。頼られて、褒められるのは少しだけ気分がよかった。ただ、狩人のバクルムだけは仏頂面のまま、辺りの警戒を続けていた。先ほど、横手から奇襲をかけられたことで気を張っているのだろう。今も森猪の集団があちこち走り回っている。油断できる状況ではない。


「! あちらから新手が来るぞ! あれは……黒毛牛の群れだ!!」

 バクルムが青い顔をして叫ぶ。グラッドとマグナスがバクルムの指さす方を向くと、「うげぇ」と声を漏らして、あからさまに顔を歪めた。

 私の目にも映っている。砂煙を上げて突撃してくる数十匹の黒毛牛の群れだ。

「どうするんだ、あれ。魔獣の親玉を探すどころじゃないぞ」

「あの数はとても抑えきれんな」

「しかし、あれらが走ってきた先……その向こうにボスがいる可能性は高い」

 どの道、黒毛牛の群れを突破する必要があるということか。さすがにあれらを一匹ずつ、肉弾戦で処理していくのは骨が折れる。


「まだ距離があるから、私が『術』を仕掛ける」

「なに? 術だと? そうか、お前なら……。よし、グラッドとマグナスはレムリカの後方を警戒、森猪が突っ込んできたら何としても押し返せ」

「は? おいおい、何だって言うんだ? 黒毛牛が突っ込んできているんだぞ? 背を向けるとか正気じゃないぜ。レムリカ一人向かわせて何をしようってんだ?」

「森猪が突っ込んできたら押し返せとは……。退くのはなしということか」

 困惑するグラッドとマグナスの二人をバクルムが強引に配置につかせて、バクルム本人は私の横に立つ。

「……あの数だが、いけるんだな?」

「全滅させるのはたぶん無理。でも、足を止めることならできる」

「いや、全滅はさすがに考えてもみなかったが……足止めできるなら十分すぎる」

 術式の構築に集中を始めていた私にはバクルムの表情はうかがい知れなかったが、目の端で一瞬だけ身震いしたようにも見えた。


 地響きを立てて突撃してくる黒毛牛の群れを前に、私は冷静に攻勢術式の効果を計算していた。

 足を止める。それだけできれば、まともに相手せずとも振り切れる。

 意識を集中して、脳の奥深くから絞り出した魔導因子を体に刻まれた魔導回路へと流していく。首に付けた術式補助の魔導具が仄かに橙色の光を放ち、同色の光が二の腕の魔導回路、そして岩の両腕に刻印された古代式魔導回路へと伝わっていく。


「なあ、大丈夫なのか!? すごい地響きが伝わってくるんだが!?  伝わってくるんだがぁ!?」

「こ、この圧迫感……。何か後ろで光っているが、いったい何を……」

 後方を警戒しているグラッドとマグナスが、迫りくる黒毛牛の群れと術式発動前の威圧感を背に受けて、わけもわからず震えあがっている。

 黒毛牛はもうすぐそこまで迫っている。隣でバクルムがごくりと喉を鳴らすのが聞こえてきた。

 それでも私は焦らない。術式が最大限に効果を発揮する距離まで、できるだけ引き付ける。

「――まだかっ!? レムリカ――」

 ついに我慢できなくなったバクルムが声を上げた、まさにその時が最善の好機だった。


石筍スタラグミーテ!!』

 術式発動の瞬間、周囲の大地が揺れて私の前方扇状に、地面から膝下辺りまでの高さで鋭い岩が無数に伸び上がる。

 黒毛牛の群れが岩石に脚を取られて次々に転倒していった。

 土系統の共有呪術シャレ・マギカ。地面から尖った岩石を生やす攻勢術式で、標準的な効果は一本の槍のような岩で足元から敵を貫く、奇襲に向いた術式である。

 私はその術式に改変を加えて、石筍の長さは短く、先鋭化はいい加減にした代わりに数をとにかく多く作るような制御で発動させていた。

 殺傷力は低いが、ろくに考えもせず突っ込んでくるだけの猛獣の足をすくうには充分である。

 転倒して尖った岩石の上へ横倒しになった黒毛牛達は絶命こそしなかったものの、ほとんどが自らの突進の勢いで足を砕かれていた。

 痛みに怒り、角を振り回していまだに大暴れしているので近づくことはできないが、もう全速力で私達を追ってくることはできないだろう。


「足は止めたよ」

「ああ……。すごいな。グラッド、マグナス、後方の警戒はもういいぞ。先へ進める」

「もういいって……、これは!? いったい何をどうやって……」

「魔導を使ったのか……?」

 三人は呆然とした表情で、地面に倒れてもがく黒毛牛の群れを眺めながら感嘆の声を漏らす。

「そういえばレムリカは術士だったか」

「……これでも五級術士だから」

「実力的には四級でもおかしくなかろうな。うむ、大したものだ」

 自己紹介で説明したはずなのだが、グラッドは完全に忘れていたようである。マグナスはしきりに頷きながら私の実力を手放しで称賛してくれるので、どうにも背筋がこそばゆい。


「何はともあれ、これで先へ進める。急ぐぞ」

「でも黒毛牛はまだ暴れていて危険だし、森猪も――」

「おぉ、おぉ!! 派手にやっているじゃねぇか、レムリカよぉ!!」

 止めを刺してから離れた方がいいのではなかろうか。そう思ってその場で足を止めそうになったが、現場へ新たになだれ込んできた声を聞いて私は考えを改めた。

 美しい銀色の毛並みを真っ赤な鮮血で染め、凶悪そうな牙を剥きだしにして笑う狼人のグレミーが姿を現していた。そして、後方にはグレミーが率いる獣爪兵団が揃っている。


「グレミー!! あなたも戦っていたの!?」

「けぇっ!! あたりめえだろうがよぉっ! 俺らの拠点を荒らす害獣どもをのさばらせておくかってんだ!」

「……まあ実のところ、森都の防衛依頼を受けて傭兵として雇われているのですが」

「狩った獣は好きにしていい、って話だしな~。ああ、黒毛牛があんなに転がってる……。涎が止まらねぇよぉ……」

 堂々と格好いい台詞を吐くグレミーの隣で、馬人のボーズがぼそりと補足を入れていた。さらに隣では鬣狗人はいえなびとのブチがだらしなく涎を垂らしている。他にも熊人のグズリほか獣人達が完全武装でこちらへ向かってきていた。


 道中で暴れている森猪を力づくで捻じ伏せて制圧する獣人達。その中には宿屋の主人である虎人のティガまで混じっていた。

「うぉおらぁっ!! 大虎の親父の店を潰させてたまるかよっ!!」

「うおぉい! ティガぁっ! あんま無理すんじゃねぇぞ! 体の治りきってねぇ怪我人がよぉ!!」

 どうもティガは自分の預かっている宿を守るため、無理を押してこの場に出てきているようだ。何かしらの怪我が治りきっていないとのことだが、森猪の頭蓋を大きな手斧でカチ割る姿に弱っているような印象は見られない。


「グレミー獣爪兵団か! 助かった! この場を任せてもいいか?」

「おおっ? なんだ、バクルムてめえ。またこそこそ裏で動いてやがるのか?」

「我々は敵のボスを探し出して討伐するつもりだ」

「へっ、そういうことかよ。そんでレムリカも一緒にいるってことかぁ? ……まあ、いいぜ。俺達は街の防衛を任されているんだ。馬鹿みてぇに森へ突っ込むわけにもいかねえからな。後始末は任せておきなぁっ!!」

 グレミーが高らかな遠吠えをすると獣爪兵団が一斉に動き出して、いまだに暴れている黒毛牛の群れへと突撃を仕掛けた。危なげなく、黒毛牛の角を折り、次々と首を断ち切っていく。


「これなら森都の防衛は任せておけそうだな」

「ああ、僕達は早く魔獣の親玉を探そう」

 マグナスとグラッドも獣爪兵団の実力を見て、この場を任せても大丈夫そうだと安堵した。私もグレミー達がここまで戦えるのなら任せて問題ないと安心できた。宿でゴロゴロしているときは可愛く見えていた獣人達が、今はとても頼もしく思えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る