深海の彼女
朝海いよ
深海の彼女
「ねえ、首絞めゲームって、知ってる?」
夕焼けのひかりに満たされた六畳半の部屋で、香子はまるで独り言を言うかのようにぽつんと呟いた。彼女が声を発した瞬間、彼女の部屋の中に溢れていたひかりの粒子が、波に乗ってはじける。
スマートフォンの画面を指でなぞるのを止めて顔を上げると、ベッドの上にちょこんと丸くなって座っていた香子と目があった。まんまるの黒い瞳が、私の視線をとらえる。
「なに、その物騒な名前のゲーム」
「名前の通り、相手の首を絞めるゲーム。なんか、流行ってるってネットに書いてあった」
「へえ、そうなんだ」
ふふっと香子は楽しそうに笑い、すっくとベッドから立ち上がる。
「ねえ、やってみない?」
甘酸っぱいフルーツみたいな声が私の鼓膜を揺らす。彼女は床に座っていた私に近づくと、蛇のように白くて長い両腕を私の首に巻き付け、耳元で囁いた。
「あのね、誰かに首を、ぎゅって絞めてもらうの。ただそれだけなんだけど、すっごく気持ちよくなれるんだって。ねえ、やってみようよ」
彼女の長い髪の毛が頬に当たった。綺麗なその黒髪からは仄かにシャンプーのかおりがする。とても、甘い。砂糖菓子のように甘く蕩けたかおりが鼻腔を擽る。香子から香るそのかおりは、彼女の部屋の空気と相まって、私をおかしくしてしまいそうだった。
高鳴る心臓を落ち着かせようと、私は大きく息を吸う。彼女の部屋の空気を肺いっぱいに吸い込むと、まるで媚薬でも吸い込んだかのように、頭の芯がぼおっとした。身体が火照る。
それでも、私は彼女に理性を壊されまいと、勢いよくそこに二酸化炭素を吐き出した。からだを落ち着かせ、ゆっくりと思考を安定させる。
「でもさ、それ、危ないんじゃないの。だって、首絞めるんでしょ。窒息しちゃったらどうするの」
「そんなに強く絞めなければ大丈夫だって。それに、苦しかったらちゃんと言うし。ね?」
「ええ……でも、やっぱ、それ危ないって。やめようよ」
そう言うと、香子の細い腕はするすると力なく離れていった。
気が付くと、彼女の部屋に差し込んでいた明るいひかりはとうに消え、窓の外には薄暗い闇がぼんやりと広がっていた。表情を確認しようと顔を上げると、彼女のその瞳の色は夕焼けの色から深い夜空の色に変わっていて、白い肌は今にも闇に飲み込まれてしまいそうだった。
ひかりの消えた部屋で、香子は今にも泣きそうな顔をした。その顔が、あの日の香子の表情と被る。
「しょーちゃんと同じこというんだね、ゆきちゃん」
しょーちゃん、というのは以前香子が付き合っていた男の先輩のあだ名だった。その先輩は顔立ちが整っていて、背が高くて、学業優秀で、サッカー部のキャプテンを務めていて、学校中の人気者。まさに完璧というに相応しい先輩、それが香子の元彼、しょーちゃんだった。そんな先輩に香子は告白をされ、つい最近まで約三カ月間のお付き合いをしていた。
「ごめん、やっぱり君にはついていけない」
別れの時先輩からこう言われたと、香子は以前私に話してくれた。
君がそんな子だとは思わなかった。これ以上君と一緒にいると、僕までおかしくなってしまいそうだ。自分からお付き合いを申し込んだくせに勝手だとは思うけど、僕は君についていけない。ごめん、僕と別れてくれ。
私は、その先輩が嫌いだった。勝手に香子に一目惚れして、告白して、付き合って。イメージと違うから別れるだなんて、身勝手にも程がある。
それに、私は香子をあんなにもぐしゃぐしゃにした先輩が許せなかった。あの日、教室で涙に溺れていた香子は、瞳を真っ赤にして泣き濡れていた。先輩は、香子を深く傷つけた。
だから、私は先輩が嫌いだ。そんな先輩と私が同じだなんて、死んでも嫌だ。
はあ、とひとつ溜息を零し、私は香子に向き直る。
「つまり、香子はその首絞めゲームがしたいってことなの?」
そう言うと、ぱあっと香子の周りの空気が変わる。彼女はいたって単純だった。
湧き上がる好奇心が抑えきれない、といった表情をして、香子は私に顔を近づけた。
「そう、そうなの。すっごく気持ちいいっていうから、どんなのなのか気になってて」
さっすがゆきちゃん、分かってるね。と香子が微笑んでくれたことで、私の脳内は先輩に勝ったという誇りで満たされていた。先輩は怖くて出来なかったんだろうけど、私は出来る。香子が喜んでくれるのなら、私はもう不思議と何だって出来るような気がしていた。先輩より私の方が、香子を喜ばすことが出来る。ざまあみろ。
香子の長い髪の毛がピンク色のカーペットに広がる。床に横たわった彼女の細い腰の上に、私は腰を下ろした。
ワイシャツから透けて見える彼女の肋骨は、彼女が呼吸をする度にゆっくりと上下する。彼女は痩せていて肉が付いていないため、肋骨はくっきりと観察することが出来た。しばらく彼女の肋骨を眺めた後、意を決して第一ボタンの開いた首元へと両手を伸ばす。
それはいとも簡単に、両手で包み込むことが出来た。
てのひらから痛いくらいに伝わる、香子の体温。どくんどくんと、薄い皮膚の下で大きく脈打つ香子の血液。ワイシャツから伸びた、この今にも折れてしまいそうな綺麗な首を、私はこれから絞めるというのか。
「いいよ、ゆきちゃん。絞めて」
香子のまぶたがそっと下ろされた。
「苦しかったらちゃんと言うから。大丈夫。だから、絞めて」
目を閉じて、首を絞められる瞬間を待ち望んでいる香子。私は言われるがまま、彼女の喉元に当てた両の親指に力を込める。
「うっ」
彼女の身体が小さな悲鳴と共に跳ね上がった。驚いて手を離すと、香子は大丈夫だから続けてと掠れた声で懇願した。
私は再び彼女の首に手を回す。少しずつ、少しずつ、ゆっくりと息の根を止めるように、彼女の喉元の小さなしこりを潰していく。
彼女の顔は徐々に痛みと苦しみで歪んでいった。その表情を、私は美しいと感じた。額から汗を垂らして、彼女の両の手は苦痛に耐えるよう私のワイシャツを勢いよく引っ張っていた。私は痛みに耐える彼女の顔にうっとりと見惚れながら、我を忘れて彼女の首をただひたすらに絞め続けていた。
ある一瞬で、彼女の身体は先程の比にもならないくらい、大きく跳ねた。そして身体はへなへなと力を失っていき、まるで彼女は死んだように、気絶した。
「香子!」
さっと血の気が引いて、両手を首元から離す。
「香子、香子ってば!ねえ、香子!」
私は大変なことをしてしまったのではないか。そう思いながら、私は必死に香子の名前を呼んでは身体を揺する。
私はなんてことをしてしまったのだろう。首絞めゲームだなんて、そんな危険なゲーム、いくら香子がやりたいといってもやっぱり止めさせておくべきだったんだ。それに、私は先輩に負けたくないなんていう馬鹿な理由でこのゲームをすることを許してしまった。全ては私のプライドのせいだ。
「香子……」
後悔の念に駆られていると、目の前で横たわった香子がうっすらと瞳を開けた。練乳みたいにとろんとした、おぼろげな瞳で私を見る。
「ゆき、ちゃん……」
「香子!ごめん、やりすぎたよね、大丈夫?どっか痛くない?ほんとごめん、苦しかったよね」
香子がゆっくりと身体を起こすと、私はせめてもの罪滅ぼしにとその背中をさすった。ごつごつとした骨の感触が伝わってくる。
私の身体からは、嫌な汗がどくどくと噴き出していた。
私はあと一歩で、香子を殺してしまうところだった。この美しく華奢な生き物を、私は、たった今殺そうとした。そう思うと、背中に悪寒が走り全身が毛羽立った。
「ねえ、ゆきちゃん」
「なに、香子。どこか痛いの?大丈夫?」
香子は掠れた声のまま、私の頬に手を伸ばして、こう言った。
「すっごく、気持ちよかったの」
「えっ?」
「ゆきちゃんに首を絞めてもらって、ホントに、すごく気持ちがよかった。なんか、頭が真っ黒に暗転したと思ったら、ひかりがスーって走っていくの。それがね、なんだかすっごく良くって。死ぬときってこんな感じなのかなと思っちゃった。でも、こんなにきれいに気持ちよく死ねるのなら、首絞めも全然アリだね」
「そ、そう……なんだ……」
香子の話を聞きながら、手に汗が滲んでいくのが分かった。香子は殺されかけたのに、それが気持ちよかったって、それはどういうことなんだ。
「ゆきちゃんも首、絞めてあげよっか?」
「いや、私はやめとく……」
だって、怖いし。そう続けて言うのは止めておいた。私は、やっぱり先輩と同じにはされたくないんだ。香子は別段気にした風もなく、そう?と言って首を傾げただけだった。香子は誰かの首を絞めたいんじゃない、誰かに首を絞められたいんだ。
「もっと強く絞めたら、もっと気持ちよくなれるのかな。ね、ゆきちゃん。今度はもう少し強めでお願いね」
楽しそうにはしゃいで笑う香子の姿を、私はまるで傍観者のように眺めていた。殺されかけたというのに、どうして彼女は笑えるのだろう、どうして痛みの中に快楽を見つけられるのだろう。私には分からないことだらけだった。
「あはは……。そういえば、今週の日曜、出かけるんでしょ。どこか行きたいところ、決まったの?」
首絞めの話題から遠ざかりたくて、私は早急に新しい話題を提供しようと試みた。香子も特に気には留めないまま、そうだなあ。と考え始めた。どうやら話題の変更には成功したらしい。
「あ、水族館に行きたいな。あの、隣に大きな観覧車のある水族館。ペンギンが見たいんだよねー」
ぽん、と手を叩いて香子は場所を提案する。ペンギンだなんて、可愛いところもあるよなあ……と思いながら考えを巡らしていく。大きな観覧車のある水族館まで、ここから一時間もあれば行けるだろう。
「じゃあ、日曜日の午前十時。駅前のテレビ集合でいい?」
「うんうん!楽しみだねえ」
喉元に出来上がった赤い染みを残したまま、香子は優しく微笑んだ。その微笑みに、私はやられてしまうのだ。完全にノックアウト。現金な私は日曜日が楽しみで、首絞めゲームのことなんて、頭からすっぽりと忘れ去ってしまっていた。
***
あの日、私は香子に一目惚れをした。
夏のかおりがする七月の初旬、私は忘れ物を取りに放課後の教室に忍び込んだ。閉ざされていた扉を開けると、オレンジ色のひかりでいっぱいになった教室の中、ぽつんと彼女は背中を向けて立っていた。扉の音に驚き、彼女は勢いよく振り向く。私も驚いていた。出入口のところに突っ立ったまま、私は彼女の顔を見た。
綺麗な黒髪はぼさぼさと乱れていて、大きな瞳は真っ赤に腫れ、そこからいくつもの水滴が滴った跡が頬に残っている。丁寧に塗りこまれたファンデーションは涙で削られ、マスカラの跡が頬にこびり付いている。目も当てられないような、醜い形相だった。それでも、彼女は美しかった。美しいと思った。彼女の身体は燃えるような夕日のひかりに照らされて、きらきらと輝いていた。
思考停止、立ち尽くしたまま私はぼんやりと彼女の姿を眺めていた。彼女もどうしたら良いのか分からずに、私たちは暫く無言のまま見つめあっていた。
船見香子。高校二年生になって初めて一緒のクラスになったけれど、今まで話したことはない。腰のあたりまで伸びた真っ直ぐな黒い髪が特徴的で、顔立ちもかなり整っている。くりくりとした瞳と白い肌が相まって、船見香子はまるで人形のような出で立ちだった。クラスでは一番派手なグループに所属し、いつも誰かと冗談を言い合ったりして楽しそうに笑っていた。
そんな船見香子が、今、私の目の前で泣いている。どうするべきか、私はいったいどうしたらいいんだ。乾いた喉から言葉を発しようと思って知恵を絞るけれど、適切な言葉が見つからない。
「あの……」
聞いているこっちが悲しくなってしまうような、情けない声が私の喉から発された。その瞬間、船見香子の身体が大きく揺れる。そしてそのまま、ふらふらと私の方へと近づいてきた。
「ごめんね」
船見香子は切なげに笑い、まるで電池か切れたかのように私に身体を預けてきた。彼女の制服から、淡いシャボンのかおりがした。
「彼氏に振られちゃったの。ダサいよね。ごめん、ちょっとだけ、このままでいさせて」
船見香子の吐く息が首元にかかる。彼女の手が私の背中に回された。どちらのものとも言えない心音が身体中を揺さぶった。熱い。
私の身体の彼女に触れている部分が、熱を持っている。船見香子は泣いていた。私の胸の中で、肩を震わせてしくしくと泣き濡れていた。
そんな彼女に憐みの感情を抱いたからであろうか、それとも何か別の感情が働いたのか。私は無意識的に彼女の身体を抱き寄せていた。肉のついていない薄い背中に両手を這わせる。ごつごつとした背骨の感触がブラウス越しに伝わった。
それが、私と船見香子の出会いであり、全ての始まりだった。
その日以降、次第に香子は私に依存してくるようになっていた。彼女は元々所属していたグループを抜け出し、ちょこちょこと私の後ろに付いてくるようになっていった。これといって親しい友達もおらず、正直クラスで浮いた存在だった私にとって、香子の出現は革命と言っていいほど衝撃的なものだった。
***
日曜日の朝は透き通るような青空が広がっていて、少し肌寒い風が心地よい、絶好のお出かけ日和だった。私と香子は近所の駅で待ち合わせをして、それから海沿いを走る電車に乗って小一時間ほどで目的地の水族館に到着した。
その日の香子はいつも以上に美しかった。小奇麗な顔は化粧品で完璧に彩られ、身に着けている衣服は彼女の上品さを際立たせていた。高いヒールを履いて私より身長が高くなった彼女が微笑むたび、私の心臓はどきどきと張り裂けそうになっていた。と同時に、彼女のような美女が隣にいることに対して背徳感を感じていた。
宝石のようにきらきらと輝く彼女と、そこらへんにあるありふれた、なんでもない不恰好な石ころの私。彼女の隣にいると、私と彼女の格差を見せつけられて少しばかり気おくれしてしまう。
香子はなぜ私を選んだのだろう。もしあの日教室に入ってきた人が私では無かったら、香子はその人を選んでいたのだろうか。
香子は水族館に入るなり、先日見たいと言っていたペンギンなんかには目もくれず、真っ先に深海魚の水槽を見たいと言い出した。
彼女に引かれながら深海魚のコーナーにたどり着くと、まるで部屋全体が死んでいるような暗闇が広がっていた。そこには他の客はおらず、ただ狭い空間に水槽がぽつりぽつりと散りばめられている。その部屋は静寂に包まれていた。暗闇の中で、香子が呟く。
「私、深海魚が好きなの」
「深海魚?どうして」
「こんなこと言ったら笑われるかもしれないけど、深海魚って私に似ているでしょう」
香子の黒い瞳が、ガラスの向こうの魚を見つめていた。真っ暗な水槽の中で、その魚はひっそりと静かに息をしていた。ひかりの当たらない闇の中で生活する魚、深海魚はひかりを当てたら死んでしまうのだろうか。ひかりを知らない魚、それは香子に似ているのだろうか。
「私は」
香子が視線を私に移す。憂いを含んだ瞳がじっとりと私を見つめる。大きな黒目は、水槽の水と同じ、深い闇の色に染まっていた。
「私は、香子は深海魚に似てなんて、いないと思う。もっと、その、熱帯魚とか、クラゲとか、綺麗で、きらきらした生き物に似ていると思う」
そう言うと、ぼんやりとした闇の中で香子は困ったように笑った。
「ありがとう。でも、それはゆきちゃんが本当の私を知らないだけだと思うよ。私、本当はすっごく嫌な、汚い人間だよ。ゆきちゃんが私の本性を知ったら、引いちゃうんじゃないかと思うほど」
水槽の前で自嘲的に笑う香子。彼女は今、何を考えている?私には見当がつかなかった。
「それでも、私は香子が好きだよ。香子がいてくれたから、私は学校が楽しくなったんだし、むしろ深海魚みたいにひっそりと生きていたのは私の方で、香子はそんな私のもとに差し込んできたひかり、みたいな感じで……」
香子の手に両手を伸ばし、力強く握る。彼女の手はひんやりと冷たかった。深海魚がガラス越しに私を見た。ひかりのない目玉をぎょろつかせて、何かを見透かすかのように私を見る。ひかりを知らない魚、のっぺりとした、気持ちの悪い魚。なんてグロテスクなんだろう。こんなものと香子が似ているだなんて、信じられない。いや、私はこんな魚と美しい香子を似ているといって一緒にしてほしくなかった。
「ありがとうね、ゆきちゃん」
ふにゃりと香子は表情を和らげる。薄い唇の端を上げ、頬にはくっきりとした笑窪が出来ていた。握られた手を握り返し、彼女は暗闇の中でこう言った。
「外に、出よう」
香子に片手を取られたまま水族館の外へ出て、私たちは隣接した観覧車の下へとやってきた。国内最大級と言われているその観覧車は、圧倒的な存在感を放っていた。真っ青な空の下を、大きな輪がゆっくりと回っている。色とりどりに塗られたゴンドラは、まるで花弁のようだった。太陽の下に咲き誇る大きな花、たくさんのひかりを浴びて、その花は堂々と輝いている。
「私、高いところが苦手なの」
手を繋いだまま、香子は言った。
「だから、本当は観覧車も嫌い。けど、今、ゆきちゃんと一緒なら、乗れるんじゃないかな」
ひかりに照らされた彼女の白い肌は、ひどく不健康そうに見えた。細い身体はごぼうのように、ひょろひょろとコンクリートの上で力なさげに立っている。深海魚の水槽と同じ、深い闇の色を埋め込んだ髪の毛だけが、彼女を照りつけるひかりを反射させようと輝きを放つ。なんというグロテスク。
深海魚って私に似ているでしょう。
彼女の声が耳奥でこだまする。ぐおん、ぐおんという耳鳴り。彼女に誘導されるがまま、夜色のゴンドラに押し込まれ、対面に座る彼女を見る。日本人形のように生気のない顔をした彼女は、血色の悪い両手で私の手を包み込んでいた。ゴンドラは上っていく。さんさんとひかりを浴びながら、光源の近くへと、ゆっくりゆっくり上がっていく。
深海魚はひかりを当てたら死んでしまうのだろうか。
「ゆきちゃん」
彼女が甘く囁く。いつもの優しい砂糖菓子のかおりは、どろどろに溶けてゴンドラ内に充満していた。目を見開く。深海魚の死んだ両目が、私を見ていた。
「私の首を、絞めて。前よりも、もっと強く。私の首を絞めて」
深海から逃れようと手を伸ばす。だけどもう遅かった。小さな扉で閉ざされた夜色のゴンドラは、世界を照らすひかりから隔離されたかのように、中には闇が満ちていた。気が付くと、ゴンドラは下っていた。地表よりもっと深く、誰もいない海の深部を目指して、ゴンドラは下る。彼女と、私を乗せて。
彼女は両手を私の首元に運んでいた。喉を潰されるように、強く強く絞められる。途切れ途切れになる意識の中、私は彼女に抗おうと彼女の首を絞め返す。彼女と私は声を上げる。涙を零しながら、私たちは沈んでいく。そして、ひかりの当たらない場所で、私たちはひっそりと、死んだように息をするんだ。
深海の彼女 朝海いよ @asm_iyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ネクスト掲載小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます