第3話 燃え尽きた大図書館の灰たち
私は無視を決め込んだ。名前すら呼ばれたくなかった。表紙が焦げた本を拾っては中身を確認し、読めるものと読めないもので黙々と仕分けていき、耳から入ってくる情報の一切を遮断する気概で作業を進める。
「ねえ! アークってば!」
甲高い声と足音がどんどんと近付いてくる。私は溜め息をついて、面倒臭そうに振り返った。そこには案の定ジェスが立っていた。
「何の用だ。あんたもやることあるだろ」
「もう終わったわよ」自らの橙色の髪の毛を指で弄るジェス。「ていうか、レミーラの街にどれだけのヒーラーがいると思ってるの? すぐ終わるに決まってるじゃない。で、あなたは何をしてるわけ?」
あまりにも馴れ馴れしい口調に私は苛立ちを隠しきれなかった。ああ、そうだ。このまま無視を決め込もう。そうすればいずれ私に飽きてどこか別の手伝いに行くはずだ。こういうお喋りな人間は寡黙な人間を嫌う。自分の話を聞いてくれる人間を好む。私の経験上いつもそうだ。
ところが、いつまで経っても私の作業を見続けていてどこかへ行く気配が全く感じられなかった。なんなら私と同じ作業を始めてしまっている。もう、どうすればいいんだ。怒鳴ってでも追い返せばいいのだろうか。
「おい」
「何?」
「あんたは別のところの手伝いをやれ。ここは私がやる」
「ふふっ」
「な、なんだよ」
「ううん。真剣に仕分けしてるところに見惚れてただけ。アークってばアサシンにしては珍しい赤髪と灰色の瞳をしているし。ねえ、私も手伝っていいでしょ?」
私の背中に悪寒が走った。そして、更に嫌悪感が増して警戒するようになってしまった。だが、完全に避けられない自分もいた。病気で急死した元相棒のレストもよく言っていたことがある。お前の頭髪と瞳は珍しい色だな、と。そうやっていつも顔を覗き込んできては笑っていた。ジェスのように。ああ、レスト。私はお前に会いたいよ。私の相棒はお前しかいないと何度言ったことか。ヒーラーを寄越すテオはどうかしている。
「ねえ?」
「あ、ああ。好きにしろ」
結局そう言ってしまい、私は自身の意志の弱さを悔いた。どうしてもレストとジェスを重ねてしまっている自分がいる。最初顔合わせをした時なんて、ヒーラーが相棒なんてありえない、とさえ思っていたが、いちいち言動が似ていて私の警戒心を揺さぶってくる。別に仲良くする気はないが、この女を新たな相棒として認めることはレストに悪い気がしてならない。もうこの世に存在していないのにも関わらず、だ。
大工が屋根をトンカチで直す音と連携を取るための大声が大図書館に響き渡る。反対に私とジェスは静かに本の仕分けをひたすら行なっていた。中身を見ても聖樹ユグドラシルについて描かれた内容の本は見つからない。そのうち私は無意識のうちに溜め息をつくようになっていたようで、それをジェスに指摘された。
「アーク、溜め息ばっかりね。どうせユグドラシルの本が残ってるなんて希望を持ってるんじゃないでしょうね?」
「大図書館の全てが燃えたわけじゃないんだ。もしかしたらって思うだろ」
「どうかしら……丁度ここがユグドラシル関連の資料が置かれてたスペースなんでしょ? しかもピンポイントで破壊されるなんて……」
「レンドゥーリは何を考えているのやら」
そう、上空から攻撃を仕掛けることができるのはレンドゥーリのみ。彼らはユグドラシルの資料をあえて燃やしたのか、それともたまたま燃やしてしまったのか、それは謎のままだが、分厚いバリアが張られている大図書館に穴が開くほど攻撃を加えたということは前者の可能性が高いと言えるかもしれない。だとしたらレンドゥーリは何を思って大図書館を破壊した? ユグドラシルの資料が失われれば自分たちの首も締めることになるのに。
「とにかくだ。まずは散乱した本を片付けるのが優先だ。手を早めろ、このままだと夜になる」
「はあい」
軽い返事にイラっときたが、この際どうでもいいこととしてまずは作業を進めることにした。
読めそうな本はジェスに任せ、私は灰になりかけた本を担当した。一応中身を確認していくも読めたものじゃない。希望はゼロに近そうだ。
そんなことを思いながら本をゴミの如く投げ捨てていくと、突然ジェスが「あ!」と声をあげた。私は何事かと思ってジェスが持って開いている本を横から覗き込んだ。何故かジェスの頬が赤らんだ気がしたが、どうでもよかったのでとにかく本に視線を落とした。
そのページには大きな大樹が上側に描かれ、そこから下に向かって枝分かれするように丸い囲いが五個あった。その円の中には文字が消えかかって書かれていたが、どうやら私たちが使う言語ではないらしい。一文字も読むことができなかったが、大樹の葉の部分に『ユグドラシル』となんとなく読めたので間違いなくこれはユグドラシルに関しての資料に違いなかった。
全て燃え尽きたと思っていたので感動のあまり「よくやった!」と、ジェスを抱き締めてしまったが、そこでハッと我に返り「悪い」と言って彼女の身体から素早く離れた。レストとの癖が出てしまうとは、やはりジェスには私と何か合うものがあるのだろうか……? いやいや、そんなはずは……。
レストは私と同じアサシンだった。親に虐待されていたという境遇も似ているし、いつも一緒だった……第一次世界大戦が始まる直前までは。彼は『がん』という病気に侵されていた。若ければ若いほど進行が早く、ヒーラーではどうすることもできないほどにレストは衰弱していった。見ているのが本当に辛かった。そして始まる第一次世界大戦。斥候兵として駆り出された私は、レストの額に自分の額を合わせ、「行ってくる」と告げた。それが最後だった。必死で偵察と暗殺を繰り返し、勝敗が決まらないまま終戦すると聞いて拠点に戻った頃には時既に遅しだった。レストは私が人を殺している間に息を引き取っていたのだ。私は悲しみのあまり呆然と立ち尽くして、涙が勝手に頬を伝って床に落ちた。レストを失うなんて考えられなかった。私はまた一人になったのだ。
きっとそういう事情があったと聞かされているはずのジェスは、本当に私のことをどう考えて接しているのだろうか? 軽々しいその言動に私は拒絶反応を起こす。だが、どこかレストと重なる部分に私は彼女を相棒と認めざるを得ないのだろうか。
「とにかくこれをテオに見せに行こう。何かわかるかもしれない」
私とジェスは駆け足で大図書館を出て、チームの拠点へ戻った。
我がチームの拠点にはテオだけが待機していた。
「どうしたんだ、そんな息を荒くして。何かあったのか?」
「テオ、これだ。まだ残っていたんだ、聖樹ユグドラシルの資料」
「なんだって⁉︎」
驚きのあまりテオは硬直してしまっていたので、私は手に持っていた書物を彼に手渡した。テオは信じられないと行った表情で、震える指先でページをめくっていく。そして、私たちが見たあのページに辿り着いた。
「確かにこれはユグドラシルについて書かれている資料の一部だ。古代語で全て書かれているな。うちではセロしか古代語の翻訳ができないから、帰宅後に読んでもらうとしよう。それにしてもよく見つけたな、苦労しただろう」
私は距離を開けているジェスを指差した。
「彼女が見つけた。私じゃない」
「よくやったな、ジェス。大発見だ」
「アークがいたからこうして見つけられたのよ。彼が大図書館にいなかったら、私もそこにはいなかったわ」
なんだよ、謙遜女め。褒められたのだから素直に受け止めればいいのに、人々はこうやって謙遜する。それが人間で嫌いな部分だ。反対にレストはそんなことはしなかった。褒められれば大層嬉しがっていた。あの照れ隠しした笑顔が懐かしい。レスト……。
「これは明日の円卓会議に持参していく。それとアーク、お前も来い。亜人にとってセロは目の敵だ。連れて行けばまた円卓会議が大荒れになり、解散となってしまう可能性が否定できない」
「そこで素性の知れていない私を連れて行くというわけか」
「その通り。俺はこれから他のチームリーダーと共にエルフやドワーフの円卓会議への出席を提案しに行ってくる。今日のところはお前たち休んでいいぞ」
ユグドラシルの書物を返され、テオは大股で拠点を出て行った。複数人を取りまとめるリーダーというのも大変だなと他人事だった。
「私は自室に戻る。セロが帰ってきたら教えてくれ」
踵を返して自室に向かおうとした時、ジェスに呼び止められた。
「あのさ、なんで私のことそんなに避けるわけ? 何か悪いことでもした?」
「いいや、何もしていない。ただ、新しい相棒として私が認めていないだけだ」
「じゃあ、どうやったら認めてくれるのよ」
「レストの話は聞いたか?」
「えぇ、あなたの元相棒だってことは……」
「なら、レスト以上の信頼を勝ち取ることだな。そうでもしなければ私はお前を新たな相棒として絶対に認めない。レストは私の兄弟のような存在だった。それを超えられれば認めてやってもいい。ヒーラーとしての腕も申し分ないしな」
黙りこくるジェス。言い過ぎたか? と、思ったが、これでいい。どうせ私はレスト以外を認める気などさらさらないのだから。レストだけが私の相棒だ。それは今後一生変わることはないだろう、と、その時までは思っていた。
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