第2話 牢屋での目覚め

 ぴちょんという音がした。

 背中が硬い。というか体が痛い。


 なんだ? 何が起きたんだ?


 よくわからないまま意識を覚醒させると、堅い床の上に倒れていることに気付いた。


「いててて……」


 ずっと倒れていたのだろうか。僕はなんとか上半身を起こすと、あたりを手探りで探る。いつも持っている、フェニックスの文様が描かれた愛用の杖だ。体もだるい。ところが、いくら探っても近くに杖は無い。杖が自分から転がってくればいいのに。そういや最近は忙しくて、杖の手入れをする暇もなかったっけ。

 仕方なしに、気怠い気持ちに鞭打って体を起こした。


「え……っ」


 石畳の床は、迷宮のそれと同じ。

 けれども目の前の壁には、鉄格子が嵌められていた。


 嘘だここ、牢屋か?

 何か魔物に捕まったのか?

 体が痛いのは……たぶん床に転がってたからだな、うん。


 なんとか体を起こして、近くにあった壁に四つん這いで這っていくと、背中をつけて座り込んだ。次第に目が慣れてくる。

 なんでこんなことになったんだろうなあ……。


「はあ……」


 思えば、いつからだっただろう。

 やっぱり氷雪龍を倒して、この《狂乱の迷宮》に入ってからだと思う。パーティメンバーたちの僕へのあたりは強くなっていった。まあ僕もだんだんついていけなくなったんだけど。特に英雄と讃えられたエルヴァンが僕を見下しはじめると、他の仲間たちまでそれに倣った。

 僕の最近の扱いは本当に荷物持ちとか、便利屋みたいになっていた。それこそ殴ったり蹴ったり、唾をはきかけられたり、荷物を隠されることもあった。僕は次第に抵抗する気力も失ってしまった。馬鹿にされるのは当たり前で、八つ当たりの道具で、馬で、ただの食事係だった。

 でもその中でも、フラヴェラだけは優しかった。


「そうだ、フラヴェラ……」


 そういえば、みんなはどこに行ったんだ。


「いたたた……」


 あいかわらず痛む体を起こして、なんとかあたりを見回す。鉄格子の向こうは暗い廊下が左右に続いているだけで、隣の様子も見られない。

 なにか迷宮に潜む魔物にでも捕まったんだろうか。

 どれほど思い返しても、追放された直後に真っ白になったことしか思い出せない。


「おおーい」


 僕は声をあげた。

 氷雪龍戦以来の大声をあげたからか、喉が開かない。


「誰かいませんかあー!」


 声は虚しく反響するだけで、しんと静まりかえっている。


「おーい! 誰かあ!」


 魔物の一匹でも通るかと思いきや、まったくそんなことはない。


「おーい! おーい!!」

「……うっせぇよ馬鹿!! この能無し!」

「えっ、その声……」


 突然聞こえたくぐもった声に、ついあたりを見回す。


「エルヴァン? いったいどこから?」

「こっちだ、こっち! ちっ、いつまでも使えねぇ奴」


 廊下からじゃない。

 何度も罵倒されていたが、おかげで声を辿ることができた。

 牢屋の左右隣じゃなくて後ろの壁から聞こえていることに気付いた。


「エルヴァン? そこにいるの?」

「お前もなんでそこにいんだよ。ぶっ殺すぞ」


 えー。

 それは割とこっちの台詞でもあるんだけど……まあいいか。


「い、いや、急に意識を失ったと思ったら牢屋にいて……エルヴァン、何か知らない?」

「知らねぇよ。使えねぇ奴だな」

「エルヴァンのほうはどうなの」

「こっちも牢屋だ、クソがっ!」


 一緒じゃん!


「クソっ! クソっ!! なんで俺がこんな目にっ!」


 エルヴァンがイライラしはじめた。

 一緒の牢屋じゃなくて本当によかった。こういう時はたいてい誰かが犠牲になるのだが、僕が逃げるのが一番遅かった。


「まさかお前のせいじゃないだろうな」

「……いや、そんなことはしない……」

「そうだったな。お前はクソほど使えなかったな……?」


 エルヴァンはイライラすると爪を噛む癖がある。たぶん、壁の向こうでも爪を噛んでいるんだろう。病気になるぞ。


「とにかくてめーもちゃんとあたりを探れ。サボんな。逃げるなよ。逃げたらどうなるか……」

「わ、わかったよ」


 追放するんじゃなかったのか。

 まぁでもとりあえず、ここでダラダラしていると本当に後からぶっ飛ばされそうだ。それは御免こうむる。

 うえー。

 めんどい。

 ……逃げちゃダメかな。


 ともあれ僕は本格的にあたりを探索することになった。目のほうはすっかり慣れていたけど、絶対に何も無いだろこの部屋。


 ほら何も無い。

 絶対に何も無いんだって!!

 僕の杖すら無いんだから!!!


 ほんとどこに行ったんだ。というか僕の杖もどこに行ったんだ。こんなことなら、もっと手入れしとけばよかった。というか、エルヴァンがスキルで牢屋とかぶっ飛ばせば良くない?


 ……いや、このぶんだと、おそらくエルヴァンの剣も無くなってる。だからあんなイライラしてたんだと思う。エルヴァンのスキルはほとんど斬撃系で、剣を持っていないと機能しない。少なくとも剣みたいな刃が無いと威力も半減するものばかりだ。もしスキルが使えるのなら、僕の声に文句を言う前に牢屋をぶち壊して脱出するはず。

 つまり、エルヴァンも出る方法が無いんだ。


 石畳の下とか……。

 壁の隙間とか……。

 そういうところもざっくりと見てみたけど、これといったものはなかった。そういえば部屋の隅にある藁のような山はなんだと思っていたけど、たぶんこれはベッドだ。正確に言えば元・ベッド。腐ってるけど。

 これ、詰んでないか?

 詰んでるだろ。


 ため息をつきかけたとき、廊下から小さな足音のようなものが聞こえた。

 はっとして、暗闇に身を隠す。


 足音は次第に近づいてきた。魔物かとも思ったが、特有の気配はない。むしろコツコツという小さな音だ。その音は次第に近づいてくる。

 じっとりとした汗が伝う。

 やがて、その音の主が牢屋の向こうに姿を現した。

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