想いの花束

雪白楽

第1話

第一話



 あの日 殺された未来が そこにはあった

 だから踏み出した この旅路に後悔は無い

 それでも 痛みが 嘆きが 絶望があった

 ただ確かに 幸せな一瞬を憶えている


 これは 小さな幕間の物語 いつかの追憶

 零れた世界を掬う冒険に 小匙一杯の夢を

 いま 時空を超えて 愛を探す旅に出よう

 腕いっぱいに 時の花束を抱き締めて





 ざわめきが、聞こえる。


 地面が震えているみたいな、ともすれば時の震えかと身構えてしまうような、力強い音の唸りだ。これが海から押し寄せる波の音なのだと、最近になってようやく知った。波間をすり抜けた風が、オレの首元にある鈴を、チリンと悪戯いたずらに鳴らして通り過ぎて行く。


 どこか頼りない白砂を踏みしめて、大きく息を吸い込む。肺の奥まで呼び込んだ空気に、海風の独特な香りと塩辛さが混じる。柔らかな風に押されて一歩を踏み出せば、つま先がコツリと慣れた感触に行き当たる。慣れ親しんだ石畳の確かさが、人里の気配を教えてくれた。


「アルド、町が見えたでござるよ!」


 オレの名前を呼ぶ声に振り返れば、緑のカエル顔が思っていたよりも近くにあり、ギョッとして思わずのけぞる。何の比喩ひゆでもなく、カエル。2万年前の東方から来た剣士で、この辺りでは見慣れない鎧に身を包み刀を振るう、いざと言う時には頼れる男……サイラスだ。

 ただ、カエルが二本の足で立って動いて喋って戦う姿が、すっかり日常のものになりつつある自分に『遠いところまで来たな……』と思うこともある。


「動態センサーに複数の反応アリ。前方向に、コノ時代の船舶と人の姿が確認されマシタ。サイラスさんの観測した町ハ、90%の確率で港町リンデと推測されマス」


 少しだけザラついた独特な合成音と共に、鮮やかな桃色につやめく鋼鉄のツインテールが揺れる。800年後の未来からやって来た、汎用アンドロイド……とか、なんとか。オレには科学技術とか良く分からないけど、彼女リィカはオレ達とは違う機械の心と身体を持っていて、確かなことはオレ達にとって大切な友人であり仲間なんだってこと。


「お腹すいてきたかも……なんか、いい匂いしない?」


 決して短くはなかった旅の最中にも疲れを見せなかった横顔が、どこかなつかしい夕焼け色の瞳にきらきらと喜びを浮かべた。彼女もリィカと同じ未来から来た……こちらは正真正銘、人間の女の子であるエイミだ。その存在を、実在を、確かめようとしたのか。いつの間にか手を伸ばしかけている自分に気付き、ハッとして誤魔化ごまかすように拳を握り締めた。




(生きて、いる……大丈夫)




 彼女の消えた未来を、確かにオレはこの目で見てきた。降り積もった雪が、元きた空へと舞い戻って行くみたいに、ありえない……あってはならない『奇跡』を起こして。最初から何も無かったかのように、大切な人達が、一つの街が、塵のように世界から消えて。


 そうして、未来は殺された。


 始まりは、ただ一人の血を分けたオレの妹である、フィーネが魔獣に連れ去られたことだった。死にもの狂いで彼らに立ち向かい絶対絶命の危機に陥った時、目の前に現れた時空の裂け目に吸い込まれた瞬間から、この時を超える冒険の旅は幕を開けた。


 そうして辿り着いた800年後の未来で、一番最初に出会ったのがエイミだった。空の上に浮かぶ都市。何もかもが金属で形作られた、悪夢にしては出来すぎの硬質な世界。立ち尽くすオレを呼び止めた声を、風に揺らぐ栗色の髪と赤いコート、そして鋭く射抜くような夕焼け色の瞳を、きっと一生忘れることはないだろう。




『合成人間にしては、なんだかマヌケそうな顔してるし……』

『まあいいわ。じゃあ、力を貸してくれるアルド?』

『足手まといになるようなら、容赦なく置いていくからそのつもりでね』


 最初こそは、多分お互いに『怪しいヤツ』で『いけ好かないヤツ』だと思っていた。


『この世界はどうしてこんなに、悲しみと憎しみで一杯なんだろ……?でも、その悲しみと憎しみを……この拳で打ち砕いてやる!』

『いいコンビネーションだったんじゃない?』

『アルド、ありがとう』


 それが、彼女の抱えた過去と想いを知るうちに、いつしかかけがえのない存在になっていて……そのことに気付いたのは、あまりに陳腐なことに、全てが失われた後のことだった。




 歴史の改変……過去の歴史が書き換えられたことで、消えた未来を、エイミを救うため2万年前の過去に飛んだオレは、一時的にではあるが未来を取り戻した。そうして長い旅を経て、全ての始まりであるフィーネをさらった魔獣王との死闘の末ヤツを討ち果たし、無事にエイミとも再会することが出来たからか、今のオレは少しばかり気が抜けているのかもしれない。まだ何も、解決などしていないと言うのに。


 時のゆがみによって引き起こされる『時震じしん』は、今この瞬間にも世界を引き裂こうとしている。それを防ぐためにも……そして全てを解決した上で、またもやオレの目の前で連れ去られたフィーネを救うためにも、いち早く行動しなければならないのは分かっている。それなのに、城門が開けたことで道の繋がった港町リンデに、もしかしたら旅に役立つ何かが手に入るかもしれない、なんて取ってつけた理由でここまでやって来たのであって。




「……アルドさん」


 軽く袖を引かれる感覚に振り返ると、表情の変化が分からないアンドロイドの瞳がオレを見つめていた。それでも、分かる。リィカは、未来が消えてしまっても何故か消えずに、ずっとオレの隣にいてくれた。この時を超える旅も、もし独りきりだったならと考えるとゾッとする……思えばオレは、この旅に出てから本当に孤独だったことなんて、一度もなかった。いつだって隣には頼れる仲間がいたから、だからここまで歩いて来れた。


 当然と言えば当然だが、エイミは歴史が改変され、自分が消えていた間の記憶を失っていた。だから無理に思い出させることは出来ないし、その間に何があったのかも詳しく語ることは出来ない。


 だけど、時折どうしようもなく、何もかもをぶちまけてしまいたくなることがある。君が消えてしまった時、胸に空いた穴の痛みを。2万年前に放り出され、内心で感じていた心細さを。手探りで未来へと繋がる糸を手繰たぐり寄せながら、何度もくじけそうになりながら、立ち上がるたびに気付かされたこと……どれだけ君に、会いたかったのかと言うことを。




「……大丈夫だ」


 小さく囁いて頷けば、どこか納得していないような様子ながらも、大人しくリィカは引き下がった。エイミがいない間のオレを、一番近くで見ていたリィカには、今のオレがどこか危うく見えるのかもしれない。心配掛けるなと申し訳なく思いながらも、出会った時よりずっと『人間らしく』なったリィカに、積み重ねた時の重さと温もりを感じていた。


「わぁ……!」


 耳元で響いたエイミの声に前を向けば、そこにはどこか懐かしい雰囲気の町が広がっていた。潮騒しおさいに混じり誰が爪弾つまびいているのか、どこかリュートのような柔らかい弦楽の音色が聴こえてくる。人の手で敷かれたことが分かる、大きさのまばらな石で組まれた石畳には、時の経過と海辺であることを感じさせる柔らかな苔が生えていた。立ち並ぶ家々は小じんまりとしていて、王都だの未来だのの威圧感のある建物ばかり見せつけられてきた目には、とても優しく温かみのあるものに映った。




「少しばかり、さびれた漁師町のようでござるな?」

「まあ、アクトゥールとかパルシファル宮殿とかに見慣れちゃってたら、そうかもしれないけどさ……オレはこっちの方が落ち着くかな」


 サイラスの言葉に苦笑して応えれば、リィカがきらりと目を光らせて、鋼鉄のツインテールをブンブンと振り回す。危ないから止めて欲しいと常々思っているんだが、彼女なりの感情表現と言うか『仕様』の部分もあるらしいので、言うに言えない。


「古今東西、港あるトコロには富ガ集まるものデス。ココも、いつかノ時空では栄えた姿ヲ見るコトが出来るかもしれマセン」

「ふふ、それはそれで素敵だね!」


 街道を抜けた先には、空の柔らかな青を写し込んだような、どこまでも青く美しい海が広がっていて、漁船かそれとも未だ見ぬ世界へ人々を連れて行く船なのか、いかりを上げた帆船が出航の時を待っていた。昼時なのか想像していた程の人通りはなく、代わりに家々からは何かの焼ける香ばしい匂いが漂ってきていた。


「リンデの名物は『漁師のリスベル』ってやつらしいぞ。細い小麦麺にパリッと塩味を効かせて、獲りたての魚介を味わえる贅沢ぜいたくな一品らしい」

「シンプルなソースだけで海ノ幸を楽シメル、港町ナラデハの日替わりメニューとデータにありマス」


 オレとリィカの言葉に、ますますエイミが目を輝かせる。




「ますます腹の虫が鳴きわめきそうな解説でござる……」

「にゃーん」


 気弱そうに腹をさするサイラスに、気の抜けた鳴き声が返る。そうだ、忘れちゃいけない旅の仲間の最後を飾るのは、黒猫のヴァルヲだ。オレと同じバルオキーの出で、こいつを見ると同郷だからなのか、なんだか懐かしい気分になる。猫の本能なのか、美味うまそうな魚の匂いにしっぽを揺らして、足元にすり寄る姿に『よしよし』とサイラスが背中を撫でる。


「それじゃ、昼飯はここで取るか?」

「やった!リスベル楽しみだなぁ……あっ、あれは何?」


 エイミがすっと指差した先には、威風堂々たる白い石造りの塔があった。まだ明るく分かりにくいが、夜になれば闇に沈む海を眩く照らす道標みちしるべになるだろうそれは、間違いなくこの町の象徴としてそびえ立っていた。


「灯台のことでござるか?夜の星明かりだけでは心許こころもとない航海を『ここに陸地がある』と示し支えるための塔でござるよ。船乗り達にとっては、心のどころとも言うべき存在でござろうな」

「へぇ……エルジオン・エアポートにも、似たような役割のものがあったかも。もっと近くで見てもいい?」

「ああ、行ってみるか」


 どのみち、ほとんど観光目的みたいなものだし、と頷いて灯台のある船着き場の方へと足を向ければ、急に目の前が開けて大海原おおうなばらが広がった。どこまでも遠く、深い青だけがそこにはあった。




 ぶわり、と。


 この瞬間、胸にこみ上げた何かで、オレ達は繋がっていた。同じ海とは言っても、浜辺とはまた違う濃密ないその香りが全身に押し寄せてくる。それでも不思議とイヤな感じがしないのは、常に心地良い風が背中を押すように吹き抜けているからなんだろう。


「これはまた、一面に水が広がっているとは言え、アクトゥールとは違った壮観さでござるな……!」

「データでは分からナイもの、ト言う言葉ニモ頷ける光景デス」


 サイラスとリィカが珍しく分かりやすい表情で、感動を表現している横で、エイミはただ、言葉も忘れたように海の向こうを見つめていた。


「…………」


 王都ユニガンからリンデに続く道である、セレナ海岸を通って来た時もそうだったが、エイミは特に海に対して思い入れがあるのか、戦闘の最中にこそ気を散らしはしなかったが、立ち止まっては果てない海を見ているようだった。それもこれも、彼女の生まれた未来に、海がほとんどと言って良いほど存在しないからなんだろうと思う。


 彼女の住むエルジオンは、汚染された大地から人々が逃れるため、天空に作り上げた浮遊都市だ。オレからすれば、空の上に住んでいる方が、よっぽど凄いことのような気がするんだけどなとも思うが、それでもこうして過去に戻って地面に足を着けると安心するものがある。どっちみち、無い物ねだりってヤツなのかもしれない。




(なんか、綺麗だな……)


 ひたむきに海を見つめる瞳に、素直にそう思う。高く結い上げられた豊かな栗色の髪が、海風に吹かれてふわりと揺れ、彼女の持つ『女の子』の匂いを急に意識させる。いつもは気にもしていないのに、真白いチューブトップと黒のホットパンツの間から覗く引き締まった腹筋だとか、編み上げブーツに吸い込まれて行くスラリと伸びた脚が、やけに眩しく見えた。なんとなく、いけないことをしている気分になって、そっと目を逸らす。


「ん……?アイツは!」


 視線を投げた先、灯台前に謎の茶釜ちゃがまたたずむ男が一人。男の足元の茶釜は不自然に揺れているのに、それに気付いてもいないのか、一心不乱に手の中の紙きれを読んでいるようだった。その横顔に見覚えのあったオレは、胸にこみ上げる懐かしさのままに駆け寄った。


「ナレク……ナレクじゃないか?」

「え……もしかしなくても、アルドか?」




 お互いの顔に、自然と笑みが浮かぶ。ナレクはオレと同じバルオキーの出身で、いわゆる幼馴染ってヤツだった。それがまだ小さい時に家の都合か何かで引っ越して、それからずっと会うこともなかった。この時代じゃ、連絡を取り合う手段なんて誰かに手紙を届けてもらうくらいしかないんだから、それがガキの頃の男友達ともなれば疎遠にもなる。


「なんて言うかお前、全然変わってないな……アルド」

「そっちは変わりすぎてて、一瞬分からなかったよ。昔はもっとこう、ガキ大将って感じだっただろ?今や、すっかり『デキる男』って感じじゃないか」


 オレの言葉に照れ臭そうに頬をいたナレクは、昔とは違うどこか陰のある笑顔で頷いた。


「まあ、色々あってな……今ではリンデで漁師やってるよ」

「……そうか。でも、また会えて良かったよ」


 肩を叩いて笑いかければ、漁で鍛えられたのか屈強な腕の感覚に時の流れを感じさせられた。




「アルド!突然走り出すから、びっくりしたじゃないの……あれ、お知り合い?」

「ご朋友ほうゆうでござるか?」

「ソレならば、ゴ挨拶ヲ!」


 オレの後ろからわらわらと顔を出す三人に、ナレクはギョッとした表情で後退あとずさった。


「ず、随分と個性的な仲間達だな……」

「はは、まあな……それよりさっき、浮かない顔をしてるみたいだったけど、何かあったのか?」


 オレの言葉にナレクは表情を固くすると、深々と息を吐いた。


「ああ……実は、見合いの話が来ていてな」

「え、そうなのか?でも、おめでとう……って感じじゃなさそうだな」


 自分と大して年の変わらない幼馴染が、『結婚』のチラつく言葉と既に縁があったことに驚き、少しドギマギしながら続きをうながす。


「断ったんだ。心に決めた人がいるから、って」

「お前……もうそんな相手がいるのか!」


 驚いて目をみはれば、ナレクは困ったような表情で語り始めた。




「バルオキーから引っ越した先で出会った、リジーって名前の女の子なんだが、引っ越した先で上手く馴染めなかった俺にとって、唯一の気が合う友達で……今となっては幼馴染だな。彼女と想いを伝え合って恋人同士になるのに、そう時間はかからなかった。長い時を二人で過ごして、幼いながらも俺達の想いは本物だったと思う。少なくとも俺にとっては、かけがえのない恋だったんだ」

「……素敵な恋だったのね」


 ポツリと呟いたエイミの声に、ふわりと幸せそうな顔で笑ったナレクは、すぐに表情をくもらせてしまう。


「……その様子だと、連絡が取れてないのか?」

「ああ。あの日は結婚の約束をして……花冠はなかんむりに、おもちゃの指輪で小さな結婚式を挙げて、彼女は笑っていて。本当に幸せだったんだ……いつものように、次の日も会う約束をして別れて。でも、どれだけ待っても彼女は来なかった。それどころか、パタリと消息を断ってしまったんだ」


 なんとも言葉の返しにくい話の展開に、オレが顔を引きつらせているのに気付いたのか、ナレクは苦笑して肩をすくめた。


「いや、言いたいことは何となく分かるよ……ただそもそも、ふらっと現れては夕方には帰って行く不思議な子で、住んでる場所も良く分からないし、村の誰も彼女のことを知らなかった。でな、この話には続きがあって……つい先日、手紙が届いたんだ。それも、海から」

「はぁ……どういうことなんだ?」


 頭が混乱してきたオレに、ナレクは「とにかく、これを見てくれ」と、大事そうに握り締めていた紙切れを渡してきた。






 これを拾ってくれた、親切な誰かへ


 もしも、バルオキーのナレクと言う名前に心当たりがあるのなら、どうか私の想いを届けて下さい。ナレク、急に会いに行けなくなってごめんなさい。私にも、どうしてなのかが分からないの。あなたが、どこにいるのかも……だから、この海に手紙を託します。


 もう二度と届かないのかもしれないけれど、それでもいつまでも、あなたを愛しているわ。


 どうか、幸せでいて。


     アクトゥールにて、リジーより






「っ、これは……!」

「で、ござるな……」


 オレとサイラスは、顔を見合わせて頷いた。


「な、何か思い当たることがあるのかっ?なんでもいい、教えてくれ!」


 食らいつくようにして身を乗り出すナレクに、オレは注意深く言葉を選びながら口を開いた。


「ああ、アクトゥールって町なら知ってる。ただ、ここからはかなり遠いし、生半可なまはんかな覚悟じゃ行けないぞ」

「いや、存在してることが分かっただけでも十分だ。何か瓶のようなものに入って漁師仲間の網に引っかかった時には泣いて喜んだが、アクトゥールなんて町の名前は聞いたこともないし……本当に参ってたからな。しかし、やはり異国の人だったんだな、彼女は。ところどころ、話の噛み合わない時もあったし」


 それはそうだろう、と思う。何しろ、アクトゥールは2万年前の過去に存在する町だからな。


「しかし、それだけ遠いとなると今すぐに駆けつける、と言うのも難しいな……漁も解禁されたばかりだし、一番の繁忙期を抜けたら会いに行くことにするよ。いや……それとも、会いに行かない方が、彼女にとっては良いんだろうか」

「なっ……こんな手紙を書いてくるのに、そんなわけないだろう!」


 思わず熱の入ってしまったオレが声を荒げて訴えると、ナレクはどこか自信が無さそうにうつむいてポツリと言葉を落とした。




「……怖いんだ」


 その声にこめられた、ぞっとするような孤独の冷たさに、思わず言葉を呑み込んでいた。


「この紙、随分と年季が入ってる。多分、彼女が来なくなってから、そう時間が経たずに書かれたものなんだろう……あれから、かなりの年月が経った。彼女にも、彼女の生活があるかもしれない……今更、俺が出て行って迷惑になったらと思うと」


 ナレクはそこで言葉を切ると、グッと唇を引き結んで首を横に振った。


「いや、そんな綺麗事なんかじゃないな。もし……もしも彼女が、既に別の人を愛しているのだとしたら、俺じゃない別の誰かと幸せな日々を過ごしているんだとしたら。そう考えるだけで、耐えられないっ……最低だよな、彼女は俺の幸せを願ってくれてるって言うのに」

「いや……そうは思わないよ。それだけお前が、まだ彼女のことを好きだってことだろ?」


 オレの言葉に、ナレクが瞳を、声を震わせてついに心を吐き出した。




「っ、あぁ……そう、だな。まだ、こんなにも愛してる。あれから、リジーのことを忘れたことなんて、一度もなかった。忘れられなかったっ……忘れられるものか。誓ったんだ……一生を二人で歩んで行こうと。生涯を共にするなら、彼女以外には考えられないっ!」


 それはきっと、魂の叫びだった。ずっと伝えたくて、届かなくて。触れたくて、それなのにどこにもいなくて……オレはきっと、その痛みを少しだけなら知っている。だから。


「……いいか?」


 振り返って問いかければ、仲間達がめいめいに真剣な表情で頷きを返してくれた。本当に、良い仲間を持ったと思う。オレには、もったいないくらいに。


「分かったよ。オレ達が、彼女の様子を見て来てやる。だから、そんなに泣きそうな顔するなよ」


 肩を叩いて顔を覗き込めば、絶望に濡れた瞳がゆるゆるとオレを見上げる。


「っ……でも、遠い場所だと」

伝手つてがあるんだ。少し時間はかかるかもしれないけど、オレ達が行くのはそう難しい話じゃない。もし伝言か何があるなら、それも届けて来るけど……」


 オレの言葉にみるみる目を輝かせたナレクは、泣きそうな表情のままガッとオレの手を握った。




「ありがとう……本当に、ありがとう!それじゃあ、伝言を頼む。ええっと……『リジー、君からの手紙を受け取った。遅くなって、本当に済まない……君とあれだけの時を重ねていながら、俺達の置かれている現実を知ろうとしなかったことを、悔やんでも悔やみきれない。俺は幼かったし、愚かだった。こんな俺だが』」

「ちょ、ちょっと!そんな、いっぺんに覚えられないって。いま何か書くものを……」


 慌ててナレクの言葉を遮ったオレに、リィカが一歩進み出て首を傾げた。


「私ナラバ、ソノ程度は覚えられマスガ……いかがシマス?」

「……私だったら、やっぱりそう言うことは本人から聞きたいかな」


 どこか夢見るようなエイミの瞳に、オレ達は顔を見合わせた。


「しかし、そうやすやすと本人を連れて行くわけにもいかないでござろう?」

「うーん、本人から……いや、本人の声ならいけるんじゃないか?」


 ハッと気付いたオレがまばたけば、エイミの鮮やかなオレンジの瞳とぶつかった。




「サウンドオーブね……!」


 エイミのお母さんの形見である、子守唄の吹き込まれた小さな機械を思い出す。未来で生まれた、人から人へ『音』で想いを伝えるための機械……あれなら、過去と現在に引き裂かれた二人を繋ぐのに、うってつけの役割を果たしてくれる気がした。


「悪いが、伝言の件は少しだけ待ってくれないか?良い案があるんだけど、少し準備に時間がかかりそうなんだ」

「もちろん、こっちは頼んでる身なんだし。それに、もう何年も探し続けてきたんだ……何日だって待つよ」


 先程までとは打って変わって、強く希望を宿して輝く瞳に、オレはしっかりと頷きを返した。


「分かった。なるべく早く戻って来るから、この町で待っててくれ……オレだって、お前には幸せになって欲しいんだ。これくらい、させてくれよ」







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