第5話 シンデレラはガラスの心
「仕事頑張ってるのは知ってるよ。てか仕事って頑張るもんじゃん。帰りに自分で買ってくるとかそういう当たり前の発想ないわけ?……いや、そんなこと言ってないし。なしてそっちが被害者ヅラするかなぁ」
どうしよう、思わず隠れてしまった。灰花さん、一体誰に対して怒っているんだろう。話し方からして、結構親しい間柄なんだろうか。
(まさか彼氏?!最近は化粧品を使う男子もいるって言うし、同棲とかっ。いや、高校生でさすがにそれはないか。とすると、家族……?)
「いい加減大人になってって言ってるの!え?……それは、そうだけどさ。今それ関係ないじゃん。……はぁ?!え、嘘だよね?なやめて!なんでいつも強行手段に出ようとするのねぇ!分かった、分かったから!行きます、行かせていただきますお姉様ぁ!だから壊さないでお願いぃ……」
事態が一変。急に灰花さんが焦り始め、さらに大声を上げた。泣きそうな声に聞こえるのは気のせい……?
「はぁ、良かった……それ限定版で、もう買えないんだから絶対壊さないでね。さっき言ったやつだけでいい?なっ……あと靴下も?サイズは……うん……はい、分かりました。もう切るよ。はい、はーい」
ピッ、と通話が切れた。スマホを見つめながら大きな溜息をつく灰花さん。どうすればいいか分からずその姿を眺めていると、彼女と目が合った。
「あ……」
「ど、どうも……」
「き、北王子くん!どうしたの、かなあ……あー……聞こえた?」
灰花さんは気まずそうにして、俺と目を合わせない。
「ば、バッチリ聞こえちゃいました……すまん」
「そっか……ごめんね、キャラ崩壊しすぎて混乱したよね。ほんと、すみません」
「いや、全然。人間生きてりゃそういうこともあるって。とりあえず、部室戻ろ?」
「うう……ありがと……」
彼女が肩を落としてとぼとぼと歩く姿は、萎れた花のようだった。元気の無い花には水が必要なわけだけど、彼女にとっての『水』は、果たして何なのだろうか。
(どうにかして元気づけたいなぁ……おこがましすぎるか?)
◇◇◇
「おかえリンダリンダ〜!お、しょんの捕獲に成功したようだね。ご苦労ご苦労」
「あ、ああ……」
ふらふらと足のおぼつかないまま、灰花さんはソファに座り込んだ。
「はぁ……」
「まぁた言い負かされちゃったのぉ?」
「……うん。じゃなくて、はい」
「そっかぁ……よしよし。おばさんがなでなでしてあげよう」
「茨先輩まだ17でしょ……あー、もうヤダ」
灰花さんの頭を、茨先輩は優しく撫でる。癒しの光景を眺めつつ、俺は白雪に問いかけた。
「なあ、灰花さん何があったの?」
「あー、えっと……硝子ちゃんお姉さんが二人いるんだけど。お母さんが末っ子を甘やかさない方針らしくて、昔からお姉さんの身の回りのお世話をさせてたんだって。その結果、お姉さんがそれに慣れちゃって、硝子ちゃんに甘えきってる状態なの」
「末っ子を甘やかさないはずが、今度は上二人を甘やかすことになっちまったってわけさ。しょん姉は毎回電話で"お呼び出し"をしては、しょんにおつかいやらなんやらを頼んでるんだけど、その度に口論してる。んで、大体しょんが言い負かされるわけだが……この後がめんどくさい。そろそろ来るぞ〜いつもの」
「この後?いつもの?」
見ると、灰花さんの肩がぷるぷると震えている。茨先輩は「ありゃ〜」と苦笑い。ごくり、と固唾を飲んでしまう。何が、何が起こるんだ……?
「お姉ちゃんのぶぁぁぁぁぁぁぁか!なんなのあの人達。揃いも揃って私のことパシリ倒して……ド低脳クソ社会人が。アニメでよく「おねえちゃん大好き♡」とか言ってるキャラは頭おかしいよ!姉なんて妹を奴隷のように扱う鬼だよ!ほんっと、ほんとに……やぁだもう……」
灰花さんの目から涙がぼろぼろと溢れ出す。そのまま蹲って泣いてしまった。茨先輩は抱きしめながら頭を撫でて、必死になだめている
「このよーに、我が部の長はクソザコ豆腐メンタルなのデス」
「クソザコで悪かったわね!……だって、だって私がんばっ、ズビッ、頑張ってるのにぃ……」
「ありしゃあに当たらないのぉ。しょーこもこの癖直した方がいいよ」
灰花さんって、凄い高嶺の花ってイメージがあったけど、実はかなり子供っぽい一面もあったんだな。
「だったらうちの家庭環境を直してよ!バカ姉貴を追い出してよ!……んぅ、嫌い。あの人達きらぁい……」
「は、灰花さん。落ち着いて。あー、俺もよくアニキと喧嘩するし、ね?」
俺が灰花さんをなだめようとすると、周囲の目線がこちらに向いた。え、何?どしたの皆。
「新入部員は、セラピストだった……?」
「なんのこと?何急に」
「あー!オレってば、今日バイトあんだったー!お先、失礼しやす!おつかれしやした!」
アリシアはリュックを背負ってそそくさと部室を出ていく。
「ごめんねぇしょーこ。私も急用思い出しちゃったぁ。ほな、オツカレ〜」
続いて部室を出ていく茨先輩。
「……お疲れ様でした」
二人に便乗してぺこりとお辞儀をする狼尾さん。部室に残されたのは俺と、白雪。そして泣き喚く灰花さん。
……完全に厄介事押し付けられたな。
「灰花さん、大丈夫?なんか飲む?……つっても、部室のだけど」
「うっ、うっ……」
「硝子ちゃん、元気出して」
「……ごめんね、北王子君。幻滅……したよね」
凄い涙声だ。きっと毎回、こんな風に泣き喚いていたのだろう。この人は思ったよりもずっと繊細で、打たれ弱い。
「ダメだなぁ、私。いきなりこんな、情けない姿を見せちゃって。部長として、顔向け出来ないや」
「硝子ちゃん……」
萎れた花には水が必要だ。そういった植物を育むために、雨がある。でも、雨ばかり降ってても、花は腐ってしまう。だから―――。
「灰花さん……いや、灰花」
灰花の肩を掴むと、ゆっくりと顔が上がった。目元や鼻は赤くなり、瞼が腫れている。
「幻滅なんかしない。そもそも、こっちが勝手に夢を見てただけだ。確かに、いきなり泣き出した時は驚いたけど……俺はそういうところも含めて、『灰花硝子』だと思う」
「北王子君……」
「まー、だからその、なんだ。色々偉そうなこと言っちゃったけど。部長を元気づけるのも、部員の役目かなと思って。何かあれば相談にものるし、頼りにしてよ」
「そうだよ、硝子ちゃん。どんなに泣いちゃったとしても、私は硝子ちゃんのことが大好き。お姉さんがいる家が安心できないのなら、ここを硝子ちゃんの心が休まる場所にして欲しいな」
灰花さんは目をごしごしと擦る。あまりに強く擦るので、これ以上腫れてしまわないか心配だ。
「……やべ、また泣きそう。泣いていい?」
「いいよ。好きなだけ泣いてくれ」
「なんかそう言われると、泣く気失せるかも……うん、もう大丈夫。優しい二人のおかげで、なんだかお姉ちゃんを論破出来そうな気がしてきました!」
「「それはちょっと難しいかも」」
「なんで?!」
良かった、少し元気になったみたいだ。どんな姿でも、結局灰花硝子は素敵な女性なんだな。正直、泣いてるところも可愛かったし。
「それにしても、皆私を置いて帰っちゃうなんて酷くない?二人が優しすぎるだけなのか?」
夕暮れの正門前。橙色の空と茜色の日が、俺達を包み込んでいる。
「ふん、いいもん。どうせ私はめんどくさい女ですよぅ」
「めんどくさいのは多分その辺だぞ、灰花」
「なっ!さっきまで優しかったのに……言うようになっちゃって。もう」
「あはは……」
「なんか、気使わせてごめんね。二人共」
「謝るなよ。こっちは気を使ったつもりなんてないし、ただ元気づけたいって、そう思っただけなんだから」
「善人……善人すぎるっ……」
灰花はコホン、と気を取り直す。そして、眩しいほど輝いた笑顔で。
「元気出た。ありがとう!」
そこに、萎れた花の面影はない。
花には雨が必要だ。でも、雨ばかりでは腐ってしまう。だから、最後には雲が晴れるように。太陽が顔を出すように。俺はこの人を支えたいと思ったのだ。
そして、楽しげに笑い合う二人の姿を、七条白雪は寂しそうに見つめていた。
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