第12話 届いた願い
ふらふらとした足取りで家に入ろうとして……視界の端に、見覚えのある顔が映った。
通りに顔を向けると、こちらに向かってくる馬車の御者席にマッコンエルがいる。
「どうして……」
馬車は、わたしの家の前で止まった。馬車から降りてきたのは、アルオニア王子とヴェサリス執事。
驚きすぎて声を出せずにいると、王子はわたしの腕を掴んでいる中年男の腕を引き剥がして、ひねった。
「いてぇっ!!」
「ヴェサリスがお前たちを知っているそうだ。随分と悪どいことをしているそうだね」
「んだとぉーーっ! やってやらぁ!!」
目つきの悪い男が腕を振り上げて王子に向かって行ったが、すぐさまマッコンエルによって背後から羽交い締めにされた。男はあがいたが、マッコンエルはびくともしない。
王子は中年男の腕をひねったまま、マッコンエルに引き渡した。マッコンエルは右腕で目つきの悪い男、左腕で中年男の首を締めつけた。
「いてぇーよっ! 離せ!!」
「はいはーい。あちらでお話ししましょうねー。覚悟してくださーい」
マッコンエルは間延びした話し方で、路地の奥へと二人を連れていく。そこにはヴェサリスが待ち構えていた。
「大丈夫なんですか⁉︎」
「問題ない。マッコンエルは強いし、ヴェサリスは法の世界に通じている。喧嘩でも口論でも、あの二人に勝てない。それに、じきに警察が来る」
「良かった……」
一気に力が抜けて、へなへなと座り込んでしまう。
急転した現実に頭が追いつけない。呆然としていると、気遣う声が降ってきた。
「リルエ、安心して。もう大丈夫」
血の通ったやさしい声色に、涙がふわっと込み上げる。
なにが起こったのか理解できるほどの心の余裕が、ようやくでてきた。
——蟻地獄に捕らえられ諦めていたわたしを、アルオニア王子が救いだしてくれた……。
助かった。声が届いた。願いが叶った。助けてくれる人がいた。
そのことがどうしようもなく嬉しくて、わたしは泣きじゃくった。
王子は唇を開きかけては、閉じ、言葉を探しているようだった。気休めの励ましや、その場限りの慰めの言葉ではないものを探しているのだろう。
困り顔の王子に、誠実なものを感じる。
「そういえば、どうしてここに?」
「ああ……。屋敷に戻る途中だったのだが、マッコンエルが道を間違えたらしい。彼が道を間違えるのは初めてだ。だが、そのおかげで君を助けることができた。神様が導いてくれたのだろう」
恋愛マニュアルその二、家族を紹介する。を実行するために、マッコンエルがわざと道を間違えたのだろう。恋愛マニュアルのことは、王子には内緒になっている。
王子だけがなにも知らずにいることがおかしくて、わたしは涙目のままクスクスと笑った。
笑顔をこぼしたわたしに、王子はホッとした表情をした。
「気の利いたことを言えなくて、すまない。君を見ていると、僕がいかに恵まれた環境にあるのか思い知る。それなのに窮屈に感じて、不満で心がいっぱいになって……。僕は視野が狭かった。リルエといると学ぶことがたくさんあるし、なにより、知らなかった感情に、戸惑う……」
知らなかった感情とはなんなのか。小首を傾げたわたしから、王子は顔を背けた。
家に入ると、ジュニーとトビンが玄関に立っていた。ジュニーの手にはホウキ。トビンは頭に鍋を被って、すりこぎ棒を握っている。
格好のおかしさに笑いかけた。けれどトビンの泣き声に、笑みが引っ込む。
「お姉ちゃあーーーんっ!! うわ〜ん」
「お姉ちゃんが絶対に外に出ないように言ったから、ひくっ、約束を守って家にいたけど、お姉ちゃんがさらわれたらどうしようって、怖かった。あいつらがお姉ちゃんをいじめたら、助けに行くって決めて……ひくっ、あ〜ん!!」
大粒の涙を流し、大声をあげて泣く、トビンとジュニー。
小さな体でわたしを守ってくれようとした二人。ホウキとすりこぎ棒では、あいつらに勝てるわけないのに、わたしを助けるために知恵を絞り、勇気をだそうとしてくれた。その健気さに泣けてしまう。
二人を守るために、わたしが我慢すればいいと思っていた。ひどい勘違いをしていた。わたしが我慢すればするほど、二人を悲しませてしまうことに気づく。
ジュニーとトビンを抱きしめ、わたしたちは声の限りに泣いた。
わたしの頭に、大きな手が戸惑いがちに置かれる。
その手はすぐに離れたのだけれど、王子のやさしさが伝わってきて、心がじんわりと温かくなった。
アルオニア王子は家に上がると、ジュニーとトビンに本を読んでくれた。
家庭環境がいいとは決して言えないのだけれど、ジュニーもトビンも素直に育ってくれている。二人の無邪気さに、緊張気味だった王子の表情が緩んでいく。
ジュニーが何気なく「本当は学校に行きたいんだけど……」とつぶやいた。王子は考えた顔をした末に、「うちに来ればいい。勉強を教えてあげるよ」と笑顔をこぼした。
「本当にいいの⁉︎」
「もちろん」
「ボクもボクも!!」
「ああ、トビンもおいで」
アルオニア王子には大学の勉強があるのに、迷惑はかけられません! と遠慮するわたしに、王子は首を横に振った。
「迷惑じゃない。それに、仮初の恋人役でも恋人には違いないのだから、思う存分にそれを利用すればいい」
恋人、という単語にドキッとする。けれどすぐに、仕事上の契約だから甘い意味合いは一切ない! と自分に言い聞かせる。
クールで無表情で、素っ気なかった王子。何を考えているのか全然分からなくて、近寄りがたかった。
けれど会うたびに、王子の表情が和らいできている。笑顔と優しさを見せてくれる彼に、わたしはひとりごとをこぼす。
「恋人役の仕事に不安しかなかったけれど……楽しい。仕事なのに楽しいなんて、変だけど……」
夕方になり、わたしたちは王子を見送った。
王子が乗った馬車が通りの角を曲がり、家に戻ろうと踵を返したとき——肌がざわっと粟立った。
周囲を見回す。夕方の薄暗さの中では、通りを行き交う人々の顔がはっきりとは識別できない。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「視線を感じたような気がしたのだけれど……」
ジュニーとトビンを心配させないために、「なんでもない」と笑うと、家に帰った。
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