ただ普通のあたたかさがほしい
ナリミ トウタ
佐波玲編Ⅰ 諦め
僕は生産性のない恋をしていると言われた。
正確には僕に投げかけられた言葉ではなく、偉い人が僕と同じ境遇のみんなに向けて言った言葉である。それを僕は充分理解している。わかっている。決して口にはしない。ただ、突き付けられた現実は柔い心臓に突き刺すナイフでしかなかった。
僕たちを理解しようと考える人は多くなっても、普通でいてくれる人が増えていても一定数の後ろ指を指しサンドバッグにする人がまだいるかもしれない。気にしても仕方がないことはわかっていた。でも、そういう人は必ず僕たちを一人の人間と認めてくれなかった。
法律もさえもまだ僕たちに寛容ではなく遺言書が無ければ遺されるものは何も手元には遺してくれない。子を宿す方法はあっても、保険は効かず、自分たちの手で行わなければならない。
神は僕たちの行為を悪だと記している。ただ、好きな性別が同姓というだけなのに。
何故、神は悪だと言いながら僕たちをこの世に生まれ落としたのでしょう。
「何故お前は普通に生まれて来なかったのだ」
この世でもう聞きたくなかった声が頭をこだました。
僕は何も悪くない。これが僕の普通だ。
「あーあ。何も覚えていないけど最悪な夢を見た気がする」
声に出した音以外を出さないようベッドから降りた後、スマホを片手に寝室の扉を閉めた。
カーテンを開ける。白い光がリビングいっぱいに入り込む。安くて年数はいくらか経っているが、大家のおばあちゃんが綺麗に掃除してくれる。元々気さくな性格で、時々作り過ぎたと出汁の染みた煮物をお裾分けしてくれる。特に里芋の煮っころがしは芯まで味が染みて、ほろほろと口の中でほどける口当たりや優しい味が好きだった。
どの住人にも積極的ににこにこと挨拶してくれるおばあちゃんがいるおかげもあってここは、かなり居心地がいい。
そんな居場所を僕はいつも僕の我儘とコンプレックスで穢している。そんなことを毎日ここで懺悔をするかのように僕しかいないリビングで太陽が昇るのを見つめる。
朝は嫌いではない。でも、起きた時に横にいる名前すら憶えていない彼女を今日も僕は哀れに思う。
寝室から持ってきたスマホが鳴る。
「朝だぞ。起きているか?」
今日も一番に聞きたい声が聞こえた。
「うん。起きているよ」
「そうか。おはよう。どうかしたか?」
「何が?」
「今日は元気がない気がしたからさ。玲が元気じゃないと何か変」
「変とは何だよ。失礼だな。ただ夢見が悪かっただけさ」
「どんな夢だ?」
「もう忘れた」
「悪い夢なら忘れた方がいいだろう。気になっても気にしないようにな」
「そうだな。もう出勤する時間だろ? 切るぞ」
「ああ、そんな時間だ。じゃあ明日な」
「また明日」
画面をタップしただけでリビングに静寂が戻ってきた。
一分にも満たない会話が終わる。毎朝行われる儀式。友人である松風爽太にモーニングコールを頼んだのはもうどれぐらい前からだろう。僕は目覚ましが無くても、一人で起きられるのに僕自身の今も枯れぬ恋心のために意味のないこの行為を爽太にさせている。
一つの音によって静寂は破られた。
これから表れる人物を考えると空しさしかなく憂鬱な気分を押し込め開かれた扉に目を向けた。隣で寝いていた彼女だ。
「おはよう」
「もう、玲どうして隣にいてくれなかったの」
朝の心地よい静寂は名も知らぬ彼女のどたどたと立てた音に終わりを告げる。僕に近づいて来た彼女は意味もなく抱き着いてきた。そこに何も温もりを感じず冷たさしかなかった。心はずっと冷え切っていた。
「ごめん。目覚まし掛けていたから起こしたら申し訳なくて」
「玲仕事していないのに目覚ましを掛ける必要あるの?」
必要だった。今まで否定され続け、殆どを諦め自分の気持ちを素直に認めることもなかったくせに爽太だけは諦めることが出来ず、何かと理由をつけてズルズルと繋がりが切れないようにと怯えながらも手繰り寄せた僕の蜘蛛の糸だ。
「習慣ってやつだよ」
「ふーん。ねえ、私眠いからさ、玲もまだ寝ていようよ」
「いや、俺は起きているよ。朝食の準備もしたいし」
「私、フレンチトースト食べたい! ねえ? いいでしょ?」
「わかったよ。起きるまでに下準備するから寝てくるといいよ」
「はーい! おやすみ!」
彼女はチュッと軽いリップ音を頬に落とし、満足そうに寝室に引っ込んでいった。
まだ眠かったのなら起きて来なければ良かったのに。そんな言葉も喉の奥に仕舞い込んだ。
僕は彼女が完全に寝室に入ったのを見てから洗面所で顔を洗った。僕が落とす言葉が何もかも白々しくて正直、自分でも引いた。ああ。憂鬱だ。
熱したフライパンにバターを溶かす。跡形もなくあっという間に黒い鉄板に吸い込まれていった。バターの柔らかな香りを漂ったところに卵液に漬けたトーストを乗せた。
表面につく焼き目がジグジグと消えない傷のようで感傷的になった。いつまでこんな生活をするのだろう。
「ん~! 良い匂い!」
「もうすぐで出来るよ」
「メープルシロップをいっぱいかけてね」
「肥えても知らないからな」
「も~! すぐそういうこと言う!」
「ごめん」
「もう! 許してあげる。だって玲は私がいないと駄目なんだから」
「そうだね」
僕は彼女の稼いだ金で生活をしている。食費も、ガス代も、水道代、光熱費、家賃も。
彼女が仕事をする分、僕が家のことをする、とは言っても同棲をしているわけではない。
彼女が気まぐれに僕の家に来て、気まぐれに僕にちょっかいを出す。そこに愛はあるのかと問われると弱い。彼女の方は知らないが少なくともこの行為に僕の愛は無い。
いや、愛そうとはした。でも駄目だった。
「そんなに掛けたらフレンチトーストの味なんてわからないだろ」
「これぐらいが美味しいからいいの」
「そう」
目の前で琥珀色の液体をダラダラとフレンチトーストが溺れるぐらいに掛ける彼女を見ていた。元の味もないただ甘い甘いだけのフレンチトーストは身体に悪いものでしかない。
宝石のように輝くシロップはトーストに吸い込まれず白い皿の上を漂っていた。
あーあ。いいメープルシロップなのにもったいない。まあ、僕が払ったメープルシロップじゃないのだけど。
トーストからはじかれ意味もなく消費されるメープルシロップが僕自身に見えた。
誰から見ても僕は欠陥品なのだろう。同じ意思をもっているのにただ愛せるのが同姓というだけで異端の扱いをされ、虐げられ同情の目を向けられる。そんなものが欲しいわけじゃない。何でわからないんだなんて、もう言わない。所詮人間の気持ちなんて誰とも分かり合えない。
「ねえ、明後日も泊まりに来てもいい?」
「いいよ」
白々しい笑みを浮かべる。そんなことには気づかず彼女は満足そうにメープルシロップに塗れたフレンチトーストを食べ始めた。
このまま意味のない言葉を吐きつけた時のように何もかも諦められたら良かったのに。
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