第172話 マドレーヌ

 クレートの調整が済んだと報告してからまた十日程が過ぎ、色相竜討伐の任が降される……というよりは依頼される事となり、国の上層部の面々を率いた色相竜討伐のツアーが決行される日がやってきた。

 この危険極まりない色相竜討伐依頼とはいえ、元は王都を見渡せる観光スポットとされていた山の頂上までモンスターを討伐しながら移動し、空を飛べるクレートがそこから離れた山に棲むという色相竜と対峙する。

 それを見学しようというツアーとなっている。


 山の頂上までの道のりも徘徊するモンスターは多く、召喚士や精霊召喚士達によって一掃しながら進んで行き、モンスターに荒らされたであろう山道はクレートが子供達の乗る馬車が進みやすいようにと慣らしながら山を登る。

 国王他、多くの貴族の馬車はクレートにとってはオマケのようなものであり、それを快く思わない者も多くいたようだがクレートからすればどうでもいい。

 勝手に勇者として召喚した国であり、クレートの主人はあくまでも異界の魔王だけなのだ。

 命令しようものなら脅してでも黙らせるつもりである。


 山の頂上に辿り着くと、国王の従者達が野営地として場を整えていき、その周囲にも貴族達が野営地を築いていく。

 クレートも子供達と一緒に野営の為に用意した荷物を降ろし、地属性魔法で椅子やテーブルを作り出してそこにクッションを敷く。

 荷物といっても弁当と飲み物やお菓子などであり、ここに一晩寝泊まりするつもりはない為、各々自分の席に配するだけなのだが。

 あっという間に子供達用の見物席が完成し、ここでのクレートの準備は整った。


 それともう一つ。

 ニルデを連れて国王の野営地へと近付いていくクレートに周囲の者達が警戒の意思を強めるも、デニスが頭を下げて国王の前へと歩み寄る。


「国王様。四年前の召喚者ニルデ=ブラーガが国王様にお渡ししたい物があるとの事で案内しました」


 子供達はこの世界での姓をブラーガとしたのはクレートを慕っての事からだろう。

 出会って数日後にクレートからもらった写真はかつて見た故郷の映し絵であり、思い出と共に自分の姓を写真に残してブラーガを名乗る事を決めたのだ。

 信頼を形として示す為、家族であるという意思表示をブラーガを名乗る事で示そうと考えたのだろう。


「お久しぶりです国王様。私ニルデ=ブラーガは父クレートから甘味の手ほどきを受けており、国王様にこちらをご賞味いただきたく参りました」


 デニスから言葉遣いの指導を受けたニルデは、練習通りのセリフを上手く口にする事ができた。

 高級な菓子店で使われるような包み紙で個包装したマドレーヌを紙袋に詰めており、デニスが受け取って従者に皿に並べるよう指示を出す。


「ふむ。異世界の菓子という事か。実に興味深い。んん?デニス……お前は食した事がありそうだな。だらしないぞ、涎を拭え」


「え、え?うわっ、しっ、失礼しました!あの、はい!実に美味しい焼き菓子ですのでつい!」


「それ程か。楽しみだ」


 少しして従者から運ばれてきたマドレーヌとお茶がテーブルに置かれ、毒味役が一口頬張ると顔を綻ばせてその味を噛み締める。

 何も語らず一つを平らげると、もう一つ食べようと再び手を伸ばすが国王に腕を掴まれて二つ目を手にする事はできなかった。


「まさか中毒性があるのか?」


 予想外の質問である。


「いえ、このような甘味は初めてでしたので。これが異界の菓子となれば我々の菓子は……料理人には申し訳なく思いますが獣の餌か何かかと」


 毒味役もとんでもない物言いである。

 この世界の料理もさすがにそこまで酷くはないはずだ。


「では食してみるか。ほう、貝の形とはまたなかなか面白い。香りもなんとも甘く香ばしい。味の方は……こ、これは……おい、ヴィルも食してみよ!美味であるぞ!」


 王妃【ヴィルジーニア】にもマドレーヌを勧める国王。

 王妃もマドレーヌを一つ手に取り口にすると、驚きの表情を浮かべてニルデをそばへと呼び寄せる。

 少し戸惑いつつも国王が頷いた為すぐそばまで歩み寄り、真剣な表情で王妃がニルデの耳元で一言囁いた。


「今後わたくし用に甘味を作ってくださらないかしら」


「ええ!?私、まだ勉強中ですし!その……」


「代金はお支払いしますし食材代もわたくしが支払います。勉強中という事であれば今後もいろいろと作られるのでしょう?その試作品も食べてみたいですわ」


「試作もですか!?さすがにそれは……」


 王妃の提案にニルデも焦り、クレートに視線を向けると好きにしていいぞとばかりにコクコクと頷いている。


「で、では、父の付き添いもありますし、五日に一度お届けにあがります!多く食べると太……言っていいですか?太ってしまいますので五日分を毎回お届けするという事で!」


 王妃に太るぞなどとは不敬罪もいいところだが、甘味ばかりを多く食べていては太るのも事実。

 調子に乗ってたくさん作って食べ続けたところ、ニルデも少しお腹のあたりが柔らかくなっている気がするのだ。


「ふふ。契約成立ですね。これから毎日が楽しみになりますわ」


「私、頑張ります!」


 ニルデの定期契約が結ばれた事で、これからクレートの手を離れたとしても一人でやっていく事もできるだろう。

 まだしばらく手元に置くつもりではあるが、遠い先を見据えた場合にはこれは大事な一歩となる。

 今この時点ではマドレーヌだけしかニルデの味は完成していないが、今後試作を繰り返して菓子作りのレパートリーを増やしていけばいい。


「はっはっ。これ程美味い甘味を出されてはヴィルもただでは帰さんか。いや、実に美味かった。ニルデよ、感謝するぞ」


「お褒めの言葉をありがとうございます。ジーナ姉、姉の作る料理もとても美味しいのでいつか食べてみてください」


 少し言葉が粗くなっているが問題はないだろう。


「デニス。ジーナの料理も美味いのか?」


「嫁の貰い手が殺到する程です」


「やらんぞ」


 間髪入れずに口を挟むクレートは、ここ最近本当にデニスがジーナを狙っているのではないかと疑っている。

 いい男ではあるが三十過ぎのデニスと十七のジーナでは歳が離れている事や、まだジーナの若さで嫁にやるのは早いと思っているクレートとしては許せるものではない。


「それは是非とも食してみねばな。デニスよ。わかっておるな?」


「っ……わかりました。必ずやお守り致します」


「わたくしも。お願いしますね」


 王妃までついて来るのは初めてではあるが、デニスは時々国王とお忍びで街に繰り出す事がある。

 しかし貧民街のすぐそばにある住居となれば国王や王妃を連れて行くのも少し躊躇われるというもの。

 国王は召喚者の住居がどこにあるか知ったうえでの提案であったが、王妃はその場所など知るはずもない。

 連れて行くとすればクレートに護衛させるなど、少し考える必要がありそうだ。


「それなら風呂にも入っていくといい。王宮の風呂に比べれば小さく粗雑な作りかもしれんが、我が家自慢の風呂だ。自家製石鹸とシャンプーも堪能してほしい」


 風呂好きクレートのこだわりはシャンプーをも作るまでに至るようだ。

 国王と王妃に一般家庭の風呂に入っていけとは不敬な気もしなくもないが、デニスも毎日風呂に入って帰る程には気持ちのいい湯だ。

 王宮の風呂になど入った事のないデニスではあるが、あの家の風呂程気持ちのいい風呂は他に知らない。


「ふむ。風呂もあるのか。せっけんとは知らんが気にはなる。風呂に入るなら世話人を一人ずつ連れて行くが良いか?」


「客人が四人、デニスも入れて五人であれば少し狭いが問題ない。皆でもてなそう」


 なにやら大事になりつつあるが、国王と王妃が付き人を連れて訪れ、食事をして風呂に入って帰るとなると、高級宿でさえも準備をするのに数十日は掛ける事になるだろう。

 もしかすると工事さえも考えるかもしれない前代未聞の出来事だ。

 それをクレートは友人を家に招く程度の軽い気持ちで誘っているあたりは何も考えてはいないのだろう。

 国王が訪れるまでにデニスがいろいろと手配する必要がありそうだ。

 クレートの色相竜討伐を前に、デニスは今後の国王訪問に関してどうするべきかを考える事になってしまった。

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