思い出質屋

こげみかん

思い出買います

 日本のどこにでもある大通りの、どこかにある裏路地に、どこにもない店があった。

 思い出質屋、と達筆な字で書かれた木の看板はやたら古ぼけていて、店が禍々しい雰囲気である要因の1つだった。

 ぎぃ、と不安になる音がたつドアを開けると、ショーケースも棚もない店内にただカウンターがある。奥に扉が1つあるようだが、重く閉ざされた扉の隙間から禍々しい雰囲気が漂う。

 カウンターには仮面のような笑みを浮かべている中性的な店員がいた。その店員にすがりつくように頭を下げている男の身なりは、手首に輝く腕時計以外はみずぼらしかった。

「なぁ頼むよ。俺には思い出なんかなんもねぇんだしさ。これでどうか」

「事業が失敗したときの思い出は、ちょっと……」

 店員が眉を下げながら笑うと、男は顔をしかめて舌打ちをした。

「俺、太客だろ」

「……確かに。前回はかなり良い思い出を売ってくださいましたね」

「だろ? そこらの幸せそうなガキとっ捕まえたんだからな」

 男は以前、金をつくりたいがために迷子になっていた子供を数十分だけ誘拐した。この質屋で子供の家族との幸せな思い出を売り払ったのだ。店員はそのことをあまりこころよく思っていないのか、下げた眉を少しだけつりあげた。

「そんな怖い顔すんなって! アイツはほら、4歳だかなんだかの誕生日の思い出だろ? どうせ大人になったら忘れるもんだし、なんも支障ねぇよ。ちゃんと家族のもとに返してやったしな」

 唾を飛ばして笑ったあと、男は頭をかいて再び考えだした。

「あぁそうだ、俺が昨日回転寿司食った思い出は……」

「となると、このくらいになります」

 カウンターの下から真っ黒な電卓を取り出して、2、3回だけ叩いて画面を見せた。男は期待せずに覗きこみ、すぐに離れた。

「なんだよすくねぇな」

「価値の低い思い出なので」

「低いってなんだよ低いって!」

 声を荒らげる男に対して店員は全く怖気ずに、マニュアルを読むように流ちょうに話しだした。

「思い出というのは、なかなか経験しえないものほど価値が高くなります。家族、恋人、友人など。それらを経験できなかった方が知らない幸福を味わうために買っていくので、珍しい体験はとても貴重になるのです」

「俺、友達いなかったし家族とろくに思い出なんかなかったしな……わかった!」

 パチン、と指を鳴らしたかと思うと、鳴らした人差し指をそのまま店員に突きつけた。

「ないならつくりゃいいんだよ! ちょっと待ってろな、姉ちゃんみてぇな兄ちゃん!」

「お待ちしております」

 脱兎のごとく質屋から出ていった男の背中に、店員は律儀に頭を下げる。

 顔をあげたときには、店員の顔から笑みが消えていた。



「幸せだな。美帆さんと出会えてよかった」

「嬉しい、私も出会えて本当に幸せ」

 あの日質屋を訪ねた男が、身なりを綺麗にして公園を歩いていた。隣には地味な装いだが、よくよく見ると端正な顔だちをしている女がいた。2人は肩と肩がくっついて離れないかのように、体に隙間をつくらずぴったりと寄り添いながらデートを楽しんでいた。

 あの日から男は思い出つくりに奮闘していた。積極的に彼女をつくろう、友達をつくろうと、事業をしていたときのコネすら使ってかけまわっていた。

 そこへ声をかけてきたのが美帆だった。男は美帆と出会ったとき、まるで初めて会ったような気がしなかった。

 運命。その2文字がよぎった男はすぐに付き合い、幸せな時を過ごしている。

 彼の心のように満開に咲いた桜を眺めていると「実はね」と、美帆が前置きをしてから話し始めた。

「私とあなた、付き合っていたのよ」

 突然の告白に男は声も出ずに驚き、目を見開いて美帆をじっと見つめた。男にとって彼女と出会ってから日が浅いのだから、無理もない。

「いや、でも」

「思い出売ったんでしょ? だから覚えてないのよ。あのときあなた、会社が倒産したからってほとんどの思い出売っちゃったから……」

 男には自分が小さな会社の社長であったこと、そして面白みのない平坦な人生であったこと、倒産した会社のために質屋へ通っていた記憶しかなかった。まさかこんな恋人がいたなんて、と驚愕するばかりだった。

「でも、こうしてまた好きになってくれて嬉しい」

「美帆……」

 男が女の顎に手を添えて、唇を近づけていく。あと少しで触れるか、というところで女は「あっ」と声をあげた。

「そうだ、店員さんにお礼言いにいきましょうよ」

「お礼?」

「あの人がお金をくれなかったから、今こうしていられるもの」

 キスの体勢をやめて男は後頭部をかいた。確かにあのとき店員が頑なに何も買ってくれなかったから、思い出をつくろうと躍起になって今がある。

 美帆の言うことも最もだ、と思い、デートのプランを急遽質屋へ変更した。



 たてつけの悪いドアを開けると、いらっしゃいませと言う店員が1番に目に入る。店員は2人を見ると、あからさまに落胆したような態度を見せた。

「お客さん、また来たんですか……」

「今度は礼に来たんだよ。もう金のむしろなんかじゃ」

「売りに来ました」

 え、と男のまぬけな声が響く。美帆はいつもの気弱そうな話し方から一変して、堂々と胸を張っていた。質屋に響く凛とした声が何を意味するか、男は全く理解できなかった。

 何も言わない店員に向かって、美帆は再び口を開いた。

「彼の、私との思い出を売ってください」

「おい」

「いいですよ」

 男の制する声はこの場では役にたたない、ただの音だった。わけがわからない、と店員と美帆を交互に見比べる男に、店員が呼びかけた。それは確かに男に向けられたものであるが、異国の言葉を聞いているように耳に入っていく。不思議に思った男が店員の方に目を向ける。

「うぅっ!」

 男が店員と目が合った瞬間、頭を殴られたような衝撃を受けて膝から崩れ落ちた。

 見下すような美帆の笑顔が、意識を失う前に最後に見たものだった。



 気を失った男に気にせず、電卓を叩きはじめる店員を美帆は期待に満ちた表情で見つめた。

 しばらくして店員が電卓を見せると、美帆は思わず笑みがこぼれた。

「今回はかなり高くなります」

「ふふ、前回はネタばらしを先にしちゃったもの。しくじったわ、本当」

「思い出にケチつけるようなものですから。ミステリーに憧れてる人はやりたくなりますが」

 美帆はそれを聞いて、薄い唇で弧を描き愛想笑いを浮かべた。

「でもそろそろあなたの思い出も需要がないんですよ。いくらあなたが美しくても、恋愛ばかり多くなっても仕方ない」

「あら。じゃあ次はこの人と子どもでもつくろうかしら」

 冗談か本気なのか判断の難しい彼女の言葉に、店員は一瞬だけ渋い顔をした。美帆は気にせず微笑んでいる。

「おい、おい」

 喉から絞り出したような掠れた声が、店の片隅から聞こえた。2人が目を向けると、ぐったりと倒れこむ男がそこにいた。霞がかかった頭の中で男が唯一理解できたのは、ずっとこの女にハメられていたということだけだった。きっと長い間この女に金を貢ぎ、金をつくるためにほとんどの思い出を売ってしまったのだろう。

「俺、あいつのためにどんな思い出売ったんだ? なんも覚えちゃいねぇんだ。貢いじまったんだろ? この女に、友人も家族も……」

「おや。売却後に意識があるとは」

 店員は僅かに驚きの色を見せたが、すぐに営業スマイルに戻った。

「えぇ。あなたは元社長で、このお客様と交際していました。しかし会社が倒産後、お金の切れめは縁の切れめと言わんばかりにこちらのお客様がお別れしました。しかしどうしてもつなぎとめたかったあなたは、彼女に紹介されたこの店で様々な思い出を高額で売ったのです。最後の最後に、彼女との思い出も売ってしまったのですが」

「ちょっと、余計なこと言わないでくれる?」

「すみません、私もミステリー好きで」

 ころころと楽しそうに笑う店員に、美帆は呆れてため息をついた。笑いどころがわからない店員は、美帆にとっていつも食えない人物であり、苦手なタイプだった。

「もういい、そんな女もういいよ。金ならいくらでも用意するから、俺の思い出を返してくれよ」

 2人の軽快なやりとりに男の悲痛な声が割って入る。店員は笑うのをピタリとやめて、泣きそうになっている男に向き合った。

「すみませんお客様」

 丁寧に、ゆっくりとお辞儀をして、頭をあげる。そのときの店員の表情は、愉悦そのものであった。

「思い出は、お金では買い戻せないので」

 店員の重く低い言葉は、男を絶望へと引きずりおとしていった。

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