五 決着



 薄暗い部屋で目を覚ました。ランタンの青白い明かりが見える。目の前に鉄格子。大きな檻。


「あ、起きた」

 子供の囁き声がした。顔を上げる。


「君が……ユーエル?」

「え? うん」


 起き上がろうとすると、少し年上の少年はエテンの背中に手を回して助け起こしてくれた。「怖いよね、でも大丈夫だから」と頭を撫でられる。


「本当に、大丈夫だから……僕はたくさんの子供達が連れて来られるのを見たけれど、誰も殺されてない。ちゃんと、ご両親のところに返してもらえるから」

「ユーエル、犯人はどこ?」

「え? 少し上の様子を見に行ってる。すぐに──あ、来た」


 ガコンと何か重いものが動く音がして、次いでトントンと階段を降りる音が聞こえてきた。本当に秘密の地下室だったな、と思う。階段の上から、長いローブの裾が見えた。


「あら、もう起きたのね」

「……魔女さん」


 エテンがじっと見つめると、レーイエは悲しげに「ごめんなさい……でも、君の才能を見逃すわけにはいかない」と言った。


「それは、自分が一番の魔術師になりたいから?」

「いいえ……全然、驚かないのね」

「少し意外でしたけど、この図書館に関わる誰もが怪しかったから。へえって感じです」

「……そう」

「忘れてましたけど、そういえば魔女さんも風持ちですし」


 図書館の魔女は足を止めてじっとエテンを見つめた。そして「ああ……探偵ごっこをしてたんだったわね」と呟く。


「聞きます? 僕の推理」

「ええ」

 魔女が頷いた。エテンはよしと内心で拳を握った。とにかく長く話を続けて、時間を稼ごう。


「スカートの裂け目を、直していたでしょう。あの時、魔法陣が見えにくいと思ったんだ。紫に黒だから。僕も黒いからあまり違和感を感じなかったけれど。それに、どうして知っていたんですか? 子供達が特別な才能を持っていないって」

「ああ、それは……失敗したわね」


 レーイエが俯く。今日は首元まで襟の詰まったシャツに長ズボン、前開きのローブを羽織っていた。飾り一つついていなくて、お洒落な感じはしない。


「騎士達は子供達について、具体的にどこの誰なのか師匠にもなかなか教えようとしなかった。魔女さんはどうして攫われた子供達が『ユーエル意外特別な才能はない』って知っていたんですか? 師匠と同じで、権力を振りかざして搾り取ったんですか──そう尋ねておけば良かったですね、もう一日早く。シタンさん達に聞き込みしている暇があったら」


「探偵ごっこ、思ったよりちゃんとやっているのね」

 レーイエが自嘲するように笑って言う。

「僕も風持ちですから」


「じゃあ、私とどちらが強いか試してみましょうか」

 魔女が一歩踏み出した瞬間、ユーエルがエテンの前に体を滑り込ませて「やめろ!」と言った。十三歳とかいったろうか、特別背の高い方ではないだろうが、エテンよりはずいぶん大きな背中に隠される。


「やめたら、この子も君のように家に帰れない」とレーイエ。

「何もせず帰せ! この子がここまで推理したってことは、彼の両親もあなたに辿りついてるはずだ。罪を重ねる前に自分から投降するんだ!」

「ごめんなさい。それはできない。平和のためだから」

「平和?」


 エテンの疑問に、魔女は答えなかった。ただユーエルに向かって「邪魔をしたらこの子を殺す」と脅しをかけ、檻の隙間から手を伸ばすとエテンの服を掴んで引き寄せた。もがいて逃れようとするが、まだ眠らされていた名残で体が思うように動かない。レーイエはエテンを捕まえたまま、反対の手を額に触れさせた。


「抵抗するんだ! 魔力を弾くんだよ!」

 ユーエルが言う。魔女が「黙って」と言った。そしてエテンの額に淡い灰色の魔法陣を描く。


「恐れ、忌避し、二度と触れられぬものとなれ。魔術を恐れ、神に頼るものとなれ」


 ぐるっと、魔力が回る感触がした。棘のついた棒で頭の中をかき回すような、ひどい頭痛。痛い、痛い、痛い──


「『いやだ! やめて! やめてえぇっ!』」


 喉から迸る悲鳴が、何重にも重なるような奇妙な音に聞こえた。バチっと大きな音がして、魔女が弾かれたようにエテンから手を離し、尻餅をつく。


「……何よ、今の」

「痛い! 痛い!」


 エテンは抱き寄せてくれるユーエルにしがみついて咽び泣いた。すると少年がエテンの額に手を当て、小さな声で「大丈夫、大丈夫だよ」と言う。少しひんやりした魔力に包まれるような感じがして、すうっと痛みが引いた。


「もう痛くない?」

「いたくない……」


 涙を拭いながら言うと、ユーエルはエテンの目の前に小さな明かりの魔法陣を描いた。エテンがそれをじっと見ていると、彼は「良かった」と言ってそれを消す。


「失敗したようね。もう一度──」

「何度やったって無駄だ! あなたよりこの子の祝福の方が上だったってことだろう!」ユーエルが叫ぶ。


「それでも、私はやらないとならない!」

 魔女が叫んだ。ユーエルが「平和のためってやつですか? 馬鹿馬鹿しい!」と言う。


「でも……でも! この世に魔術師がいる限り、争いは続くのよ! わかり合おうとどんなに歩み寄っても、あの人達は神の名の下に私達を討ち滅ぼそうとするの! だったら、だったら魔術なんてなくしてしまえば、魔術師がいなくなってしまえばいい。魔術なんてやめて、みんな顕現術を使えばいい! そうすればもう、誰も争わなくていいの。誰も傷つかない世の中になるの。もうそれしかないのよ! どうして誰も理解してくれないの。わかってよ、協力してよ……!」


 涙を流して、魔女が泣き叫ぶ。図書館で出会った時は綺麗にしていた髪も、今は引っかき回してぼさぼさだ。ローブの袖がばさりと捲れて、傷だらけの腕が見えた。ああして明るく振る舞うのに、この人はどれだけ努力していたんだろう。エテンはその悲痛な横顔を見つめたが、しかしどんな理由があっても、やっていいことと悪いことがある。そう考えて、彼はそっと隣の少年の肩に手を掛けた。


「ねえ、伝令の魔術を使える?」

 囁くと、ユーエルは少し目を見張って無言で小さく頷いた。

「じゃあ、僕の師匠……は知らないか。図書館のシタンさんに出して。助けてって」


「……でも、子供の僕らが言ったところで」

 魔女の手から遠ざけるようにエテンを抱き込みながらユーエルが囁いた。レーイエが顔をしかめて「別の檻に入れるんだった」と言う。

「君の師匠はそうかもしれないけど、大人がみんなそうってわけじゃ──!」


 突然、眩く光るものが天井をすり抜けて地下室に飛び込んできた。エテンは息を呑んで縮こまった。それはギャアと大きな鋭い声で鳴きながら滑空し、バサバサと羽ばたいてエテンの肩にとまった。


「……伝令鳥?」

 エテンが息も絶え絶えに言うと、大きなミミズクは羽を逆立たせ、威嚇するように大きく翼を広げながら言った。


「──そこにいるか、誘拐犯。魔力の軌跡を追ってすぐに行く」


 聞いたことのない、低い低い師匠の声だ。あのひょろっとして優しい師匠がこんな声を出す姿が想像できずに、エテンはただぎゅっと光るミミズクを抱きしめた。ミミズクはエテンを見ると優しくホーと鳴いた。


「君からも返事を出して!」とユーエル。

「できない」とエテン。声を出したことで、伝令鳥は光になって消えてしまう。エテンはあたたかな師匠の魔力が失われたことでひどく不安になって、必死に震えを抑えようとした。ユーエルが背中をさすってくれる。


 図書館の魔女はかなり焦った顔になっていた。地下室の中をうろうろしてぶつぶつ独り言を言うと、エテンをちらりと見て、そして決心したようにこちらに近づいてくる。どうしよう、またあれをやる気だ。


 エテンは深く深く息を吸って、吐いて、今にも両手で顔を覆って叫び出してしまいそうな恐怖を強引に鎮めた。そしてユーエルから離れてすっくと立ち上がると、魔女に向かって腕を伸ばし、エテンの小さな体で描ける限りの大きな円を描く。


 紡がれてゆく見慣れない魔法陣に、魔女が立ち止まった。その隙に星を詰め込み、角度をつけた弧を描き、どんどん加速させてゆく。


「君、それって……」

 不安そうに言ったユーエルに、エテンは叫ぶように言った。


「僕を信じて! ユーエル、発現させて! 『眠りが降りてくるように』!」

「……眠りが降りてくるようにロラナ=ラーヌ!」


 魔法陣の中央にバンと手をついて、ユーエルが怒鳴った。黒い魔法陣が一瞬で美しい水色に塗り変わり、カッと光った円から爆発的な魔力が噴き出す。それはレーイエが咄嗟に立ち上げた何かの魔法陣を粉々にして突き進んだ。


「なっ──!」


 驚愕に目を見開いたレーイエが身を翻して階段の方へ逃げようとして、背中から術に呑み込まれた。強い強い眠りの術がかかって、バタンと、勢いをつけてうつ伏せに倒れる。誘拐犯はあっけなく深い眠りに落ちて、地下室はシンと静まり返った。大きく渦を巻いていた魔力の光が緩やかに消えてゆく。


「うわっ……鼻折れたかな」


 エテンはユーエルの背中にしがみつきながら言った。振り返った少年が「いや……というか、あの人生きてる? 死んでない?」と言う。


 とその時、雷が落ちたようなバリバリという凄まじい音がして、エテンとユーエルは抱き合って飛び上がった。階段の上がものすごく光っているのが見える。


「えっ、何?」とエテン。

「僕の後ろへ」とユーエル。

「エテン! 無事か!」と師匠の吼えるような声。

「師匠!」


 ユーエルの腕の中から飛び出して、鉄格子を掴んで飛び跳ねる。階段を駆け降りてきた師匠が勢い余って倒れ伏したレーイエを踏んづけ、慌てて飛び退くと「えっ、あれ?」と言ってから駆け寄ってきた。チリっと音を立てて一瞬で描かれた魔法陣に「解錠!」と言うと、大きな南京錠が外れてゴトンと落ちる。今の術、かっこいい。


「エテン! ……エテン、何もされていないかい?」

 檻の戸を引き開けながら覗き込んできた師匠の目を、真っ直ぐ見返す。

「されましたけど、弾き返しました。魔法陣は怖くなってません」

「良かった……」


 師匠は大きく息をついて、エテンと、そして檻の角の方で所在なさげにしていたユーエルをまとめて抱きしめた。ユーエルが「えっ?」と困った声を出す。


「二人で倒したのかい?」

 師匠が言ったが、エテンは薬草っぽい師匠の匂いに気が抜けて号泣し始めていたので、それにはユーエルが答えた。


「その子……エテン、が何か不思議な魔法陣を描いて、僕がそれを発現させました。呪文は眠りの呪文でした」

「そうか、よくやった」


 師匠が優しい声で言った時、階段の上から足音がして、ものすごく息切れしたシタンがよろよろしながら降りてきた。


「エテン君……ゆ、ユーエル君、ぶ、じ、ですか」

「二人は無事だ。その上、犯人までやっつけた。どちらかというと君の方が弱っているね」


 少年二人を解放した師匠が振り返って笑い、笑った顔のまま鋭い目で倒れたレーイエを見下ろした。シタンも彼女の方を見ながら「アルラダ様が……は、速すぎ、私、た、体力」と膝に手をついてぜいぜい言う。


「ふふ」

 少し涙が引っ込んできたエテンが鼻声で小さく笑うと、ユーエルが「いい人だね、君の師匠」と小さな声で言った。

「うん。でも、ユーエルの次の師匠もきっといい人になるよ。君、月の塔に引き取られることになったんだ。一緒にヴェルトルートへ行こう、ユーエル」

「え?」


 ユーエルが目を丸くして、掠れた声で「僕、とうとう捨てられたのか……」と言う。

「違うよ。そうじゃなくて、僕の師匠が君の師匠から──あっ、ユーエル!」

 顔を真っ青にしたユーエルがふらりと倒れ込んできて、エテンは支えきれずによろよろした。するとまだ息の切れているシタンがやってきて支える役を代わってくれる。


「ありがとうございます」

「気を、う、失っているだけのようですね。けれど、衰弱しているはずです。し、神殿治療院へ連れて行きましょう」

「どうしよう、僕のせいでユーエル、バエンさんに捨てられたって勘違いしたかも。本当は師匠が無理矢理連れて行くことにしたのに」

「目を覚ましたら、話してあげればいいですよ。え、エテン君は、怪我はありませんか?」

「はい。あの、約束すっぽかしちゃった。ごめんなさい」

「そ、その約束があったから、エテン君が攫われてすぐ気づくことができたのです。君が待ち合わせ場所に、こ、来ないので宿へ迎えに行ったら、君がいないと慌てているアルラダ様と鉢合わせて……術の影響も、あ、ありませんか?」

「大丈夫です。痛かったけど、ユーエルが魔法で治してくれました」

「痛かったって、何があった? いつ? どこがどう痛んだ?」


 師匠が大きな声を上げたのでそちらを見ると、師匠がうつ伏せに倒れたレーイエの体を爪先でひっくり返しているところだったので、エテンは「師匠、ダメですよ。女の人を足蹴にしたら」と言った。レーイエはほっぺたがちょっと擦りむけているが、頭も割れていないし鼻血も出ていない。良かった。


「弟子を攫った誘拐犯を丁重に扱う必要なんてないだろう。それよりどこが」

「頭です。術をかけられた時に。でももうなんともありません」

「すぐに治療院へ行くよ」

 レーイエを放り出して走ってきた師匠がさっとエテンを抱き上げた。そしてシタンに「ユーエルは頼んだ」と言う。


「え、ええ。……彼女はどうします」

「あの感じだと、放っておけば永遠に眠ったままだろうね。置いていっても大丈夫だ。騎士に任せよう」

「えっ、師匠! 魔女さんは大丈夫なんですか?」


 もしかしてとんでもないことをしてしまったのではなかろうかと、エテンは青くなった。すると師匠は微笑んで「大丈夫だ。あの……なんて言ったかな、気の審問官に解いてもらうのが安全だろう」と、レーイエを足でつんつんとつつきながら言う。


「イアラさんです。師匠、女の人をそんなにしたらダメです」

「犯人だしなあ」

「どんなに悪い人でも、女の子はみんなお姫様なんです」

「エテン、君は本当にいい子というか何というか……まあ、そういうちょっと風変わりな慈悲深さがあるから、いびつな穴の開いた私のことも好いてくれるのかもしれないけれど」


 師匠が仕方なさそうに笑う。「師匠は女の子じゃありませんけど」と言うと、彼は「そうだね」と少し悲しい目をして困ったように微笑んだ。それをじっと見て、手を伸ばすと金色の頭を撫でてみる。


「師匠、僕がいなくなって怖かった?」

「うん、とても」

「師匠は悪くないですよ? 勝手に扉を開けた僕の責任です」

「……いや」

「胸の穴なら、僕も開いてますよ」

「うん。君の穴がきちんと塞がるまで、私が守るから」


 なんだかよくわからないが、少し自信を失ってしまっているらしい師匠の頭をもう一度撫でる。

「よしよし」

「エテン」

「師匠、象嵌ぞうがんって知ってますか? 西の方の工芸品の」

「え?」


 階段を上がりながら師匠が首を傾げた。いくつか踊り場のところで曲がると、めちゃくちゃに壊れた地上への穴から、大きな本棚とシャンデリアが見えた。どうやらここは図書館の地下だったらしい。


「知っているけれど……」

「木に穴を開けて、そこに琥珀とか、いろんな宝石を嵌め込むんです。そうすると、すごく綺麗な細工になるんですよ。穴を開ける前よりずっと」

「……そっか」


 師匠が薄っすらと、本当に少しだけ涙の膜が張った瞳で優しくエテンを見つめ、エテンはそれに目尻の赤くなった目で微笑み返した。そして二人で後ろを振り返り、ユーエルを背負って息切れしながら必死に階段を上がっているシタンを見て、声を上げて笑った。





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