二 聞き込み開始



 庭での演奏は師匠が許可を取ってくれて、興行はかなり上手くいった。広場よりも身分の高そうな人が多かったが、図書館の前ということもあって鈴は使わずにしっとりした曲ばかり歌ったら、かなりの数の人が足を止めて聴き入ってくれた。


 ただ、その後の情報収集はあまり上手くいかなかった。師匠が隣にいたおかげで話自体は聞くことができたが、事件について何かを目撃した人は一人もいなかったし、目撃した人を知っている、という人もいなかったのだ。


「排斥派に雇われた魔術師かもしれない、という噂は拾えたじゃないか」


 不満に唇を尖らせるエテンに師匠が言う。二人は楽器の鞄を背負ったまま、図書館に向かって歩いていた。ここまで来たついでに、事件について調べ物をしようということになったのだ。


「でもそれは事実じゃなくて、想像でしょう?」


 エテンが言うと、師匠が首を振った。

「想像を元に、事実を探せばいいのさ」


「想像をもとに……」

「シタン君にも聞き込みしてみてごらん。住み込みの司書だからね、何か見ているかもしれない」

「はい」


 キリッと頷いて、胸元に手帳とペンを構える。師匠には深紅の革張りの手帳と、綺麗な青紫色の釉薬がかかった万年筆を買ってもらった。手帳には二つに折り畳まれたこの街の地図も挟まっている。銀貨がじゃらじゃら支払われているのを見て青褪めたが、師匠はこの程度何でもないと笑っていた。けれど、たくさんあったら湯水のように使っていいというものでもない。お金の価値を全然知らない様子なのは、エテンが教えてあげないといけないとこっそり決意する。


 正面玄関から入る図書館は、地下通路の小さな扉から来るのと違ってとても豪華というか、お城に入場する王子様のような気分になった。両開きの大きな扉を通り、綺麗な絨毯を踏んで歩く。左手のちょっと暗がりになった部分に受付台があって、そこでは先日と同じように司書のシタンが何やら書類作業をしていた。


「こんにちは」

 そっと声をかけると、線の細い青年はパッと顔を上げてエテンを見た。


「おや、ロ、ロゥラエンさん」

「あ、エテンと呼んでください。師匠に魔法名をもらったんです」

「それは、お、おめでとうございます、エテン殿。もう魔法名を得るなんて、ゆ、優秀なのですね」

「いいえ、全然。でも師匠は期待してくれるんです」

「それは、その、何より」


 神経質そうな笑みを浮かべたシタンが「へ、返却ですか」と尋ねた。


「はい、何冊かは。でもそれだけじゃなくて、シタンさんにお聞きしたいことがあるんです」

「わ、私に?」

「魔法陣恐怖症事件について」

「おや」


 シタンは少しだけ目を丸くすると、書類を置いてエテンを静かに見つめた。

「事件について……何を? なぜ?」

「調べているんです」


「エテンは探偵見習いなんだ。マシエラの一巻を借りただろう?」

 師匠が口を挟むと、シタンは「ああ」とやわらかく微笑んで頷いた。

「なるほど、わ、わかりました」


 了承を得られたので、早速準備していた質問をぶつける。

「じゃあまず……この図書館の庭で被害者が発見された四日前の午後、どこで何をしていましたか」

「今日と、お、同じです。ここで受付をし、していましたよ」

「悲鳴とか、聞こえましたか」

「いいえ。とても、静かでした」


 彼は次々に重ねられる質問に快く答えてくれたが、特に何かを見聞きしてはいないようだった。受付にいた司書は彼一人だが、図書館にはたくさんの人が出入りしている。アリバイもありそうだ。


「じゃあ被害者の子供達や、親とか、師匠とかは最近見かけましたか。共通点を捜査しているんです」


 けれどエテンが次の質問をすると、シタンは気弱そうな表情をさっと引き締めて首を振った。

「それは、お答えできません」

「どんな本を借りていたかも?」

「ええ」


 怪しい。もしかして、ここで受付をしていたというのは嘘なのだろうか?


「なぜですか?」

 手がかりを掴んだかもしれないと思ってわくわくしながら問うと、シタンは少しだけ目を細めてきっぱり言った。

「守秘義務があるからです」


「しゅひ、ぎむ」

「ええ。我々司書と、と、図書騎士達は、秘密の番人なのです。我らは利用者の読書の秘密を、決して他者に、あ、明らかにしない。例え犯罪捜査のためであろうと、王に命じられようと、決して」


 優しい目に真っ直ぐ見つめられて、エテンは戸惑った。

「……どうして? 正義のためなら秘密を暴かないといけない時もあるんじゃないんですか?」


「借りた本によって、え、得た知識によって、不利益を被るかもしれないと思ったら、読みたい本を読めなくなりませんか?」

「ふりえきを……」

「こんな本を読んでいるなんて、し、知られたら恥ずかしいとか……例えば毒の本を借りたら、誰かを殺そうとしているとう、疑われるのではと思ったら、書物を手に取るのを、ためらうようになるでしょう? だから……誰がどんな本を読んだか、絶対内緒にするんです。い、命に代えても」

「秘密の番人……」

「そうです」


「かっこいい……」

 胸元に手帳をぎゅっと押しつけながら囁くと、シタンは嬉しそうに笑みを浮かべて「こ、光栄です」と言った。


「師匠……」

 見上げると、首を振られた。


「『吟遊詩人魔術師司書探偵』は流石に無理だと思うよ。月の塔の図書室の管理くらいはできるかもしれないけれど」

「なんでわかったんですか」

「そういう顔をしていたもの」

「図書室の管理、したいです」

「うん……それはまあ、しばらく向こうに住んでみてから考えようね」

「はい!」


 また新しい目標ができた。こうして素敵なものを見つける度、胸の痛さがやわらぐ気がする。眠る前はまだ苦しいけれど、起きて色々やっている間は恐怖を忘れられている。ああ……月の塔へ向かう時は一座の馬車を一緒に持ち帰ってくれると師匠は言ってくれたけど、その場合、エテンは師匠と一緒に塔の馬車に乗せてもらえるんだろうか。それとも、エテンはエテンの馬車で眠らないといけないんだろうか。ああ、宿の寝台で眠ってみて思った。もう二度と、あの馬車では眠りたくない。あの木箱がある場所で、二度と夜を過ごしたくない。ごめんなさい母さん、僕はもう──


「エテン?」

「はい?」


 顔を上げると、師匠は「いや、階段でぼうっとしていると危ないよ」と言った。そう言われて初めて、シタンのところを離れて上の階に向かっていることに気づく。


「あ、シタンさんにご挨拶」

「きちんとしていたよ。ちょっと上の空だったけれど」

 後悔したが、それなら戻るほどでもないだろうか。帰りがけに謝っておこう。


「どうして二階に?」

「レーイエにも少し話を聞いておこうと思って」

「図書館の魔女さん……師匠、『魔女』って何ですか?」

 わかるようでわからない、少し珍しい肩書きについて尋ねると、師匠はすぐに答えをくれた。


「使い手、つまり魔法なり魔術なり呪術なりを使える女性のこと。昔は蔑称だったみたいだけれど、今はどちらかというと可愛らしく『女の子の魔術師さん』みたいな意味で使われているね」

「べっしょう」

「見下した言い方」


「どうして見下すの?」

「エテンの一座も『所詮旅芸人』みたいに言う人がいれば、『異国を旅してきた素敵な音楽家』と見る人もいるだろう? そういう風に、通っていない理屈で人を馬鹿にする馬鹿な人間がたくさんいたんだよ」

「ふうん……じゃあどうして、魔法は『魔』法っていうんですか? 魔獣の魔だし、あんまりいい意味じゃないですよね」

「いや、それは」

「──違うわよ」


 突然本棚の陰から人影がひょこっと飛び出してきて、エテンは「わっ!」と悲鳴を上げると背後に飛び退いた。


「ま、魔女さん……こんにちは」

「こんにちは、弟子さん」


 首を傾げてニコッとしたレーイエは、今日は深い紫色マントの内側にゆったりしたズボンを穿いていた。魔術師というよりは男の音楽家みたいで、凛々しい感じになっている。


「違うって?」

「『ヴィネーツィエ』は、悪い意味じゃないって話──あっ、そんなに見ないでよ」


 何か面白そうな話を始めようとしたレーイエが、困り顔になって襟ぐりの深い上着の首元を押さえた。師匠が口を開こうとした瞬間に「これは! これはこう着るのが正しいんだから。ちゃんと調べてありますからね!」と言う。


「魔女さん、それ春物ですよね? 寒い時は首元をあったかくしないとだめですよ。熱は上から逃げるから、マントの内側にスカーフを巻くといいです」


 エテンが教えてあげると、師匠が「流石、あちこち旅してきただけあるね」と頷いて、レーイエが「あなた達……」とがっくり肩を落とした。


「まあいいわ、期待はしてなかったし……続きを教えてあげる。『祝福ある抵抗者』の長として、弟子さんのその勘違いは見逃せない」


 なんだかシュンとしてしまった魔女が、手を上げて「談話室」と書かれてある奥の扉を示す。すっかりトボトボ歩きになってしまったので、エテンは心配になって声をかけた。


「もしかして……あたたかい服を持ってないんですか? 母のスカーフ、おゆずりしましょうか?」

 レーイエが肩を落としたまま首だけ振り返る。

「あなたのお母様って……いいえ、スカーフもショールもマフラーも持ってるわ。これはお洒落で着てるのよ。でもあなた、優しい子なのね」


 魔女はそう言って微笑みながら扉を開け、中に誰もいないことを確かめると表の札をひっくり返して『使用中』に変えた。狭い部屋にはソファーとテーブルのセット、ランタンがいくつか置いてある。壁に「飲食禁止」と張り紙がしてあった。


「あなた達もかけて。聞こえてたわよ、私に話を聞きにきたんでしょう? それもまとめてお話ししましょう──あっ、人目がないからって変な期待はしないでね。この部屋、鍵は掛からないんだから」


 一番に入って一番にソファへ腰掛けたレーイエが言った。師匠がため息をついて、エテンは「鍵が掛かると何が楽しいんだろう」と首を捻った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る