封桜と玉響の君

山岡流手

封桜と玉響の君

 ──果ての景色が見てみたい。


 月並みだけどね、とそう付け足す彼女はどこか恥ずかしそうで、まるでそれを隠すかのように私の背に顔を押し当てた。

 笑っていたのだろうか。微かな吐息を背中に感じ、ようやくそこで見惚れていたのだと気付かされたように思う。


 私には果ての景色などわからないし、どの辺りが月並みであるかさえもわからない。それでも、そうだな、と相槌を打ったことだけはよく覚えている。今思えば、これが何かのメッセージだったのかもしれない。


 私は揺らぐ水面に当時の記憶を投影するかのように想いを馳せる。ここに来るのは実に四年ぶりだった。

 ここの景色ばかりは数年ではそう変化もしないようで、記憶にあるそれとそのほとんどに誤差がない。せめて、変わっていれば暇潰しくらいにはなっただろうに。


 白い溜め息を一つばかり残しておくと、早々にその場を後にした。構わない。用事のついでに覗いただけなのだから。


 待ち人は来ず──か。


 それでも、心の中でそう呟いたのは、自分の中で区切りのようなものを付けるための手段だったのかもしれない。

 彼女はまだ夢を追っているのだろうか。


 当時私は大学生だった。

 卒業が近いということもあり、仲の良かった数名とは、まるで別れを惜しむかのようにこぞって集まり始めた頃である。四年も過ごすとそれなりに思い出や仲間意識も出来てくるもので、これからたった数ヶ月の後には別々の道を歩んでいくものだと思うと、それがまた不思議で仕方がなかった。


 そんな時、私達は穂郷町へと遊びに繰り出すことにした。まぁ、よくある卒業旅行というものだ。


 さて、この穂郷町はのどかな田舎町である。綺麗な川があり、野原があり、ほんのささやかな飲食店とスーパー、そしてたった一つの大きな複合商業施設がある。

 決して娯楽に優れているとはいえないものの、生活に困るようなことでもない。確かに若者にとっては物足りない部分があることは否めないが、最小限という言葉を借りるとすれば十分すぎるといえるだろう。


 また、特筆すべき点は他にもある。例えば、交通の便がそうである。十五分も車で走れば、すぐに繁華街へと出ることが出来るし、電車もそうだ。すぐそこを走る私鉄の線はたった数駅で都会へと連れていってくれる。


 私見ではあるが、総評するなら目新しいものこそ見当たらないが、静かに暮らすにはうってつけの環境だろう。……などと他人事のように言ってはみたが、実は私の実家はここにあったりする。そうなのだ、私の親はここの出身なのだ。そして、私も。


 懐かしいな──


 自転車に股がりペダルに足を乗せるとなんともいえない感情が湧いてくる。ここを走るのは何年ぶりになるのだろう。

 久方ぶりの実家へと向かう道中、やはりもう一度だけ感傷に浸ってみることにした。


 ◇


──また夜に集合ねー!


 そんな言葉を残して、美海と朔来は買い物へと出掛けて行った。なんでも、折角だから旅行の思い出になりそうなものを探すというのだ。

 そんなものはここにはないぞと止めるべきかと悩んだものだが、折角盛り上がっているところに水を差す様なことを言うのも憚られ、ああ、と一言だけ返事をしておくに留めておく。それに、もし親しみのあるこの地が皆の思い出になるなら、それはそれで喜ばしいのではないだろうか。少なくとも頭ごなしにああだ、こうだと言うは無粋に思う。


 私は普段通りに紙面に広がる物語を脳裏に浮かべつつも、チラリと周囲に目をやった。そういえば、寿士と奈々樹の姿も既にない。そういえば、どこかに行くと言っていたのだったか。


「ねぇ、私も少し出てこようかな」


 んんっ、と伸びをする声がし、続けて荷物を整理するような音が耳に届く。彼女もまた買い物だろうか。


「ああ……気を付けて」


 何もないが、と余計な一言が続きそうなところを何とか飲み込み、見送りにでもと本に栞を挟み込む。これで残るは自分のみか。


 普段ならば落ち着きもするのだが、今日に限っては妙に心がざわついていた。

 これではただ帰省しただけではないか。


 何もこんなところで買い物なんか行かなくても──


 閑散とした部屋に戻ると、早速心の中で独りごちた。わざわざ出発前に近くの書店で本を選んできた自分が滑稽に思え、今度ばかりはなかなか続きを読む気にさえならない。

 こんな気分になるのなら、いっそ自分も付いていけばよかったのだろうか。……いや、どちらにせよ途中で窮屈になっただろう。


 そこでふと、思いの外自分が楽しみにしていたのかもしれないと思い当たり、逃げるように考えるのを中断する。まさか、そんなことはないだろう。


 誤魔化すように何か物音を求めると、とりあえずはテレビでもとリモコンへと手を伸ばす。間違っても、決して寂しくなったわけではない。


 その後、微かに玄関のほうから音が聞こえているのに気が付いたのは、電源ボタンへと指を添えたその時だった。


 怪訝に思い部屋から出ると、やはり先程出ていったはずの姿がそこにある。


「あはは……困ったな。自転車がないや」


 道も知らないけどね、と私の顔を見るや、小さく笑う。その言葉に思わず、私の口からは思いもよらぬ言葉が飛び出すこととなる。


「私でよければ案内しよう。すぐ準備はするが少しは掛かる、それでも構わないか?」


 余程意外だったのだろうか。私の言葉に彼女は目を真ん丸にし、驚いていた。それはそうだろう。言った私ですらそうなのだから。


「んー? ……じゃあ、お願いしよっかな!」


 少し不思議な顔はしたものの、次の瞬間にはいたずらっ子のようににんまり笑うと片目を閉じた。


 そのまま玄関で待つように告げると、庭へ飛び出し離れの小屋へと足を向ける。数年前まで住んでいた実家というだけあり、何があるかは大体把握出来ている。おそらくそれはまだあるだろう。


 幸運にもそれは深く埃を被っているようなこともなく、タイヤの空気を確認するだけで事足りた。後は軽く拭けば問題ないだろう。これで走れる。


「待たせたな」


 駆け足で戻ると、彼女は白い歯を覗かせながらニヤリと笑った。


「いーよっ! ……ねぇねぇ、それよりこうして二人で話すのって珍しいよね。だって君は無口だし」

「無口なわけじゃない。余計なことを言わないようにしているだけさ」


 仲は悪くない……と思っていたのであるが、なるほど、確かに二人だけで話をすることはほとんどなかったかもしれない。


「うわぁ……拘り強そう」

「これは拘りじゃない。配慮やマナー、つまりコミュニケーションの一つの形だ」


 タオルで手早く拭いていく。一通りはすぐに終えたものの、何やら物言いたげな視線を感じので、結局中性洗剤とスポンジも用意することにする。


「あははっ、知ってる! 知ってるってば」


 再び倉庫へ向かう私に、今度は彼女も付いてくる。


「どうだかな。……いいのか? 汚れても知らないぞ」


 まぁ、知らないでは済まないのはわかっており、面倒になるのは目に見えている。綺麗な洋服が汚れて平気な人などまずいないだろう。この私ですら実家でなければ御免なのだから。


「んっんー、それは別にいいかな。そんなことより、卒業旅行に地元って……可っ笑しいのー! それも実家だなんて」


 いいのかよ、と心の中でツッコミを入れる。それなら乾拭きで十分じゃないか。


「決めたのは私じゃない。朔来と寿士に頼まれて引き受けただけだ」

「やった! そうだったんだ」


 どこか満足そうにほくそ笑む。その顔で察する。どうせこの手の話を誰かとしていたのだろう。他のにやけた顔も容易に想像出来てしまった。


「どうしてそう思う?」


 追及は寿士にするつもりでいるが、一応は聞き返しておくことにする。もちろん、黙っていても良かったが、不貞腐れた様に見られるのも面白くはないからだ。


「だって、君は卒業旅行なんて馬鹿にしてるでしょ。……あ、責めてるわけではないのよ」


 聞いたはいいが、結局は黙り込む。こういう場合は否定するのが正解なのだろうか。そそくさと整備を終えた自転車に跨がると、質問には答えずに後ろを指して促した。どうせ正解などない問題だ。


「それで、何処へ行く? 買い物か?」

「んー……実はね、見たいものがあるの」


 一度は後ろに跨がり手を回すが、そこで何か思い至ったようで、背中をポンっと叩いて飛び降りる。


「やっぱり歩こう」


 少し怪訝な顔をしていたのかもしれない。説明するかのように言葉を続けると、二歩程飛び出して振り返った。


「二人乗りって良くないんでしょ」


 なるほど。言われてみればその通りである。


「そうだな。では歩こう」


 私は頷き、少し遅れて歩き始めた。案内する方が後、というのもおかしな話であるのだが。


 ◇


 その道中、意外にも私達は沢山の話をしていた。家族のこと、自分のこと、そして、この先、将来のこと。

 何より驚いたのは、卒業すると同時に彼女は旅に出るつもりだということだった。


「実はね、私が言い出したんだよ」

「何がだ?」


 問うと、少しバツが悪そうに目を逸らす。こういう仕草をされるとどうにも調子が狂う。


「ここに来たいって」

「それで朔来に相談したのか?」


 あえて真正面からではなく、横目で訊ねる。


「あはは……気付いてた?」


 誤魔化すように上目遣いでこちらの様子を見ている様は、まるでいたずらっ子と変わらない。


「いや、今気付いた。朔来と美海が出掛けたのに、君だけ残っているのも変だろう。それに、自転車は初めからない」

「それを言うならキミもだよ。寿士と奈々樹が出掛けているのに、どうして君は行かないの?」


 思わぬブーメランが返ってくる。言われてみれば、確かにそうだ。


「彼らとは趣味が合わないんだ。かといってそれは仲が悪いというわけじゃない。君には少し難しいかもしれないが……」


 なんとか説明しようとは思うものの、多少歯切れの悪い答えとなる。もちろん、嘘ではない。


「同じだよ」


 彼女は今までにない真剣な瞳で私を見る。いや、私ではなく、私を通してもっと先を見ていたのかもしれない。


「だから、私はここにいるの」


 突き抜けていくような言葉が、不思議と胸を貫いた。


 その後、しばらくは無言だった。余韻といってはおかしいのかもしれないが、間を繋ぐような言葉は不要に思えたからだ。


「果ての景色が見てみたいの。……月並みだけどね」


 そんな中、ポツリと彼女が呟くと、ほどなくして背中に少しの熱を感じる。


 あぁ──。


 どうやら知らぬ間に見惚れていたらしい。視線の先には既に誰もいなかった。

 背中に押し当てられた温もりから伝わる感情の意味は単に照れ隠しのようなものであったのかもしれない。


 ぴょんと前へ飛び出す姿からは既に先程の面影は薄れ、新たなものへと変わっていた。

 彼女なりに気を遣ってのことかもしれないし、切り替えのスイッチのようなものだったのかもしれない。


「……そうだな」


 それも含め、噛み締めるように言葉を放つ。それなのに、自分のした返事が何故か他人の言葉のように思えて仕方がなかった。本来なら乗っかるように笑ってやるのが良かったのだろう。


「ねぇ……知ってる? 夢は世界なんだって」

「夢が?」

「そうなの。人はそれぞれ世界をもっているから」

「それは形を変えるのか?」

「少し、だけ。この惑星だってそうよ。私達が知っているのはその一部だもの。まだまだ知らないところは沢山あると思うわ」

「確かにな。では、環境は?」

「変わるわ。日々姿を変えるもの」

「なぞなぞのようだ」

「あはは、ほんとだ」


 ぴょん、と飛び出し、無邪気に笑うその姿に、自然と頬が緩むのがわかった。ただ、楽しかった。

 その後もしばらく話を続けるが、夢見咲公園が見え始めると、どちらともなく口をつぐんだ。


 ◇


 彼女が公園を散策している間、私は公園の中央にある池を眺めていた。柵にもたれるようにして腕を置き、水面を泳ぐ水鳥を目で追いかける。あれは、カイツブリといっただろうか。


「お待たせ!」

「ああ、用事は済んだか?」


 完全には振り返らず、少しだけ首を動かすに留める。どうしていいかわからなかったからだ。


「……うん!」


 違和感──。

 やけに短い返事だった。どこかわだかまりがあるのかもしれない。私にはそれが、まるで自分を納得させる為の言葉のように感じてしまう。


「……桜か? 少し早かったんじゃないか」


 淡白さに滲んでいた疑問の答え合わせをするように聞いてみる。


「……そうだね。ねぇ、君は封想桜の話って知ってる?」


 もちろん、知っているには知っている。それは地元に住んでいれば大抵一度は耳にするであろう昔話だ。


「よかったら……教えてくれないかな?」


 しばしの無言を肯定と取ったようだ。

 さて、どう話せばいいのだろうか。


 再び水面へと視線を向けると、記憶を辿るように口を開く。言葉を選ぶ、と言うよりは、言葉を探している、というほうが余程正しい。


「……かつて、鬼と竜がいた時代の話だ。それはもう大地を二分するような激しい争いがあったという」


 それはどこにでもあるその地特有の伝承のような物語である。知っているが学んだわけではなく、正確かと言われれば、知らんと答えるしかない話であるのは間違いない。


「ところが、その争いの終止符は唐突に打たれることになる。……すべてを知るという賢者が現れたからだ」


 最後に耳にしたのはいつだろうか。祖父だったか、父であったか。気づけば思い出を探すような、そんな気分に浸っている。余談であるが、思えばどちらも無口であった。


「その賢者は世界に魔法を放った。詳しいことはわからない。しかし、争いは終結し、人々に少しばかりの夢を与えたと、そう云われている」


 先程のカイツブリが近くを通りすぎ、波紋が揺れる。のどかであるというには、やはり動物が必要なのかもしれない。


「ところが、問題はここにある。一見、悪いことなど何もないが、その結果人々は長い夢から覚めることが出来なくなってしまったらしい。きっと、疲れた人々には夢を見ているだけで良かったのだろうな」


 やがて、広がった波紋が消えるのを見届けると、今度は他のものへと目を移す。何か花びらなどがあればいいかもしれない。


「そんな時だった。再び賢者が現れると、この地にあった桜の大樹の元へと人々の夢を集めたそうだ。そして、その夢を糧として、大樹は綺麗な花を咲かせることになったという」


 次に目を落ち着かせる場所を探していると、ふと隣に人の気配を感じる。いつの間にか彼女もこちらへ来たようだ。


「所々が曖昧な、結末さえも知られていない。そんなわけのわからん話だったはずだ。ともかくそれが、封想といわれる由縁だな」


 ちらりと彼女に目を移すと、その瞳は水面に向いている。瞳に映った花びらは私が見ていたものだろうか。

 しばらく無言となり、私が話を終えたことを確認すると、まるで根を張るようにゆっくり隣で肘を付く。


「ねぇ、桜が咲いているのって、今でも人が夢を見ているからだって。君もそう思う?」


 疑問、なのか。問題、なのか。

 そもそも、この問いにはどんな意味が含まれているのだろうか。


「思うさ」


 だから、答える。シンプルに。


「じゃあ、君が思う夢って、将来の夢の夢? それとも、眠ったときに見るようないつもの夢?」


 何故、放たれた一言にこれほどまで考えさせられるのだろうか。


「それは……」


 言葉に詰まる。言わんとしていることは理解できるからだ。しかし……


 夢の果て──


 そこでようやくその言葉が脳裏に浮かぶ。


「いつもの、夢。……だ」


 確認するように、その答えを口にする。


 ──トン。

 

 返事はなく、何か軽くて柔らかい感触がそっと背中に触れる。それは背中に預けられているのか、はたまた軽く触れているだけなのか、そんなことすらすぐに判断することが出来なかった。

 出来ることといえば、危ないぞ、とたった一言伝えるだけだ。

 しかし、それすら彼女が口を開くと、言えなくなってしまう。


「ねぇ、また四年……そうね、また四年後よ。それが駄目ならまた四年。出来ればまた二人で──その時は桜が咲いて……」


 後半がはっきりと聞き取れなかったが、そんな約束を背中越しに交わしたのをよく覚えている。今思えばこそ、それは小さな恋といえるものであったのかもしれない。それも今となっては確かめようもないのであるが。

 結局、危ないぞ、という言葉が出て来ることはなかった。そして、変わりに出た言葉さえも──今ではもう覚えていない。


 ◇


──ねぇ。


 そんな声に思わず振り返っていた。これは最後の幻なのだろうか。それとも──


 久方ぶりの実家へと帰ると、静かに携帯端末へと指を走らせる。久方ぶりだが、少しだけ書いてみようと思う。少しだけ、であるが。


 書き始めは……そうだな。よし、こうしよう。


 ──果ての景色が見てみたい。


 慌てることはない。夢を追っていればまた会えるだろうから。桜が咲いていたように、今はまだ夢の世界に夢中なのかもしれないから。

 夢中、と思うと、少し顔が綻んだ。

 夢の……中か。あながち間違いでもないかもしれない。しかし、だ。


 四年後は逆かもしれない、がな。

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