11 お前のいる世界で
どこか遠くで鳥が鳴いている。日差しは帆沼が店を訪れた時より幾分傾き、穏やかに道路を照らしていた。
「……で、話の腰を折るようで、申し訳ないんですが」
しかし、まだ帆沼には気になることがあるらしい。その視線は、現世堂の入り口へと向けられていた。
「ここって幽霊とか出たりします? それもできるだけ恨めしげなやつ」
「雑談にしては突飛過ぎるな。いや、そういった怪現象とは無縁だと思うけど。どうして?」
「んー、なんかさっきから誰かのすすり泣く声が聞こえてて……」
「すすり泣く……?」
しばし黙考していた檜山だったが、急にバッと身を翻して時計を見た。針の示す時刻に一度は安堵するも、まだ不安そうにそそくさと椅子から立つ。
しかし、帆沼の方が早かった。彼は音も無く店の入り口に向かうと、長身にくっついたアッシュグレーの頭を巡らせて辺りを窺い……。
「あ、しんたろ」
自販機の影に隠れようとする背中を発見したのである。
「え!!? 慎太郎君!!?」
度肝を抜かれたのは檜山だ。こけつまろびつ店の外に出てくると、丸くなってプルプル震える同居人の姿に短い悲鳴を上げた。
「ななななんで!? 君、まだ大学のはずじゃ……!」
「ああああごめんなさいっ! 早く終わって早く檜山さんに会えると思って早く来ましたぁぁっ!!」
「えええ、ええええええっ!?」
「ごごごごごめんなさいぃぃっ!!!!」
パニック状態に陥る檜山と、泣きながらひたすら謝る慎太郎である。唯一これを妙に冷静に見守る帆沼(指名手配中)だったが、流石に状況が悪いと判断し二人の間に割って入った。
「まあまあ、落ち着きましょうよ二人とも。事情は分かりますが、ちょっと近所迷惑に……」
「死のう」
「檜山サン!!」
「わーっオレも続きます!」
「慎太郎!!!!」
埒が開かないので、首でも吊りそうな勢いの檜山と半泣きの慎太郎を抱えて何とか店の中に放り込む。運動不足に痛む腕を揉みながら、帆沼は大きなため息をついた。
「まったく、そんな取り乱さないでくださいよ。あなたもう三十でしょう」
「君が言うならそうなんだろな」
「俺が言わなくてもそうですよ。ほら、立ち直ってください。別に慎太郎が外にいたからって、全部話を聞かれたとも限らないでしょ?」
「そ、それはそうかもだけど……」
「ね? なぁ慎太郎もそうだろ? ほんとはお前、さっき来たとこだもんな?」
「いえ、最初からいました」
「慎太郎ーっ!!!!」
「死ぬとするか」
「檜山サン!!!!」
「あ、そういうことですか! すいません間違えました! オレ三秒前に来たところです!!」
「君の自転車のサドルは長く太陽にさらされたせいで熱を持ってた。三秒前に来た人間ならこんなことにはならないはずだ。死のう」
「ああああ推理しないで檜山さん! どどどどうしましょう帆沼さん、助けて!!」
「俺もう知らない」
帆沼にさえ匙を投げられ、また涙目になる慎太郎である。けれど気を取り直した帆沼と必死の弁解をする慎太郎の甲斐もあり、数分後には三人ともカウンター奥の座敷でちゃぶ台を囲んで向かい合えることとなった。
「……えーと」
――なんだ、この状況。
白髪頭を抱える檜山と、まだぐすぐすと鼻を鳴らす慎太郎。そして、自分である。謎の三者面談に困り果てる帆沼だったが、動かないことには始まらない。
まず、檜山の肩を叩いた。
「……えー、ほら、元気出しましょうよ。罪を犯したわけじゃないんですし」
「君が言うと説得力が段違いだな」
「言いますね。せっかく人が励まそうとしてるってのに」
「そ、そうですよ! 帆沼さんだって元気で生きてるんですし、檜山さんもお願いします!!」
「だってって何だ、だってって。え? まさかこれ俺しかツッコミいないのか。やだな、負担大きいな」
だが、いつまでもふざけているわけにはいかない。帆沼は座り直すと、彼の肩を掴んで少々強引に檜山の顔を上げた。
「檜山サン、すいません。元気出ないのは分かるんですが、俺そろそろ行かなきゃ」
「……ああ。そうだったな」
「え、行かなきゃって何ですか?」
「忘れたの、慎太郎? 俺、犯罪者だよ」
その言葉に、慎太郎はぱちぱちとまばたきをする。が、すぐ得心したように手を叩いた。
「そっか、警察に出頭しに行くんですね」
「うん。っていうか、お前俺の被害者だろ。なんで通報せずに立ち聞きしてたんだ」
「お話し中みたいでしたし」
「そういう問題?」
「状況によっては中に入るつもりでしたけど、二人の話に気を取られ過ぎて……」
「あの内容じゃそうなるよな……。じゃあ、怪我の方は?」
「怪我? ……あ、えっと、そっちも大丈夫です! ご飯食べて寝たらすぐに治りましたよ!」
「……見せて」
素直に差し出された慎太郎の手を自分の手に乗せ、しげしげと眺める。……殆ど治ったというのは、嘘だ。傷は塞がっているものの、まだ痛みや突っ張ったような感覚は残っているだろう。
もしかしたら、痕も残るかもしれない。罪悪感にかられた帆沼は、隣に座る慎太郎に顔を向けた。
「?」
けれど、目が合った慎太郎は不思議そうに首を傾げるだけだった。
――怪我をさせただけじゃない。自分は彼を監禁し、殺そうとしたというのに。本当なら、二度と会えなくても不思議じゃないのに。
それでもまだ自分と向き合ってくれる彼に、帆沼はひどく胸が締め付けられる思いがした。
「……本当にごめん、慎太郎」
うなだれる。彼の手を両手で包み、できるだけ大切に扱いながら。
「監禁したことも……お前の弟のことも。償いきれる話じゃないけど、俺にできることがあるならなんでもしたい」
「え!? いえ! つかさの件は本人に直接謝って欲しいと思いますけど、オレのことは全然……!」
「でも……」
「……本当です」
慎太郎は、帆沼の手を強く握り直した。
「帆沼さんがそういう風に思ってくれたことで、もうオレの気は済みました。十分です」
「……」
「確かに監禁は怖かったし、全然ご飯食べさせてくれなかったのは嫌でしたけど。でも、そう言ってくれたことでオレの中で一つ区切りがつきました。……謝ってくれて、ありがとうございます」
「……慎太郎」
「…………」
その時、ちゃぶ台の向こうから伸びた手がガシッと慎太郎と帆沼の手首を掴んだ。そして、丁寧に指を剥がして繋いだ手を別れさせる。
「……」
「……」
「ど、どうしました? 檜山さん」
――睨み合う檜山と帆沼を前に、状況が飲み込めないのは慎太郎一人である。一方帆沼は、呆れたように檜山に言った。
「もー、これぐらい見逃してくださいよ。あなたどんだけ慎太郎に過保護なんですか」
「いいから君は早く出頭してきなさい。丹波刑事には僕から連絡取ってやるから」
「あ、それは頼んでいいですか。ここから歩いていくのもなんですので」
「じゃあちょっと席を外してくる。帆沼君、くれぐれも慎太郎君には手を出すなよ」
「すごい、どの口が言うんだろう」
「そういうのは僕に聞こえないよう言うもんだぞ、帆沼呉一」
檜山が立ち上がり、スマートフォンを取り出しながら少し離れる。けれどそれに合わせて、こっそり慎太郎が帆沼の服の裾を摘んで引っ張ってきた。
……何故か、ちょっと頬を膨らませながら。
「どした? 慎太郎」
「……帆沼さん。なんか、前より檜山さんと仲良くなってません?」
「あー……そうかな? そう見えた?」
「……」
「何、ヤキモチ?」
慎太郎から絡んできたのでいいかと思い、ぷっくりとした彼の頬をつついてみる。すると茶化されたと思ったらしい慎太郎は、真っ赤になって手をはたき落としてきた。
「分かってるくせに! やめてください!」
「ふふふ、やっぱ慎太郎は可愛いな」
「帆沼さん、反省してないでしょう!」
「してるしこれからは罪を償って生きてくよ。そういやお前、泣いてたのってもう大丈夫? まだ目ぇ赤いけど」
「う、そうですか?」
「うん。……檜山サンなら今電話中だし、あの人に話せない理由なら俺が聞こうか?」
「……いえ。別に、隠すようなことじゃないからいいんですけど」
そうして慎太郎は、ぽつりぽつりと泣いていた理由を話し出した。それを黙って聞いていた帆沼だったが、ふいに素朴な驚きで前髪の下の目を見開く。だが、すぐに嬉しそうに口元を緩ませた。
「……そうか。お前、そんなことを考えてたのか」
くしゃくしゃと、慎太郎の頭を撫でる。
「すごいね。俺なんか、百回夢から覚めたってそんなこと思えないと思う」
「そうですか?」
「うん、とても思い至れない。……」
檜山の方を見やる。彼がまだ電話で話していることを確認し、帆沼は視線を戻した。
「……ね、慎太郎。俺から言えた義理じゃないけど、檜山サンのことをよろしくね」
「? はい」
「それと」
微笑もうとしたが、うまくできずにぎこちなくなりながら。
「……どうだろ。俺さ、少しは前と変われたと思う?」
その問いに、慎太郎は小さく首を傾げた。そして彼なりに質問の意味を考えたあと、「いえ」と頭を振る。
「オレにとっては、どちらも同じです。前の帆沼さんも、今の帆沼さんも同じ人」
「……」
「ちょっと変な人だけど、話しててすごく楽しい人です。オレから見た帆沼さんは、そのまんま変わりません」
その言葉を聞いた瞬間、帆沼は衝動的に慎太郎に手を伸ばした。両手で慎太郎の顎を包み持ち上げ、びっくりした顔の慎太郎を引き寄せて――。
――ぐりぐりと、彼の額に自分の額を押し付けた。
「???」
キョトンとしてされるがままの慎太郎をいいことに、存分にぐりぐりする。そうして気が済んだあたりで、帰ってきた檜山に強めに頭を叩かれて引き剥がされた。
「……なぁ、慎太郎。本当にありがとうね」
やがて、パトカーのサイレンが近づいてくる。その音を聞きながら、帆沼は慎太郎に言った。
「お前のお陰で、俺はここにいられる。やっぱり俺は、お前のいる世界で生きたい」
……その一言を、慎太郎が真の意味で理解したとは思わなかったが。
それでも、「オレも帆沼さんのいる世界の方が嬉しいです」という言葉を引き出せたので、今日のところは良しとする。
ポニーテールの気の強そうな刑事が車から降りて、こちらに走ってくる。帆沼は最後に二人に手を振って、それからはもう振り返らずに歩いて行った。
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